布施由紀子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2017年の極右団体によるケンタッキー州のデモ行進の取材が中心であるため、情報が古い。
ヴァンス副大統領を生んだ州に生きる人々の生の声が聴けるが、彼らの誇りを奪われた喪失感がトランプ大統領に傾倒した理由なのだろうか。レッド州の極右団体を中心に描かれているため、ブルー州の極左団体について比較してもらえるとより分かりやすかったと思う。
「民主党は肌の色とジェンダーと性的アイデンティティしか気にかけていない。共和党は愛国心と税金のことしか頭にないんです」
「あの人たち〔極左派〕は注目を集めようとして、自分たちに賛成しない人をレイシストと呼ぶんです」
「極左派は、思想狩りや言葉狩りをして人の人生を台無しにする気です」
「おれはいんちき俺は差はと(フェイク)レイシストなんです」
「おれは左派と考えがぴったり合うわけじゃないから、連中から見れば、おれはフェイク・レイシストってことになるんだろうと思うんです」
インタビューに応じた人々の中で、デイヴィッドの言葉が一番心に響いた。 -
Posted by ブクログ
壁、というのは、共感の壁。米国の左派と右派の間の壁。
トランプ大統領が最初に選ばれた時の「理由」を分析したというか、「右派」をフィールドワークした本。
インテリ層が、「右派」をフィールドワークの対象にするというところ自体がもう、分断の深さであろう。全く理解ができない研究対象なのだな。
右派もわけわからん。
仕事が欲しければ環境はどうなってもいい的なところに完全に目を瞑る。
政府は悪だが、州は味方。
みんな都合のいいところばかり信じている。というか、明らかに利用されてる感じはある。
昔は良かった。あのままならアメリカンドリームもあった。
「なにか」がそれを壊した。俺たちの列に、本来入るべきでないものたちを割り込ませている。なぜ、俺たちは何も変わってないのに、こんな目に遭わせる。
名誉と、信仰と、税金、だっけ。大事なもの。わかる気もするが。
国の起こりがそもそも、欧州の伝統から逃げて来た人たちだし、大した歴史もないし。
綺麗事の下には、今だけ俺だけ金だけという、どこぞの奴らとあんま変わらんマインドがあったりもするし。
ディープストーリーという考え方とか、偏見なく、またあってもそれを修正しつつ書かれている、本としてはいいと思うのだが、まとまりがないと言えばまとまりもない。 -
Posted by ブクログ
左右両派の対立・分断が深まるアメリカ。保守派はリベラル派のことを、怠け者を助け道徳を損なうとみなし、リベラル派は保守派のことを、頑迷な愚か者だと考える。まったく違う価値観ゆえに、両者はまるで違う国に暮らしているかのようだ。
代表的な「青い州」カリフォルニア・バークレーに暮らすリベラルな研究者である著者は、「赤い州」ルイジアナのティーパーティ支持者たちを、2011年からトランプ大統領が誕生した2016年までの5年間にわたって訪ね、インタビュー調査を行った。リベラル派と保守派の間にそびえたつ「共感の壁」を克服しようと、事実に関する分析の多くは補遺に置くなど、研究書というよりも旅のエッセイのように、極右派を支持する人々の心情に分け入っていく。
本書でなによりも衝撃的だったのは、豊かな自然で知られるミシシッピ流域に広がる汚染の、尋常でない深刻さだ。石油産業の排出する化学物質によって、木々は立ち枯れ、カメの目は白く濁り、川の水を死んだ家畜は死ぬ。地域の人びとの間には癌が多発している。川に落ちた馬は、全身がゴムのようなものに覆われて死んだという。
2012年には湖の底に大穴が開いて、湖水や周囲の膨大な土地を飲み込むという、まるでSF映画みたいなことが起きた。さらにその穴から毒素が地上に噴出してくる。なんといくつもの企業が、この土地の地下にある岩塩を採掘するだけでなく、地中にできた穴に汚染物質を捨てていたのだ。
住民たちは、自分たちの生活と健康を損ねた企業に対する賠償や規制強化を求めたか? 彼らは、連邦政府は何もしない泥棒であり、環境保護主義者たちは気にしすぎだという。そして自分たちのチームの一員だと考える石油会社に対するいかなる規制にも反対した。その結果、権限も予算もやる気もない州政府に残された仕事とは、水銀に汚染された魚を釣って食べる人向けに、皮や脂身をできるだけとりのぞくようアドバイスするだけだ。人々は環境汚染からなるべく目を背け、今までどおりに漁や狩を楽しみ、政府に依存せず、自助と信仰にもとづく生活を前向きに続けようと努力しながら、ティーパーティを熱心に支持しているのである。
この、理性によっては理解できない人々の反応を理解するために、著者は、象徴的な感情の枠組み、「ディープ・ストーリー」に着目している。ルイジアナ州の保守派の人々が共有するその心象風景とは、丘の向こうにあるアメリカン・ドリームを手にするために、自分は何年も長い列に並んで辛抱強く待ってきた。しかしいつまでも叶えられそうにない間に、列の前方には、女性や黒人や難民たち、動物たちまでもがどんどん割り込んでくる。その不正を手助けしているのが連邦政府だというものだ。
