新渡戸稲造の「修養」と「自警」を編集した本。今まさに自分は逆境にいると思っているので、心にくるものがあった。昔のひとだけれど、言っていることは今でも新しく聞こえる。徳という言葉を聞いたのは高校の古文依頼だけど、大人になった今こそ思い出すべき言葉だと感じた。
以下心にきたフレーズ
青年が学校にいる期間は最も大切な時で、習い性はこの時代の修練によると言ってもいい。
最も必要なことは、常に志を忘れないよう 心にかけて記憶することである。
一人の利益は万人の利益、
一人の苦しみは万人の苦しみ、
一人の喜びは万人の喜びと考えれば、
世界は美しい調和に達する。
普通の人間が不満とすることも、着眼点を変えれば、愉快の種とすることができる。
いわゆる逆境があるから、我々は他人に対し思いやりの心を持つことができる。もし毎日浮かれ騒いでおもしろおかしく人生を過ごすならば、どうして人に対する思いやりの心を持つことができよう。思いやりの心を持たない者がどうして人情の本当の味を知ることができるだろう。
逆境逆境と言って、逆境ながらにその境遇を利用しようとしない者が多い
罪を他人のせいにするのは知恵が少ないからである
自分で逆境をつくりながら、他人に逆境に陥れられたかのように社会を怨む人が多いのは、とても残念なことである。
窮地に陥り勢いのなくなった人は常に初心に帰るべし
他人を羨むということは心の狭さから起こるものであるから、そうならないためには心を広く持ち、他人に及ぼす善は自分にも善であると思うように努めることだ
自分の知っていることを他人に教え、自分の知らないことを他人から教わる。知識は他人に教えても減るものではなく、その交換は物品の交換と同じにお互いの利益になるものである
同僚が出世し自分が後れても、あるいは意見が異なり敵のように気にくわない相手であっても、その人間が日本の国の力となり、国の評判を高める者なら、喜んでその者に協力する気にもなるし、羨みの気持ちなど起きないであろう
金持ちが財産を失って点を怨むのは、金を重く見すぎた過ちである。名誉も同様で、世間からもてはやされた人が、なにかの理由で評判が落ちても、それが禍いと言えるだろうか
一事に上達すればそれが他事にも通ずるのである。
どんなに技量がある者でも、最初に立てた志を継続して行わなけれ
ば、そのことは決して成功しない
嫌味や皮肉に対して取るべき手段は、僕は自分の意思を身体で表現するしかないと思う。すなわち殴るとよい。
殴るというと野蛮に聞こえるが、これは相手を苦しめようとするのではなく、自分の決心を固めるのに最も有力だからである。
徳は失うおそれも妬まれるおそれもない。むしろ妬む人を教化する力がある
徳の貯蓄はそれを行おうという意思さえあれば誰にでもどこででもできる。職業の貴賎、筋力の有無、社会的地位の上下、身体の強弱に関係なくできるのだ。