高倉健のレビュー一覧
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高倉健が どこで 心が動き
感謝し、怒っているのかが よくわかる。
『空がからっぽになってしまって、
空気さえないみたいに、太陽ばかりが光り輝いています。』
落日を拾ひに行かむ海の果。檀一雄;ロカ岬。
海を汚さないと言う青年 由五郎君。
旅とは、何か別れを決意させたり、新しい感動に出会わせてくれる。
日本人って、いいなぁと思われる生き方をしたい。
夢は夢のままにしておく。
怒りの火のようなものが、身体からぼわッと発する。
この頑固さが自分を支えている。
『昨年中はありがとうございました。
こんなに気ままに生きて、
昨年はまたしかじかの人の心を傷つけてしまいました。
反省します。』
行動は感情 -
Posted by ブクログ
1993.8.25発行の作品です。高倉健さん62歳のときのエッセイです。「あ・うん」が1989年(58歳)、「鉄道員(ぽっぽや)」が1999年(68歳)の時です。第13回日本文芸大賞エッセイ賞受賞作品です。23の珠玉のエッセイがおさめられています。そして、その最後が「あなたに褒められたくて」です! ---母は明治の女だった。頑固で、優しくて、そして有難い母だった。自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒められたい一心だったと思います。---
高倉健さん(1931.2.16~2014.11.10)の「あなたに褒められたくて」、1991.6刊行、1993.8文庫化です。健さん60歳の時の作品 -
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あなたが誰なのかは、読む前から察しがついていた。
稀代の大スターも、人間であることには変わりない。一人の日本人の男性だ。
いろんな作品に出演し、いろんな人々に出会い、いろんな旅をしたことがこの本に詰まっている。
高倉健さんのようには行かないだろう。
けれども、私も貴女も、人生という旅をしている一人の日本人であることには変わりない。
どんなにお金を儲けても、どんなに有名になろうとも、人はみんな一人で死んでゆく。
高倉健さんは、世の中にはそっと別れを告げられた。
ちょうど、鉄道員で、主人公が定年間際に極寒の職場である駅のホームで帰らぬ人となったように。
私たち日本人は、心の故郷のような高倉健 -
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「褒める」という言葉に目が吸い寄せられて購入。一般論として、世の中は「褒める」ことが上手な人が少ないように思う。けっこう近しい相手でも「あなたのこういうところが素敵です」って、ちゃんと伝えている人が少ないのではないか。そんなことを思っていたところ、本屋で出会った。いくつかのエッセイで構成されていて、「褒める」ことについてはそのうちの1つだけで、あとは他の話題なのだけれど、とにかく良かった。何が良かったって、高倉健さんの愛情がたくさんつまっているところ。人が好きなんだなって、がんがん伝わってくる。人好きの僕としてはたまらない。そうなんだ、人っていいよなぁって。人生で出会える人なんて、そう多くはな
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2014年11月に亡くなった名優・高倉健によるエッセイ集。飾り気のない文体で読者に語りかけるように綴られる23の小品は、時にいじらしく、時に寂しげに、時に嬉しげに、時にいじわるに、時に優しく、著者の人間味を浮かび上がらせる。本書のタイトル「あなたに褒められたくて」は亡き母への思いを綴った最終章の小品から。
とにかく高倉健が素敵すぎる。こんな俳優さん、これからの時代には出てこないと思う。飾り立てることなく、言葉に誠実で自分に正直。それほど高倉健の映画を観たことがあるわけではないが、名優として陰影に富んだ演技をされるの理解できる。同じ男として憧れてしまう程。
素敵な生き方をする人のもとには -
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「十二支のコンパス」
スタッフ達の頬がげっそりと削れて行く頃、撮影が終わる。
みんなと別れる淋しさがやって来て、また群れを離れてさすらう日々のしんどさを思うと、仕事はうまくいったのに、なぜか沈んでしまう日が待っている。
次の仕事からは、気持ちなんか入れずに鼻歌まじりで口笛吹いてやるぞ、と思いながら、また次の仕事も、きっとクランクアップがつらくなるような人達との出会いを求めてるんでしょうね。
「お心入れ」
思いが入ってないのにやろうとするから具合が悪いので、本当に思いが入ってるのに、入ってないそぶりするところが格好いいかもわかんないですね。
その他にも、、、
ウサギのお守りはチエミさん -
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先日お亡くなりになった高倉建さんが
ロケ地で出会った人々との思い出を書きつづったエッセイです。
長い俳優生活の中で
いろいろな人々との出会いがあり、
そのたびに人とのふれあいや絆を教えられたと綴っている作品が多く、
謙虚な高倉さんの性格がどの話にも溢れ出ていました。
特に私の印象深い2作を上げてみます。
●内蒙古の赤ん坊
1990年夏、高倉さんは仕事で中国の内モンゴル自治区へ行きました。
そこである女性から一枚の赤ん坊の写真を貰います。
当時の中国は一人っ子政策中。
その女性にとっては、自分の子どもの写真が宝物中の宝物でした。
「一番の宝物を見せるから、見たら返してほしい」との
内容の手