キム・ウォニョンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いつかのkbookラジオで、著者キム・ウォニョンさんが紹介されていて、それ以来ずっと読みたいと思っていた本書。訳は、五十嵐真希さん。
どんな障害を持っている人も、マイノリティの人も、すべての人が等しく尊重されなければならない。ほとんどの人が、この言葉の意味理解できるだろう。
しかし実際、それを実現するために、社会として、社会の一人の構成員としてどうあるべきなのか。
それを徹底的に、あらゆる方向から理論立てをしたのが本書である。全ての人に向けて、全ての人が尊重されるべきであるということを証明するための弁論だ。
著者の経験や、読んだ本、見た映画など色々な場面で接したエピソードを交えながら、人が -
Posted by ブクログ
衝撃を受けました。
どれだけ自分視点で物事を見ているのか気付かされました。
そして、出逢えて本当に良かったと思わせてくれる一冊でした。
障害は欠如なのか?はたまたアイデンティティなのか?
「欠如」という言葉に抵抗をおぼえる人は多いと思うが、障がいを矯正や治療で治すという考え方自体、「欠如」だと捉えている事に他ならないのではないか。
非障がい者は障害を根絶する事又は目立たなくする事に重きを置くが、当事者は本当にそれを必要としているのか。
現在の技術で障害者の不自由を一切取り除く事は不可能である。それを理解した上で、多方向からのアプローチが必要なのだと思う。
本書で取り上げられた事例の多 -
Posted by ブクログ
とても興味深く読んだ。本書では、障害者が身体とテクノロジーを結び付けることを「サイボーグ(ないし障害者サイボーグ)」と呼ぶ。
作者の一人キム・ウォニョンさんは弁護士にして俳優であり、骨形成不全症のため車椅子生活をしている。もう一人の作者キム・チョヨプさんはSF作家であり、後天的な聴覚障害者である。世代も障害も異なる二人の当事者が、客観的に、また時に主観的に、正常性の規範を押し付けられる障害者の在り方を綴る。それは韓国の障害者事情でありながら、普遍的なテーマである。
本書からはいくつかの刺激的な論考がすくいとれる。
どこまでが人間の身体なのか。一握りの富裕者しか使えないテクノロジーに意味はあ -
Posted by ブクログ
ネタバレ車椅子生活を送っている著者が障害者や性的マイノリティ、他と違った容姿の人に対する社会の偏見に一石投じた人権書。
結構専門的な内容もあった。
世の中には一部、普通と異なった点を持ち、それが足枷となり苦しんでいる人がいる。
そういった人が苦しむ理由の大部分は、異なった点による直接的な弊害ではなく世間からの目、理不尽な決めつけにある。
障害者は生きづらいだとか、醜い顔立ちの人はモテないだとかいうマジョリティーによる偏見や傲慢な考えに首を絞められていく。
そもそも排除する側、される側という位置づけ自体間違っているのに、誰だって場所や状況が変わればマジョリティにもマイノリティにもなりうるというのに。 -
Posted by ブクログ
以下、障害への違った視点を教わった。
・障害を治療矯正できなかったものとネガティブにとらえるのではない。
・健常者に近づかせるためのリハではなく、補聴器より表字サービスとか、自分で生きやすい方法を選べるといいんじゃない?
・でも高価な車椅子とか使ってたら、白い目で見られる。非障害者の価値観のなかで生きるジレンマ。
・非障害がつくるもの、思い描くユニバーサルデザインなどゴールを決められて、ユーザー側にいるだけでなく、自分で決めたい。
・障害をオープンにする方が生きやすいと思ってたけど、それが関係性や仕事上の支障になる可能性もある
・障害者は技術を使って、健常者に近づく努力をし、喜ぶ人でないとなら