この解釈によって、痛めつけられながらその巨大な足を支持する人々についての理解が容易になるかというと、正直なところ、なおよくわからない。ただ少なくとも、我慢に我慢を重ねた人々はいつか臨界点に達したとき目が覚めて爆発する、という革命の夢もまた、右派のストーリーと同じくらい現実味がないことは確かだ。気候変動や環境汚染などあきらかな危機が迫っているように見えたとしても、多くの人びとは、自分のもっている解釈枠組みを通してしか世界を見ない。圧倒的な力の前に逃げ場をもたないと感じる人たちにとっては、権力が提示するレンズを受け入れ、それを通して世界を見ることの方が、より心地よく感じられるのかもしれない。
とはいえ、アメリカは独裁国家ではなく選挙が行われる民主主義国家だ。どれだけ環境の危機が目前に迫っていようが、圧倒的な産業の持つ構造的権力をなかなか否定しがたいというのも、福島原発事故を見れば一定程度は理解できるものの、それでもここまで現実から目を背けて、自らの被害者性を認めようとせず、むしろ政府による規制や再分配を否定しようとするロジックが、なぜアメリカにおいては政治的にこれほど機能してしまうのか、やはり謎は深まる。
いずれにしても、もうひとつ強く印象に残ったのは次のことだ。ある地域が企業の投資先に選ばれるためには規制を強くしてはならないと言う人々がいる。しかしそれは企業の側からすれば、どんなに有害な影響をおよぼそうが、最も抵抗する可能性の低い人口になるということなのだ。なぜわたしたちは自らそのような犠牲者の位置にすすんでつこうとするのか。謎はまだ探求されねばならない。 -
Posted by ブクログ
環境汚染について、日本よりも遅れてる?また学歴も?両極化が進んでるのは知っていたが、ここまでとは。保守派って本当に保守なんだな。トランプの「アメリカファースト」にくすぐられている人々の鬱屈、アメリカの一つの姿が見えた。
石油工場で働く人々の多くは共産党保守派を支持していて、熱心なハンターで釣り師だ。彼らは故郷の素晴らしい大自然を愛しているが、彼らはしばしば法的にその自然を汚染する産業で働いている。養うべき家族もいるし、環境保護運動や自分たちを窮地に追い込みかねない連邦政府の措置を支持することには慎重だった。環境と仕事のどちらを取るか?ノスタルジアに傾きすぎるのはよくない。だが飲めない、泳げない、釣りもできない、我が子の洗礼もできない川を作ってるのは自分たち。大いなるジレンマ。
仕事か、綺麗な環境かどちらかしか選べないという心理操作。それと抵抗する可能性が最も低い住民性(南部か中西部の小さな町暮らし・学歴は高卒まで・カトリック・天然資源を利用する職業・保守的・共和党支持・自由市場を擁護・社会問題に関心がない)
ディープストーリーとは「あたかもそのように感じられる」物語の事。感情が語る物語。それを知る事で相手とより良い関係が築ける。
列に割り込む人々。女性、移民、難民、黒人…あなたのお金はあなたが管理も同意もしていないリベラルの同情と言うざるに注がれて、湯水のように使われている。あなたが若い頃に巡り会いたかったと思うような機会に彼らは恵まれている。あなたはルールを守っているのに、彼らは守っていない。割り込みをされてあなたは後に押しやられているような気分になる。あなたのような人労働者層中間層のキリスト教徒の白人は人口に占める比率自体が減っているので尊厳が薄れつつあるような感覚に苦しんでいる。自分だってマイノリティーだと言いたいがかわいそうな自分を憐れむ人々のパレードには変わりたくない。あなたは2つの思いの間で身動きが取れなくなっている。同じような人々が政治運動を進めている。それがティーパーティーだ。 -
Posted by ブクログ
一見すると米墨国境の向こう、つまりメキシコ人のことかと思うようなタイトルだが、「壁」とは心理的な壁のことで、民主党支持のリベラル思想を持つ著者が、共和党右派の考え方を知りたいと思って行ったフィールドワークの本。規制が緩く環境汚染がひどい南部の町で、なぜ、環境保護規制に反対する人が多いのかといったパラドキシカルな事実を現地でのインタビューから分析している。中々重たい中身だし、アメリカ気質、特に、南部人の基本的な考え方を知らない故に、内容がよく理解できたとは言えないが、白人男性というだけで、黒人とか性的少数者などの「マイノリティー」の問題について差別主義者のように扱われかねないという懸念やフラストレーションは分かるような気がする。政治的に正しいことでも、それを押し付けられるのはごめんだという考え方は、国を問わず、人々の間に溜まってきていて、ポピュリズムのような形であちこちで噴出してきているのではないだろうか。その意味で、本書が書かれたことは、著者の先見の明を感じる。