大野晋のレビュー一覧
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大野晋先生の切り口は面白い。
「もののあはれ」、「ものさびし」、「ものいひ」などの「もの」の付く古語の意味を正確につかむために、「もの」という言葉にスポットをあてて突き詰めていく。
現代では、「もの」と言われれば、「物体」としての「もの」くらいしか思い浮かばない。
しかしながら考えてみると現代でも、「物思い」など、「もの」が付く言葉がある。この「物思い」の「もの」は、決して物体としての「もの」ではない。
この「もの」という言葉を題材として、源氏物語での用例を読み解きながら、古語の「もの」という言葉の意味を解明していく。
大変面白く読ませていただき、ためになった。 -
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・大野晋「日本人の神」(河出文庫)は いかにも国語学者大野晋らしい書であつた。内容は「日本語のカミ(神)という言葉の由来をたずねてみようと」(10頁)いふものである。語源に始まり廃仏毀釈まで、いやもつと幅広い話題にあふれてゐる。その根本には国語学者の思考と方法がある。もともとは「一語の辞典」といふシリーズの1冊として刊行され たといふ。この「神」へのこだはりもむべなるかなである。
・巻頭の語源で問題になるのがカミのミである。これが大野の上代特殊仮名遣ひに関連するといふのはよく知られたところで、神のミは乙類であつて、甲類の、 例へば鏡のミだとか、上のミだとかとは別の音であるといふことである。つま -
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春の うきうきした感じを言ふためにこれを出した。それからすればこれは納得できる訳だと思ふ。では、大野晋編著「古典基礎語の世界 源氏物語のもののあはれ」(角 川文庫)にどうあるか。結論だけ記せば、「『源氏物語』以前のモノノアハレは専ら『人の世のさ だめのあわれさ』に限られていた。ところが『源氏物語』ではそれが右に見たように『男と女の出会いと別れのあわれさ』の意に片寄って使わ れてゐる。」(188頁)つまり、先の徒然とは非常に違ふのである。ただし、補足的に「『源氏物語』には『季節の推移に感じるアハレ』を いうモノノアハレがある。」(189頁)とも記す。これならば徒然と同じであらう。しかし、本書で2
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もともとが講演録だということで、とても読みやすい本です。
内容的にも、体系的にまとめられたものではなく、思ったことをトピック的に並べたもののようです。だから関心を持った部分だけを読めるようになっています。
印象深いのは最初の「未知と既知」「ウチとソト」の区別と日本語の文法との関係について述べられた部分です。ハとガの違いなどの考察を通して、日本人の心理構造にまで踏み込んで考察しています。まるで古代人の心にそのまま触れるようなスリリングな分析です。
日本語の素朴な疑問としてよく挙げられる問題が、実はそうした精神構造を土台にしたものであることが平易に解き明かされています。 -
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ネタバレ日本語タミル語起源説の大野先生の著作。神(カミ)という言葉は元々、恐ろしい威力をもったもの。神仏習合によって救助するカミと考えられるようになり、怨霊を鎮めるための仏教行事が生まれた。この御霊信仰は平安時代が起源と考えられているが、古代タミル語にもmu-iという同義の言葉が輸入されており、カミ信仰の原型は古代インドに発しているのではないか?というもの。
宗教儀式と稲作技術の用語が弥生時代に古代インドから多くもたらされたのは事実だと思う。しかし一番に気が付く問題として、日本人は南インドの人間に似ていない。遺伝学等、学際的研究が望まれる。 -
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大野晋さんの名作。
何度読んでも、新しく気づかされる。
◯「思うと「考える」の違い
「思う」はひとつのこと 、「考える」は複数を比較すること。
◯「うれしい」と「喜ばしい」の違い
個人的な満足と、社会的な慶祝・お礼。
◯「通る」と「通じる」
向こうまで見渡せること、太い道。細い道を通すこと。
◯「最善」と「最良」の違い
善行と良質と覚える。善は行為に、良は質に。
◯「は」と「が」
「は」問題を出して、その下に答えが来ることを予約。
「は」は対比。
「は」は限度。
「は」は再問題化
「は」は取り立てる、とりわけ。
「が」は、名詞と名詞をくっつける。
「が」は現象文。
「は」は問題を