藪下遊のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
私は、「正しい叱り方」がわかりません。
小さい頃は、母に感情的に叱られることが多かったと記憶しています。ただ、叱られすぎたせいか、親の顔色をうかがい、怒られないように行動するようになっていました。自分の行動の何が悪かったのかまでは、あまり考えられていなかったと思います。
そんな幼少期の自分の姿が正しかったとは思わないからこそ、子どもに対して感情的に叱りたくないと強く感じています。しかし、いざ叱る場面になると「正しい叱り方」がわからず、その場しのぎでやり過ごしてしまっていました。
ところが、子どもが2歳後半にもなると、無理なことでも自分の意見を押し通そうとする場面がかなり増えてきました。きちんと対応できるようになりたいと思い、本書を手に取りました。
最近では「褒める育児」がよく取り上げられるようになり、私のように叱ることに抵抗を感じる親が増えているそうです。
しかし、そうした社会環境の中で叱られずに育った子どもたちは、自分のネガティブな面を受け入れられなかったり、過度な万能感を抱いてしまい、不快な感情を処理できなくなってしまうことがあるようです。その結果、小学校の早い段階から不登校になる子どもも増えてきているといいます。
子どもが学校などの社会に適応していくためには、親がネガティブな面も恐れずにきちんと伝えることが大切だということが、本書を通してよくわかりました。特に未就学の時期から、親子で不快な感情を受け止め、整理していく経験を積むことで、子どもは「あなたは大切な存在だ」というメッセージとともに、自分のネガティブな面も受け入れやすくなるのだと分かりました。
叱ることは、子どもから反発を受けることもあり、正直なところ面倒だと感じることもあります。
それでも、子どもが将来、社会に出たときに適応できず苦しまないためには、親が叱るべき場面でしっかりと向き合い、子どもを納得、説得させることが必要だと実感しました。
なお、本書では「何歳から叱り始めるべきか」といった明確な年齢の記述はありませんでした。
そのため、我が家では、3歳くらいまではできる限り本人のやりたいようにさせてあげて、それ以降は社会のルールを少しずつ教え、身につけていってもらえたらいいなと思っています。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルから、「子育ての指南書かな?」、「イチローも『最近の子どもは大変だ。なかなか強く指導されることがないから、よほどのガッツがある子しか成長していけない』と言っていたな」、「経済学者の成田さんも、子ども時代に否定されることの経験は重要と言っていたな」など思いながら手にしました。そうしたことも含みますが、本書の大筋は、不登校を取り巻く環境の変化についての指摘でした。スクールカウンセラーと心理学の先生との共書です。
【はじめに】
「褒めて伸ばす」が定着しているが、それは万能ではない。「褒めて伸びるものもあれば、それでは伸びないものもある」「適切に叱ることで、子どもの成長を促すことができる」
【第1章 子どもの不適応が変わってきた現代】
・時代によって不登校の原因は変遷してきた。〔戦後〕病気や経済的困窮→分離不安(親から離れて過ごすことの不安)→「学校恐怖症」→「登校拒否」→〔1960年代〕低学年から高学年、中学生へと拡大:心理的つまずき→〔1975年以降〕受験などの教育体制の問題「不登校」→『登校刺激を与えず待つことが大切』支援方針→ひきこもり
・「学校には行くべき」価値観をもつ児童にとって、不登校は「抑え込んだ気持ち」が症状として表れたもの=学校を休むことが有効⇔「学校に行くべき」価値観をもたずに欠席+教育機会確保法(2016年)=やりたくないことはやらない
・小学生59人に1人、中学生17人に1人が、不登校(1年間に30日以上欠席)
・この10年で不登校の小学生は4.9倍、中学生は2.1倍
・社会的学習(他の人がやっているのを見て自分も真似る)も要因
【第2章 成長に不可欠な「世界からの押し返し」の不足】
・不適応の特徴の一つ「思い通りにならないことに耐えられない」
・基本的信頼感(世界に対して安心できるという実感)+能動的な力の感覚(積極的に世界に働きかけていく力)+「世界からの押し返しの経験」が子どもには必要。適切に叱られる、諫められることによってもたらされる「子どもの心の成熟」も絶対に必要。
・「思い通りにならない環境に出会った時の不快感」を親子の関係性の中で納めていくという作業は「子どもが幼い時期の方がやりやすい」→社会的な存在として成長
・「〇〇が怒るから」という他力本願ではなく、共感的に受け止めつつも親自身が押し返すことが大切。
・学校も含めて、その子どもの発達段階に応じた「自然な枠組み」を提示するべき。
・子供時代に押し返された経験がないと、大人になって押し返すことができない。
