アニーエルノーのレビュー一覧
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とても感動的な本。外部からの「苦痛」であるパッションを、それに捕らわれながらもなお明晰さを失わず、自立を保っている。そんな彼女の文体は、彼女のパッションに限りなく近い。書くことと愛することが同義であるように。シンプルな情熱、それはとても純粋で、冷たい透き通った水のよう。直截的な表現で少しも自分を誤魔化さず、真摯に自分と向き合うことは、ひどく恐ろしいことだ。一歩間違ってしまえば、狂人になりかねない。それでも彼女は真正面から自分を受け止める。甘いことも、苦いことも、激しいことも、捌け口のない欲望も、かっこ悪くみじめな自分も、しっかりとした目で見据え続ける。そこに留まり、パッションを受け続けた者だけがたどりつくことのできる境地を、ついに見出すことができるまで。すべてを奪われて恍惚と立ち尽くす自分の姿さえ、彼女の眼は冷静に見つめる。
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Posted by ブクログ
非常におもしろい。
無駄な比喩がなく、本質が凝縮されたような文体。つまり、出来事の語りと視点の語りがうまく混ざり合っていた。
視点にはキリスト教や常識など文化的なものもあるし、立場や個人的な感情に立脚してもいた。
『若い男』では、周りの人から特別な意味で「見られてしまう」自分たちの関係を、そうした見方とのあからさまな対立を持ちだして掘り下げていくのではなく、相手をプライベートな人間と見なして、つまり好きな人間として相手と関わっていて、それにまつわる感情と知性と官能を描いていた。相手をあるカテゴリーに当てはめることはしてるけど、そうすることで相手を理解しようとかそういうことじゃなくて、自身の相対化に結びつけている。
『もうひとりの娘』では、両親への反抗を描いているというよりかは、愛の不在時における孤独と知性と共に生きる女性の、死者との袂の分かち方、自身の存在理由、書き続けることのあり方を掘り下げようとしていた。
感情や官能の作家というよりかは、孤独や知性の作家。自身の存在形式にえげつないほど敏感な作家なのだろう。 -
Posted by ブクログ
表紙のスーツ姿の女性が、まず実母と重なって…手にとった一冊。こんな色が好きだった母親を想って。
「歪な関係」を抱えた人、特に親と…少なくはないと思うけれど、そんな人には共感する部分が多い作品だと思う。私的な感情を感情的に語りすぎず、適度にクールな点がより「母親」像を浮かび上がらせていると思う。 同じように、母親の異常に気づき、部屋を片付け、施設を探し、入院、他界まで…一年という時間の中で過ぎていった嵐のような昨年を振り返った。
作中の母親と実母とが重なる部分が多く、特に認知症を発症してからの様子が手に取るようにわかるため、切なくて思わず涙。
個としての輪郭が無くなっても、やはり親と子としての情愛は残るもの。時間が経てば経つほどに、確執の記憶はより澄んだ思い出へと変化するもの。
人の愚かしいところでもあり、救いでもあると改めて感じた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ
『シンプルな情熱』
フランスの作家 アニー・エルノー の
自分自身の体験を語った問題作♡
【早川書房創立80周年記念
ハヤカワ文庫の80冊】
今、ハヤカワ文庫の帯には
各界の著名人による
推薦コメントが書いてあるんですよね!
この『シンプルな情熱』の帯は
金原ひとみさん 素敵でしょ(ღ*ˇ ˇ*)。o♡
なんて書いてあるかと言うと……
「ここまでの超常的な
俯瞰視点の達成は、
事件と言えるだろう。」
ですって!!!!!!
