菅野覚明のレビュー一覧
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人々の平和で豊かな生活はお客さまとしての神さまを上手にもてなすことで実現するというのが、日本人の一つの価値体系の根拠をなすという見方ができる。(…)お客さまに良い物(幣帛)を差し上げ、その見返りないしお下がりで豊かに暮らすというのが、日本人の神さまとの付き合いの基本である。18
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神であるということを直ちに神聖なもの、優れたもののイメージに置き換えてしまうのは、日本の神のもつ奇しく異しい、底知れぬ豊かな奥行きを、痩せ枯れた抽象へとすり替えてしまうことになる。日本の神は、真にして善なる超越者などという単純なものでは決してない。79
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朱子学的な儒学が、人間を道徳的な存在者と定義し、道徳が完全に実現された人倫世界を理想としていたことと比較していえば、国学者による人間の定義は、歌を詠む存在者ということであり、その理想はすべての人が歌人として開花する世界なのである。202
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武士の世界のバランスは、過不及を削った適度としての中庸のことではなく、一人の人物が過激な両極端を矛盾なく体現するところの中庸なのである。両極端を足して二で割った常識ではなく、両極端をそのまま包み込む、いわば両極を超えたところにある常識なのだ。98
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一は一であるということを決して曲げないところこそ、天地宇宙を通じて唯一つ確実な拠り所である。相手が神であれ仏であれ、己れの頼むべき所はそこにしかない。これこそが、武士の発見した「哲学」だったのである。112
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自らを支えるのは、法でも道徳でもなく、自分は刀を抜く存在であるというただその一事にある。それこそが、「男道」「武士道」の、基本中の基本なのである。188
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「忠」とは、自分の主人という特定の人格に対する関係である。これが、「忠」というものに対する普通の理解であった。そのことがおそらく、帝国軍隊に、その統合の核を、国家という抽象的なものではなく、天皇という人格に求めさせた(意識的か無意識的かは別として)大きな理由であったと考えられる。250
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