・「ネガティブな自分」に出会った時に、それを回避したり周囲のせいにしたりするのではなく、それも「自分の一部だ」と認める「こころの強さ」が必要。
・「理解できた時の喜び」が学びの意欲として機能するのは、「未熟であることへの不全感」を感じている人⇔自らの未熟性から目を逸らす人にとって学校は「耳にしたくない情報を与えられる場所」
・社会全体的に、子どもの万能的な自己イメージを下方修正する機会が少なくなり、「ネガティブな自分」を共有する経験がない。その経験不足から、自己イメージが棄損されることへの回避(人のせいにする、問題から目を逸らす)に走りやすくなる。
・「他の児童が叱られているのを見て怖がって学校に行けない」のは、「自他の境界線の薄さ」や「こころの奥底にある自信のなさ」が本質的な原因の時が多い。本質的な改善が必要。
・保護者自身が、子どもの不穏感情と向き合うことが苦手であるということが大きな原因。
【第3章子どもの「不快」を回避する社会】
・△幼少期の万能感に親が共感的に反応しないことで自己愛が適切に発達できず未熟?⇔◎「世界からの押し返し」の経験が少なく自分の不穏感情と付き合うことが難しくなった。
・子供の不快を見分けることが重要。「要らない不快」は不要。「成長のための不快」は必要。
・自分の+-両面を肯定できることが「自己肯定感」。親は子どものネガティブな面をきちんと「押し返し」つつ、「そういうあなたが大切だ」と伝えることが大切。
・児童期の子どもが身に付けるべきは「協力・競争・妥協」(米精神科医ハリー・スタック・サリヴァン)。
・「自分に合わせて環境を変えろ」ではなく、本当の個性は「他の人と同じことをしていても滲み出るもの」であり環境に関わらない、もしくは環境をも自分で変える。
・「自分のことをバカにする」と思う人は、同じ状態の他者をバカにしている人。
・親が課題の分離をきちんとしておかないと、子どもは干渉を不快に思いつつ、全ての課題は親が抱え込んでくれると思ってしまう。
【第4章子どもが「ネガティブな自分」を受け容れていくために】
・「弱くてダメなところのある自分」も自分自身の一部であると認め、受け入れることができる状態を目指して支援をする。
・子どもに「ネガティブな側面」があったとしても関わり続ける、子どもが「ネガティブな自分」を感じている時の不穏感情を大人との関係性の中で納めていく(ごちゃごちゃとしたやり取りを根気強く続ける)ことが大切。その時大人に大きな負担がかかるので、こうした親の窮状を支援することも大切。
・「思い通りにならないこともある」というメッセージを、折に触れて言葉で伝え続ける。
・子どもたちがこの世界で生きていくのに必要なのは、この世界と折り合いをつけながら「うまく巻き込まれていくこと」
・10歳前後を境に「ネガティブな自分にむき合わせる」というアプローチがやりにくく、またその効果が出にくくなる。
・子どもにネガティブな側面があってもそれを認め、「それを含めたあなたが大切」と伝え続けることが大切。
・カウンセラーは、まず「ネガティブなことをやり取りできる関係性を構築すること」が一歩。「あえて触れない」と「触れる覚悟がない」は天地の差。伝えにくいことは「一般論で言えば」と前置きする、相手の発言に「びっくりするという反応」で違和感を伝える、等の手法がある。
・問題のある親は、家庭での対応を変えず、学校のせいにすることが多い。学校に罪悪感や無力感を覚えさせる、「子どもが望んでいる」と訴える等。学校の枠組みを明確に示し、情報共有して社会的に適切な対応を心がける。
・「〇〇してはダメ」ではなく「私は〇〇してほしい」というI messageを送る。他人の言動を変えるのは難しいが、自分の言動を変えるのは比較的簡単。
【第5章予防のための落穂拾い】
・ゲーム内のキャラクターを自身と同一視することで「万能的な自己イメージ」を満たしている場合、家庭で適切な制限がかけられるかが重要。「万能的な自己イメージ」によってゲームにのめり込んでいる子どもほど、傍若無人に振舞い、家族との関係性が遠ざかっていることが多い。親は「好き放題させてしまっている」という状況に目を向け、その中から少しでも押し返せるポイントを探し、親子のコミュニケーションを復活させることから支援を開始する。
・「発達障害だから合理的配慮をする」ではなく、様々な要素を見極めて適切な「押し返し」をすることが大切。
・家庭内のルールの設定も大切だが、それをどのようにして関わっているかも考えて支援。家庭ルールに「通常から逸脱した緩さ」があるから改善しないことも多い。
・①10分を超えて叱らない、②人格を否定しない、③他の子どもと比べない、④子どもはすぐには変わらないし、親の思い通りにもならないと考える。 -
Posted by ブクログ
最近教育関係の本をよく読んでいたが、、、この本、きたー。
正直タイトルには違和感があった。叱らないが子供を苦しめる?
