私事ですが、わしの実家は千葉市の端の方にあります。市の中でも「田舎」の部類に入る場所だと思います。
今でこそ、実家は新築家屋に囲まれていますが、昔は家の前に180度、田んぼが広がり、朝には日の出の光がこうこうと家の中を照らしたものでした。
その一面の田んぼの中には一本の細い農道が走り、ここを片道
...続きを読む30分かけて小学校へ通いました。この農道の半ば、田んぼの真ん中から、遠く東京方向を見渡せば、いつも遠くに聳えていたのが「2人の黒い巨人」。
正体は川崎製鉄の2基の溶鉱炉です。学生時にアルバイトしたマツキヨでは作業着用の洗剤が飛ぶように売れるほど、地元は労働者の町でもありました。私の父も、川鉄の下請けの下請けとして、会社を起こし一家を支えてきました。時には家に生活費を入れられないほど、厳しい時代もあったようです。
この川崎製鉄千葉製鉄所ができたのは昭和26年。その前年、川鉄初代社長の西山弥太郎が千葉市への製鉄鉄鋼一貫製鉄所の建設を発表しました。この計画に対して当時の日銀総裁一万田尚登は、「ぺんぺん草を生やしてみせる」と、この計画の無謀さを非難したとか。
結果、世界銀行への借款などを通じて計画は成功。川鉄は一時代を築きました。その、恩恵にあずかり、我が一家も生活をしていたわけです。
思い出せば、2人の巨人が見えるあの農道。ぺんぺん草を耳元でサラサラ振り鳴らしながら、友達と下校したものです。
この本とは関係のないような話ですが、戦前から繋がる戦後史は、どの家庭の歴史にも繋がっているはずです。この本を読みながら、両親が歩み、わしへと続く、我が家の歴史を思い出してみました。