菅野覚明のレビュー一覧
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10年ぶりくらいに著者の本を読んだが、やはり彼の武士道論は素晴らしい。武士は命を懸けて戦うからこそ事実確認から入ることを重んじていた。甲陽軍鑑に書かれた脇差心。武士ならば立派な武士になろうというのが武士道の起源。葉隠に書かれた死に狂いするなかにこそ忠孝は存在するという鍋島直茂の言葉。軍隊がなぜ掃除をするかといえば戦闘者は見る存在であり、相手の油断や隙を見つけなければならない、そのためには隅々まで神経が行き届いていなければいけない。優しくできるのは強さという前提があってこそ。朝倉宗滴の犬ともいへの言葉の真意は何をしても勝てばいいということではなく、どんな卑怯な相手にでも負けてしまっては何も言えな
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本書は、新渡戸稲造以前の本来の武士道とは何かを語る書
それを、武士道の逆襲といっている。
武士とは神仏に頼らず、己の力のみを頼りにするというところがよい。
新渡戸稲造の武士道とは、”Bushido, the Soul of Japan ”
明治国家体制を根拠として生まれた近代思想である。
「武士道」とは武士のそれではなく、明治国家の近代市民の思想なのである。
本書は、それを「明治武士道」といい、本来の男道、武士道とは区別している。
本来の武士道とは、平安中期、八幡太郎義家以来徳川幕府にいたる武士のの流儀・気風を言う。
それを、「兵の道」「弓矢の道」「武士道」「男道」などという。
■武士道 -
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201309/
武士の実力は、基本的には、リアルな物質的な力の総合にある。現実に己の存亡を懸けている現場にあっては、そのことを単純に否定するような妙な精神主義の入る余地はない。ただ、そのリアルな力の現実を見据えつつ、その力を保持し、駆使し、拡大していくことができるための条件として、ある種の人格的、精神的な力が考えられていたのは確かである。/
今日の社会では、一応の建前として、自他の対立は、話し合いによって解くべきであるという考えが主流を占めている。理性的な対話こそが無垢・絶対であるとする立場に固執するならば、たとえば問答無用で切りかかってくる武士に対して、どのような言葉を投げかけうるのかを考え -
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ネタバレ【Impression】
武士道を全く持って勘違いしていた。
確かに言われてみれば、「武士道」が全て綺麗ごとで(現代的な感覚で)語られていることに違和感はある
実際、「殺人」を生業としている人たちのことで、そのような世界に身を置いている人に対して、現代の感覚での道徳がニアリーイコールとなるはずはない。
「武士」の世界の凄絶さがよく伝わってきたと同時に、頭の中の整理も出来てよい本だった
【Synopsis】
●現代の日本において語られている「武士道」は、武士の本質を表したものではなく「明治時代の国家・軍事体制を整えるため、世界に日本を説明するため、キリスト教と日本人の価値観の根底が一致して -
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明治以降の新渡戸武士道と本来の武士道は違うぞ、では本来の武士道とはなんだったのかってゆう本。
様々なエピソードや論考がとてもおもしろった。明治になって武士道が廃れ新渡戸武士道として復活するまでのところも、いきなりお家の私兵って具体的な個人の関係が抽象的な国家の軍隊にならなかったので、天皇の統帥権ってのは天皇という人格を利用したもんだとか。キリスト者が武士道を擁護してった背景に、西洋に日本にも道徳があるというのを紹介しようとしたところが大きく、新渡戸武士道もその点で本質から逸れてしまっただとか。
この本で紹介された武士の考え方で今の生活に説明がつくものも以下のように多々あって、そこは参考にしたい -
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神の存在の曖昧さを考えると、この国それ自体の曖昧さをも考えざるをえなくなる。
天照大神、天皇、日本、戦争、アメリカ…。
「自分以外にも人がいる」から、他者があったから、思想が生まれ、神が生まれ、国家が生まれ、天皇が生まれたという気がしてならない。
要するに。
怪しい、不吉な「他者」を疑う心の働きが、歴史そのものなのではないか。
自らの安心・安定こそが追求すべき正しい事柄であるとして、様々な「ラベル分け」によって、時には排除によって、人類は幸福(とされるもの)を獲得してきた。