最近は褒めて伸ばすのが主流、いいんでないの?と思うことが半分、
確かに今の風潮、ちょっと違うんじゃないか、と思うこと半分。
読み始めるといきなり登校拒否、不登校。
時代遅れの学校なんざ行きたくなかったら行かなくてもいい、そう思ってた。
しかし読み進めるにつれ、、、そればかりではない。
子供の時からなんでも思うようになる、と思わせてしまうことが
どんなにリスクがあるか。どうにもならないことがあることを知るのも必要。
・・・そりゃそうだな。不快だから、と、自分の我儘だけ通していたら
生きてはいけない。
社会に適応することが必要だと。
社会に振れず、親の庇護のもとであればごり押しできても、
そんなの通用するわけがない。
まして親にも反発し家庭内暴力になるような子は、その後社会では生きていけない。
この本は発達障害にも触れている。
不適応と発達障害の区別は難しいと。
発達障害は周りの協力がなくては今の社会環境で生きていくのは大変。生きづらい。
しかし不適応は、、学べる。親が辛抱して学ばせる。
学ぶってのは暗記じゃない。社会で生きていくことだ。
それを子供の不快を無くす、という安易な方に走ってはいかんのだと、、
いい本だ!
はじめに
第1章 子どもの不適応が変わってきた現代
1 不登校の歴史を振り返る
まだ説明可能だった不登校/説明ができない不登校の出現/不登校の多様化・あいまい化/不登校はどんな子どもにも起こるが……
2 「登校刺激を与えず、ゆっくり休ませる」はなぜ効果的なのか?
不登校の子どもたちは強い登校圧力にさらされてきた/「登校刺激を与えず、ゆっくり休ませる」という方針について/「学校には行くべき」と反する気持ちを抑え込む子どもたち/抑え込んだ気持ちが悪さをする/「登校刺激を与えず、ゆっくり休ませる」という方針の有効性/「学校には行くべき」という価値観の意義とその変化/意味がないというわけではないけれど……
3 従来のアプローチでは改善しない事例の出現
従来の不登校支援において大切なこと/従来のアプローチでは改善しない不登校の出現/本書で目指すこと
コラム 不登校はなぜ増えているのか?
第2章 成長に不可欠な「世界からの押し返し」
1 思い通りにならないことに耐えられない子どもたち
「思い通りにならない場面」への強烈な拒否感/「思い通りにならないことを受け容れる」ために必要な経験/不快感を関係性の中で納めていくこと/「世界からの押し返し」が少ない子どもは不適応になりやすい
2 「世界からの押し返し」になっていない大人の関わり
「世界からの押し返し」を外注する/子どもの現実を「加工」する/子どもの環境を「操作」する/不快感から目を逸らすための「仲良し」/「押し返し」ができない教師
3 ネガティブな自分を受け容れられない子どもたち
私に「✓」を付けないで!/不登校の主因になり得る「ネガティブな自分を認められない」という特徴/学びの前提は「未熟であることへの不全感」/子どもたちが抱く「万能的な自己イメージ」/こころの奥底にある自信の無さ
4 学校で見られる具体的な不適応パターン
環境に対して過剰に適応しようとする/他の子どもが叱られているのが怖くて学校に行けない/他者を低く価値づける傾向と絶え間ない自己否定/苦しい状況を「操作」する/子どもの問題を抱えられない親の反応
コラム 反抗期って必要?
