山崎努のレビュー一覧
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凄い本だ。
学園祭でもいいから「リア王」を演じるつもりで松岡和子訳の『リア王』を読んでから読めば素晴らしい体験になると思う。
役者の読みの深さ。
読み方の一つではあるけれど素晴らしい実例がここにある。
役者じゃなくても、このダイブは深い。
作品とこんな風に深く向き合うことはなかなかないし、良い実例にもお目にかかりにくい、
演じる以上好き勝手には限界がある。
原作にある程度誠実に向き合った上での演出やら演技。
ジェイクスピアは亡くなってるので正解は考えるしかない。
この劇の原作者が生きてるか死んでるも大きい。
生前のつかこうへい舞台とはまた違う。
とにかく二冊の本を揃えることで得難い体験が出来ると思うので是非。 -
Posted by ブクログ
読み始めた時はこの本を最後まで読めないかと思った。馴染みのないシェイクスピアの台本(改行なくページに余白なくびっしり)を読み飛ばそうかと思った。でもひとつひとつ丁寧によんでいってよかった。山崎努さんがそれらをどう捉えてどう表現するのか、その軌跡を一緒に辿ることができたから。
舞台が段々と終わりに近づくにつれ寂しい気持ちになった。
俳優という仕事は演技をする仕事ということは知っているし、なんならいつも見ているけど、あとがきの香川照之さんが言う「具体的な実態や確かな有効性が酷く曖昧な俳優という仕事」をここまで言語化し曝け出したものを拝見する機会は中々ないと思う。
そして役と徹底的に向き合う=自分や自分の家族と向き合うところも含まれている。それも惜しみなく曝け出している。
随所に娘さんへの愛情、奥さんへの信頼を感じる日記だと思ってたけど、私にとってはほっこりする箸休め的な箇所もリア王を演じる上で向き合うべきこととして箸休めではなく重要な記述なんだと感じた。
翻訳の松岡和子さんが彼女の著書でリア王に父親との思い出に触れたように、娘を持つ父親である山崎努さんはリア王を演じるからこそ自分の家族のことも避けては通れない向き合うべきことなのだ。
「人は皆己の身の丈にあった感動を持つべきなのである。読み齧ったり聞き齧ったりした知識ではなく自分の日常の中に劇のエキスはある。日常を見据えること。」
この本が発行されてだいぶ経つしもう山崎努さんも87歳と知って驚く。リア王の時は60-61歳、もう20年以上たっている。
正直不動産を観ているときに偶然この本を見つけたのがきっかけだがこの本に出会えて良かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ名言の嵐で、読むたびに内容の濃さと熱量に圧倒されます。
ひとつのことをつき詰めた人には、実際神が宿るんだなあ…風姿花伝ぽい。現代の風姿花伝。
朗読を習っているので、練習中の思いを呼び返しつつ読むとさらに重みが増します。「俳優は登場人物に溶け込んで消えなければいけない」というくだりには濃いマーカーが引いてあり、マーカーやら書き込みやら本がもうカラフル。
山崎さん、思いを文章にして世に出していただいて本っ当にありがとうございます(拝礼x10)
一人芝居で、舞台上で兄と対話しながら兄の具体的な人物像を脳内に浮かべられないでいた時、後で観客から「兄が見えてこなかった」と言われた、というお話にわあーと思いました。演じ手の頭の中にあるものって、(十分な技術があれば)目に見えなくても正確に観客へ伝わっちゃうんだなと。
ジュディ・デンチのくだりでは猛烈に実物を見たくなって、「チャーリング・クロス街84番地」の映画を見始めたらすごく面白くて、今度はその原作が読みたくなって…(映画にジュディはそんな出てませんでしたが)
そんな連鎖式読書も楽しいです。 -
Posted by ブクログ
「『リア王』の稽古は一九九七年十二月から始まる。初日が年を越して一九九八年一月十七日だから約一ヶ月間、休日と舞台稽古を除いた稽古実数は三十四日である。〜 この日記は、稽古開始四ヶ月前からのものである。」
この一文から全てが始まる。
まず、この本を知ったのは、ある女優さんがブログで紹介していたから。
短く簡潔な一文だったけれども、とても読みたくなる一文だったので、翌日には、即購入。
とても、濃密な読書体験でした。
「走り書きで書いたもの」でありながら、準備段階からの「リア王」のイメージ作り、毎日の稽古の内容、些細な日常での出来事など、かなり丁寧に、子細に書かれている。
山崎さんの肉声が聞こえるような文章である。
(自分は、脳内で山崎さんの声に変換して読んだので、読み終えるのにかなり時間がかかってしまったが、濃密な読書体験だった)
いかに、山崎努さんが、「リア王」という役に向き合い、取り組み、妥協を許さず、一人の俳優として生きているというのが、文章の端々から感じられるのである。
稽古に入ってからの、日記が本当に圧巻である。
台本をもとにした、細かい修正内容や、その日の発見、ありとあらゆることが書かれている。
セリフの内容、舞台での体の動かし方、演者との間などなど、そして、日々変わる「リア王」のイメージを丁寧に書き留めている。
舞台稽古で、かなり疲れているだろうが、休むことなく日記が綴られる。しかも、かなり細かく、長く、丁寧に書かれている。
「リア王」に身を捧げているようで、迫力がある。
鬼気迫る内容もある一方で、休日における家族との心温まるエピソードや、友人との話も書かれており、一人の人間としての一部も垣間見られるのもよい。
(あの独特な“微笑み”が頭に浮かびました)
舞台本番数日前〜当日、本番前数時間前、直前の心境まで書かれているのも、すごい。
公演が始まってからの日記は、その日の公演内容についての善し悪しが書かれている。