もう 嫌んなっちゃう♡
わかるなぁ
1993年1月に単行本として刊行
その時に 山田詠美さん や 小池真理子さんが
絶賛していて その時に読んだ記憶が
あるのだけれど 覚えていないのぉ
…で、今回改めて読んでみました♪♪
「昨年の九月以降わたしは、ある男性を
待つこと───彼が電話をかけてくるのを、
そして家へ訪ねて来るのを待つこと以外
何ひとつしなくなった」
妻子ある若い外交官と不倫の関係になり、
自分を見失う程に彼を
ただシンプルに情熱的に彼をおもう
ある夜更け、ふと、エイズ検査を受けてみたいという気持ちが湧き起こった。
「せめてそれだけは、あの人が私に残していったということになるもの……」って
凄すぎるでしょ
そんな感じで ずっと ずーっと
相手を思い続けるの
その情熱は激しくって単純
これが自分自身の体験だったりするから…
時代を感じてしまう。
今はこんな不倫の体験なんて
語れないでしょう?
解説は 皮肉にも 斉藤由貴さん
この小説が如何に好きかを
伝えているの
情熱的にね♡
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Posted by ブクログ
「彼をもう一度自分のものにしたかった」
当時真実だったただ一つのこと、私はそれをけっして口にしないつもりだったけれど、それは、「あなたと寝たい、そして、あなたにもうひとりの女性を忘れさせたい」だった。他のことはすべて、厳密な意味において、フィクションにすぎなかった。
これが嫉妬の誕生でしょう。
精神と肉体のステータスを満たすもの、満たしているものを喪失する、奪われる危険性にたいしてだとか、自分が手にできないものに対して抱かれるのではないでしょうか。
また、それにたいして"努力をしていない"であったり、"努力の程度"が低い者ほど強く抱く傾向にあると感じます。
それには個人差があり、人や物に対しての関心の度数、指数的なものなのかとも…
たいていの場合、その事柄に囚われ、占拠、占領され、用事として忙殺されているのは自分だけなのですが…
それを理解していたとしても、それを作り出している環境、状況が変わらない限り、なかなか解放されないものだとも感じています。
サルトルがいう「他者の視線の中での自己の位置づけ」という考え方を認識するのも大事かと思います。
作者は書くことによってしっかりその事実を認識し、それからの解放を試みます。それは彼女にとって"やり方"であり、もっとも有効な手段だったのです。
時折、次のような可能性を垣間見ることがあった。もし彼が私に突然、「彼女とは別れる、きみのそばに戻る」と言ったなら、私は絶対的な幸福の一分間、ほとんど耐え難い感動の一分間ののちに、エネルギーの尽き果てた感じを、オルガスムのあとの体の弛緩に似た精神的弛緩を覚え、そして、自分はいったいどうしてこれを得ようとしたのだろうと自問するだろう。
では、自分にとっての解放の手段は何か?
"それが全ての世の中ではない。この世は相対的である" あくまでも人生の主人公は自分自身であり、その舞台でスポットライトを浴びているのは自分なので、嫉妬なんかしてたら"カッコ悪い"ので、カッコよく生きる思考に転換しないとですかね。 -
Posted by ブクログ
アニー・エルノー『嫉妬/事件』の次にこれを読んでみる。
ひとりの女性の幼少から大人まで。
独り言をまくしたててるような、短い分の連なり。
特に少女から大人に移行していく十代後半の脳内は、特有の悩みが充満する。比較、否定、肯定…繰り返し。
この十代の気持ちが必死に一つに、自分のアイデンティティにしようともがいている様子から引き込まれるように読んだ。自分にも覚えがあるからだろう。
結婚してからの現実。よくある不満だ。女はこうであらなければならない、男はこうあるべきだからね。
夫婦がどちらもバランスよく過ごすとしたら、話し合いしかない。
話し合いができないなら、どちらかが我慢を強いられることになる。
私だったら、主人公のように追い込まれるなら、怒り爆発で喧嘩するけどね。
小さな子の子育てと仕事だと、仕事してる方がラクと感じる場合はある。そっちの方が多いかも。
ブラックで働いてる人はどうしようもないけど、仕事にやりがいとか面白さがあれば、子育てより面白いからね。
仕事して、家に帰ってご飯があり、ちょこっと子供相手してくつろげるなら、そりゃ精神的にもラクだわ。
やっぱり、子育てと家事は当たり前になるぐらい分担する、助け合う関係じゃないと、どっちか壊れるね。