第3章子どもの「不快」を回避する社会
1 何が子どもたちの不適応を生み出しているのか?
本書で「自己愛」という表現を用いない理由/従来の仮説との相違点について/社会背景が子どもたちの不適応を生み出している可能性
2 子どもを不快にできない社会
学校が変わることの意味/「要らない不快」と「成長のための不快」/「褒めて伸ばす」が変質してしまっている/「やりたいこと」と「できること」/社会の風潮が学校や家庭に降りてきている
3 外界と調和することへの拒否感
「なまはげ」が教えてくれる大切なこと/「外界と調和するつもりがない」というマインド/個性とは他者との関係の中で滲み出るもの/only one とoneof them
4 外罰的な風潮の影響
「恥ずかしい」から「怖い」への推移/他責的なスタイルで生きていくリスク/「自由」と「責任」の連動性を学ぶこと
コラム それって誰の問題?
第4章 子どもが「ネガティブな自分」を受け容れていくために
1 「ネガティブな自分」を受け容れる
支援の目標を考える/「ネガティブな自分」と向き合う/「ネガティブな自分」に向き合わせるための要点/向き合わせることが効果的なのは期間限定である
2 親子関係をもとにしたアプローチ
親子関係から始めねばならないが、母屋を壊してはならない/子どもの状態像に対する親の価値観を確かめる/親が子どもの心理的課題を「正しく認識する」ことの価値/支えとしての「甘え」/「甘え」と「甘えではないもの」の弁別が絶対に必要/支えとしての「安全な対話」
3 本人との「付き合い方」
カウンセリングに来ることの意義/カウンセリングでの本人との「付き合い方」
4 学校との関係がこじれやすい家庭への対応
どんな事例を想定しているのか?/学校とのやり取りで見える特徴的なパターン/学校での対応/経過や予後について
コラム You Message とI Message
第5章 予防のための落穂拾い
1 その他の不適応との関係
従来の不登校/ゲームにのめり込む/発達障害との弁別/身体症状との関わり
2 支援の落とし穴と予防について
見逃しやすい落とし穴/家庭でできる予防の例/学校でできる予防の例
3 最後に大切なことを
子どもたちに関わる大人たち/「誰が支援を行うのか」という視点
コラム スクールカウンセラーは何をしている?
おわりに
引用文献・参考文献 -
Posted by ブクログ
ネタバレ叱らない育児が主流の現代を生きる親世代へオススメ。「〈叱る依存〉がとまらない」という本とセットで読むとバランスが良い。
子どもが社会化するということは、世界から押し返された経験を自分の中で昇華し、その上で自分を表現できるようになるということ。
世界からの押し返しを経験せず、ネガティブな自分を受け入れずに社会化することは難しい。
そのためには親が、社会から押し返されて不機嫌になっている子どもをなだめる必要がある。そうして、子どもは自分でなだめ方を学んでいく。
「不機嫌になられるのが面倒臭い」と思っていた私が、「これも大切なプロセス」と思えるようになった本。 -
Posted by ブクログ
◆「世界からの押し返し」が成長には不可欠
・「世界からの押し返し」(叱られる、止められる、など)によって現実に合わせて自分を調整していく。
ほどよい母親⇨欲求不満(思い通りにならないこと)を経験させる
・only one(個性の尊重)と、one of them(大勢の中の1人)のバランスが重要
⇨◎なんでも子供のいうことを聞くんじゃなくて、我慢させることも大事。その我慢をさせる軸を明確にしなきゃいけないなと思う。
◆ネガティブな自分を受け入れるために
「弱くてダメなところのある自分」と「弱点のない綺麗な自分」が目の前に現れた時に前者を選べる状態
ネガティブな側面があることを認める⇨ダメであっても大丈夫、と伝える
子供がさらに話したくなる対話
宿題の習慣によって、学習習慣を身につけるだけでなく、「社会からの要請にはある程度応えるもの」というマインドも身につける
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Posted by ブクログ