「完璧」というものはないだろうが(追い求めても追い求めても、届かないものだろうが)、飽くなき探究心で舞台に望んでいることに胸を打たれる。
本書は2000年に単行本として刊行され、2003年に文庫化され、2013年に新装版として同じく文庫として出版された。
書かれた時は1997年〜1998年のもので、今からもうすでに、約20年以上前のことだが、色褪せることなく、今もみずみずしく感じられるのは、この『俳優のノート』という「日記」にそのすべたがつまっているからだろう。
俳優の香川照之氏が「解説」を書いている。
本書を読んでいて、自分が感じながら読み進めていたことと、ほぼ同じこと書いておられたので(失礼)、少し長いが冒頭部分を引用する。
「あなたがもし俳優ならば、あなたは即刻この本を『教科書』と指定すべきである。そして神棚高く飾るべきである。さらに、その日の自分に有用なしかるべき箇所を読んでから、毎日仕事場なり舞台なりに向かうことを強くお勧めする。/一方、あなたがもし俳優でないなら、俳優という人種がどれだけ『演じる』ことにおのれの精魂、人生、意識、肉体、信念を注ぎ込むことが可能であるのか、その最高レベルの探求をとくに堪能できたことだろう。」
「神棚に祭るべき」というのは、やや大げさ(ユーモラス)であるが、まさに香川氏の述べる通りであり、この「解説」も秀逸な文章で、読み応えがある。
山崎努氏の舞台『リア王』を追体験ではありながらも、希有な体験を得られる、とても素敵な良書である。
お薦めしたい。
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Posted by ブクログ
フリーマーケットで100円で売っていて、タイトルと概要は前から知っていたので買った。帰りしなに、その店の店主の知り合いらしきお婆さんが「きっと良い本買われたと思いますよ!」と声を掛けてきた。内心で、そんなこと分かってるよなんて思いながら帰ったのだか、読んでみて自分の生意気さを恥じる結果になった。良い本だ。この本に出てきた本で、読みたくなって買ったものがいくつかある。俳優業の中で培われたのだろう筆者の言葉も有難い。曰く「人生で避けるべきは危険ではなく安全」なのだそうだ。しびれる。こんな老人になりたい。
フリマで声を掛けてきたお婆さんは本の内容を知っていたのか、あるいは何か感じるものがあったのか。。いずれにしても年長者の一言はゆめゆめ侮ってはいけない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ俳優業、演技について言えば、僕は役の人物の世の中とうまく折り合えない部分を探し、そこからキャラクターに入っていくクセがある。
言葉なんか覚えるんじゃなかった、と嘆いた詩人がいたが、それを言うのも言葉、僕らは言葉に縛られている。世の中、言葉で出来ている。
しかし、言葉に対する以前のもやもやした感情、あるいは突然湧き上がってくる情動といったものが人にはある。これらは出来立てほやほやだから、まだ頭脳の検閲が済んでいない。その分、新鮮で刺戟的。当然危険性もあるのだが。
作文などとは違って俳優の演技は心の動きと表現がほぼ同時に進行している。生きのいい演技ほど心の動きを「言葉」に整理する時間がない。
一方、演技には物語を伝えるという大きな役割がある。物語を失くしたらキャラクターの居場所もなくなるからだ。そして物語は言葉で成り立っている。
いずれにしても、あらかじめ決められた瞬間など人生にはない。とはいえ物語は不可欠である。台本の決定された言葉からどのくらい自由になれるか、その按配が難しい。
おもしろい出来事があった。われわれの稽古は、まず机について台本を読み合わせる作業から始まる。それぞれ独習してきた成果がありキャラクターの輪郭が見える。何日かして大きな役の俳優が欠席し、せりふのない若者が代読した。全くの棒読みで、舌が廻らなかったり読み間違えたりするのだが、力が抜けていて新鮮、説得力があるのだ。役の人物、その心の動きがよくわかる。引き込まれてしまう。これにはびっくり。
役を与えられた俳優は、日々手がかり足がかりを探し、それを頼りに前へ進もうとする。つい、それまでの成果をなぞってしまう。これがいけない。例えばお習字はなぞった瞬間、命を失ってしまう。新しく一気に行かなければダメ。演技も同様。代読の若者は拙いながらもまっさらの白紙に何かを書きつけた。勇気を持って投げ出すこと。守ってはいけない。
白紙にリセットする、これが大事だと思う。シャーロック・ホームズが名探偵だったのは警察のような既成の操作方法を知らなかったからだというアマチュア論がある。素人には専門家にはない自由さがある。だから僕はプロになりたくない。長く仕事をしていればなにがしかの技術が身に付く。でもそれは舟底に付着した貝殻みたいなもの、がりがりと削ぎ落とそう。余計な猿知恵演芸は捨て裸でいこう。すっぽんぽんで最後の挑戦をしよう。
山下「自分をさらけ出すことの恥ずかしさ、自分が自由になることの喜び」って言葉も書かれていますね。イギリスの俳優ジョン・ギールグッドの言葉。
山崎 それは気に入ってる言葉なんだ。やっぱり、演技するっていうのは自分をさらけ出すことだから恥ずかしいよ。露出狂じゃないんだから。でも、それをやってうまくいくと、自由になれる。その快感は忘れられない。
山下 僕も恥ずかしいと思わない表現者は馬力がないように思います。
山崎 自意識の壁って厚い方がいいんだな。逆に壁が薄いと簡単に自己表現できちゃうんだけど、自意識のあまりない人が演技をしても面白くない。自意識の壁が厚ければ厚いほど、突き破って外へ出たときの勢いが強くなるんだ。表現するのが恥ずかしくてたまらない。でも、それを突き破らなきゃって衝動に動かされたときに出るエネルギーが表現にとっては大事なんだと思う。