陰謀論ではないが、あまり注目されていない事象として、本書に触発されての「とんでもレビュー」を書いてみたい。米不足における国民的飢餓を避けるために、日本人は戦争に突入していった側面もある、という話だ。
米の価格問題は未だに令和の市民を悩ませているが、戦後生まれの我々は日本の米の自給率は、ほぼ100パーセントで、その事を食の安全保障として重要だと認識している。
しかし、江戸や明治時代を思い出せば、度々飢饉が起きていた事に気付く。これがどうも繋がらないのだ。で、本書を読むと、戦時中に日本がアジアの米を流用していたせいでアジア各国が飢餓に陥っていたことを糾弾する内容を発見する。
もしやと思って調べると、やはり当時の米の自給率は植民地化した朝鮮や台湾の移入にも頼り、それを入れても8割程度との統計がある。小麦やパン食が普及する前の戦前、富国強兵で増えた人口を食わせていけない日本国家の拡張主義には、こうした食糧事情も一因にあった、という話だ。
飢餓を避けるための身売りの文化はそのまま地続きに慰安婦制度の原型にもなり、兵站が疎かだったために敗北したり餓死した軍人には、やむを得ぬ食糧事情があった。また、戦後アメリカからパン食を押し付けられたかのような恨み節もあるが、植民地からの移入がなくなった日本には、国民を食べさせていけるだけの“米がなかった“のだ。
この事があまり歴史で語られないのは、アメリカ側からすれば、自衛のための戦争という日本の論理を補強してしまうからでもあり、日本政府は自身の農業政策の失策を国民に晒したくないという双方の利害が一致したのではなかろうか。
世界はマルサスの人口論が警鐘を鳴らし、戦後には中国共産党が一人っ子政策を取っていたのも、「国民を食べさせていけない」という食糧不足への危機感だったはずだ。
これが改善していくのは農業機器の機械化や化学肥料の普及、戦後の農地改革や小麦等の輸入によるのである。それまでは慢性的に「飢えの恐怖」と戦わねばならなかった。
ー 植民地世界の各地で従属下にあった人びとに第二次世界大戦がもたらした大惨事については、近年ようやく学者たちが真剣な注意を向けるようになった。貿易ネットワークが破壊され、経済が混乱し、死を招く疫病や飢饉が引き起こされ、強制労働が広範に用いられるようになり、大勢の人が故郷を追われた。最大の死者を出した惨事には、貿易と運輸が混乱し、交戦国が意図的に資源を転用した結果としてアジア中に広がった飢饉があった。ベトナムでは、食糧としての米を日本が自らの必要を満たすために流用したことで飢饉が起き、一九四四〜四五年に二〇〇万人もの人が死亡した。インドネシアの各地でも同様の政策が似たような結果を生み、推計二四〇万人のジャワ人やその他のインドネシア人が餓死した。戦争に引き裂かれた中国、とくに一九四三~四四年の河南省で、さらに数百万人が飢饉の犠牲となった。
日本の植民地政策を、自衛だからといって正当化するつもりはない。また、本書は日本について中心に書かれるものではなく、あくまで主題は植民地化されていた国の目線での“脱植民地化“の話である。
だが、どうしても「飢饉」という問題からの歴史の動因の方に興味が逸れてしまった。斯様に、米の自給率に戦後の日本が何故こだわるのか、このセンシティブな問題を解決できずに混乱させた政権が、総理交代や外国人問題によるポピュリズムでやり過ごす事は避けて欲しいものである。
また、添加物や小麦を悪者にしたり遺伝子組み換えを過度に危険視する論説には、単なる健康志向という善意に紛れた“一抹の悪意“にも警戒しておく必要がある(健康志向の論理には私は概ね賛成)。
戦争は国家的飢餓の回避装置でもあった。「日米双方の利害一致による沈黙」という解釈を含め、あくまでもただの仮説にも届かぬ妄想である。信じるか信じないかは…。