世間で事実とされている歴史の正体って、実はその程度のものなんじゃないのか。
「その程度」のものの表面 -
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ネタバレ結果から言うと、武士道について新しい洞察を得ることができ、非常に面白い書でした。
本書ではまず、武士道の由来と内容が4章にわたって展開されます。
ここで冒頭から強調されるのは、武士道とは 「殺るか殺られるかの血みどろの現場で形成された」ということです。
この前提が一気に武士道という思想を不思議なもの、奥深いものとしてくれます。
なぜなら、武士道はなぜか「卑怯であっても勝つことがすべて」な超功利的な思想とはならなかったからです。
武士道を形成した武士道以前の現場が、「きれいも汚いもすべて出尽くした」超功利的な状況であり、おそらく「勝つことの際限のなさ」を悟ったがゆえに、武士道は精 -
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吉本隆明という思想家を、「個」のありようについて問い続けた「哲学者」として読み解いています。とくに『固有時との対話』についての突っ込んだ考察を展開しており、興味深く読みました。
人間は、単独では自然から自立することができず、みずからを類的存在とすることによって、つまり社会の共同性というもう一つの全体性の部分へと吸収されることによってしか、「個」としての自立をなしえないというのが、吉本の思想の基礎をなしています。しかし、そうした「個」は明晰判明な自己意識などではなく「違和としての自己」であると見定め、そこから思索を開始しようとしたところに、吉本の思想の特異性があると著者は考えます。そして、この -
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[ 内容 ]
存亡を懸けて自己を問う。
武士道とは大和魂ではない。
[ 目次 ]
第1章 武士道とは何か(混乱する武士道概念;武士道の原像;実力稼業の世界)
第2章 勝ちがなければ名は取れぬ(実力とは何か;勝ちがなければ名は取れぬ;朽ちもせぬ空しき名;過激な分別;有るものは有る、無いものは無い)
第3章 主君と家来(頼もしき家来;妻子の一命;恋か、忠義か;諌言は一番槍にまさる)
第4章 一生を見事に暮らす(根本は人を切ること;死の覚悟;武士のたしなみ;我一人の精神)
第5章 明治武士道(軍人精神の成立;『軍人勅諭』;明治武士道;キリスト教と武士)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 内容 ]
日本人は神さまとどのようにつきあってきたのか。
古代から近世、そして今に至るまで、多様に展開された「神の形而上学」を検証。
[ 目次 ]
第1章 神さまがやって来た
第2章 神道教説の発生
第3章 神国日本
第4章 正直の頭に神やどる
第5章 我祭る、ゆえに我あり
第6章 神儒一致の神道
第7章 神道の宗源は土金にあり
第8章 危ない私と日本
第9章 人はなぜ泣くのか
第10章 魂の行方
結び 神さまの現在
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険 -
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武士道が、最近巷で喧しいが、武士の武士道と明治期以降の武士道は、全く異なるもであるという的確な視点立った武士道についての解説書である。武士は、死と引き換えに戦闘する。根本は人を切ることであるのであるから、死は戦闘の為の引き換えになった倫理であろう。明治期以降の武士道は、その死の引き換えは、現実にはない。精々陸軍の死との引き換えがあったのであろうが、これは、国家の権力的統括の必要性もあったのであり、本来の武士道とは全く違うものであり、武士個人の責任とは違った位相で語られることとなった、と思う。著者は、明治15年に下された「軍人勅諭」は、自立した戦闘者としての武士を「私情の信義」として否定したと
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神道の内側、というか教義無き教義を見ていく意欲作。神をおとなう「客人」(まらうど)として捉える。この見方に合点がいった。著者の「力量」が見える。p77
「このように、神国という言葉は、日本という国の神秘性や優越性を直接言い表しているわけではない。神と人との独特な緊張関係において統一の成り立っている特殊な国情を第一義としてあらわしている。天照大伸の命によって天皇がこの国を統治することが定めれた時点に確定し、それが天皇のある限りに続いているのである。万世一系の天皇の統治とは、国柄の優秀性を表すものではなく、神国の特異な内部構造の要の位置に、神と人とを媒介する天皇という軸があるということを意味して