本書は、資本主義の矛盾点を指摘し、新たなる社会システムへと移行することを促す。
まずフレイザーは、資本主義を単なる経済システムとして捉えることは不完全な視点であり、それだけでは見落としてしまう資本主義の問題があるという。そこで、資本主義を、「制度化された社会秩序」として拡張して捉え、「資本主義経済」ではなく、「資本主義社会」と定義する。この視座に立って確認できることは、資本主義は経済的な条件のみならず、他にも四つの「非経済的な」条件の上で成り立っていることだ。そして、そうした条件があるからこそ、資本主義社会は、非経済的な現象に対しても強い影響力を持っている。その四つの「非経済的な」条件とは、収奪/搾取の分離、経済的生産/社会的再生産の分離、自然/人間の分離、経済/政体の分離だ。つまり、資本主義は、カラーラインを境界に人種的弱者から「収奪」し、「社会的再生産」を低価値に位置付けて社会的弱者に結びつけて現場を疲弊させ、「自然」をその自己回復能力を頼みに荒らし、経済と「政体」を切り離し、公的権力を疎かにし、余剰など社会形成の問題を資本が決定し、民主的決定ができなくなっている。すなわち、資本主義は自身が強大に振る舞うために、これら「非経済的な」条件を犠牲にしているのだ。そしてフレイザーは、こうした条件が資本主義自身の存立の条件として成り立っているのにも関わらず、資本主義自らがそれらを侵害し、不安定化させている点であり、資本主義社会を共食いの象徴として「ウロボロス」に例え、資本主義の自滅的性質、矛盾的・不安定な性質を指摘していることも注目だ。
しかし、のちに新たな社会システムとして構想される「社会主義」に対して、それが具体的にどのようなものになるかはナンシー・フレイザー自身まだ考え中のようだ。資本主義の抱える矛盾点に対応できそうなものとして、社会主義を挙げるのはいいが、それがどこまで通用するかの構想はさほどされていない。しかしフレイザー自身、社会主義としての構想の正解が見つかっていないのは自覚しており、そして本書の主眼はおそらく資本主義の矛盾点に対する抗議のはずなので、そこまで問い詰める必要もない。
これら四つの条件は、それぞれ2章、3章、4章、5章で詳述・考察されている。そして、それを踏まえて、6章では新しい「制度化された社会秩序」として、資本主義の概念同様に拡張された「社会主義」について構想している。
「資本主義の本質を理解する上で第一級の文献である」と宣伝される本書は、まさしくその価値がある本だと思った。新自由主義など、現代資本主義について多少の知識があるとかなり読みやすいだろう。また、本書は資本主義を、もっぱら「経済体制」として見るのでなく、「社会秩序」として捉えることを大前提とし、それがいかに「非経済的な」ものから成り立っているかについて鮮やかに暴き出している。その本書に一貫している論理構成から、ナンシー・フレイザーが現代の思想家として目されるだけの人物であると思った。また、ナンシー・フレイザーは名前ばかりよく聞くので今回を機に熟読できたのは良かった。ただ、その丁寧すぎる手腕のせいか、2章、3章、4章、5章で、どの段階の資本主義社会でもそれが言える、ということを示すために、四つの資本主義の段階を時系列的に展開し、いちいち説明しているところを読むのは少々面倒だった。本書的には必要なんだろうが、読者的にはそこはあまり面白くなかった。