ネタバレ現場で不登校の子どもたちとかかわる中で感じていた違和感の正体が少し見えたような気がします。
「叱らない子育て」や「褒めて伸ばす」というキャッチーなフレーズだけが一人歩きし、「叱る=悪いこと」という誤解
叱ることは、そのあと訪れるであろう子どもの不穏な感情とも向き合う覚悟がなくてはできないことで、ただそれを丁寧に行なっていくことで、自分自身で感情をコントロールできる人間になっていく。当たり前のことのように聞こえますが、前述した耳障りのよいフレーズを盾に、不穏感情を引き受けて来なかったツケが回ってきているのだろうな、と。
さて、これをどう現場で活かすか、、、
読み込んで、自分の目の前の状況とリンクさせていきたいです -
Posted by ブクログ
■親を始めとした大人たちが子供の思いどおりになるように環境を変えてしまうことで、子供自身にもくすうしい状況を「回避」する傾向が身についてしまう。それだけでなく、徐々に子供自身が回避したい状況を「操作」するようになっていく。よく用いられる4つの「操作」の手段。
①身体症状とそれに伴うわざとらしさ
腹痛や頭痛が代表的。
②弱々しい姿─落ち込む、涙を拭わない、日記などを用いた「操作」
あからさまに落ち込む、涙を流すなど目に見える形で示そうとするのが特徴。
③不機嫌、怒り、脅し、暴力を用いた「操作」
④「操作」をする子供に多い偏食
■子供の問題を抱えられない4つの親の反応
①子供の不穏感情と向き合うのが苦手
大きく2つのあり様が認められる。
一つは「優しい」。特に父親に多い。
もう一つのあり様が「高圧的」
②人のせい・問題から目を逸らす
③罪悪感や無力感を与える
④罪悪感を帳消しにする
■成長に必要な「不快に耐える肺活量」を持つことで子供たちが「昨日の自分」よりも成熟すること、できないことを共有して「どんな自分でも、これが自分だ」と思えること、知らないことやできないことに取り組むことで「可能の範囲」を増やすことなどは全て、子供が社会的に成熟す上で欠かせないこと。
しかし社会では、子供を不快にすることを避け、できない自分を棚上げし、「やりたくないことはしない」というマインドが育つような風潮が中心になりつつある。こうした風潮が強くなってきているのは、今までの社会が子供を抑え込んできたことへの揺り戻しなのか、養老孟司が述べるような「西欧近代的自我」が導入されたことが関連しているのか、確実なことは言えないが様々な背景がありそうだ。いずれにせよ子供たちの不適応の増加は、こうした社会の風潮が学校や家庭にまで降りてきていることによって生じたと推測する。
■アメリカの精神科医であるハリー・スタック・サリヴァンは児童期の子供が身につけるべきは「協力・競争・妥協」であるとし、学校という社会に加入することは、家庭教育の歪みが是正されるチャンスであるとも述べた。学校社会の中で、誰かと協力したり競争とその結果に伴う感情を体験したりすること、自分の欲求について妥協することなど、家庭ではしなくて済んでいたことを学校社会で身を持って味わわされるということ。
■「恥ずかしい」と「怖い」では精神内界にて生じるメカニズムがかなり異なる。「恥ずかしい」という体験は自分の内側に生じた感情体験が「自分のものである」という認識があるからこそ生じるもの。「こんなものが自分の内にあるなんて恥ずかしい」という感じ。一方「怖い」という体験は自分の内側にあるものが他者に投影され、投影されたものが自分に向かってくるから「怖い」となる。例えば自分が「ある状態の人」をバカだと思っているとする。だが、自信がその状態になったとき、自分自身をバカであるとは受け入れられないので他者に投影し、その他者が「自分のことをバカにしてくる」と感じるわけだ。つまり、自分のうちにある否定的な感情体験を「自分のものである」とは認められず、それを外部にあるものとみなすために「怖い」という感情が生じる。この自分の内側にあるものを「自分のもの」と認識しているか否かが「恥ずかしい」と「怖い」の大きな違いと言える。
■叱るときのマナー
①10分を超えて叱らない
叱責されたという感覚だけが残り、叱られている内容は入らない
②人格を否定しない
③他の子供と比べない
④子供はすぐに変わらないし、親の思いどおりにもならないと考える