アニーエルノーのレビュー一覧
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「彼をもう一度自分のものにしたかった」
当時真実だったただ一つのこと、私はそれをけっして口にしないつもりだったけれど、それは、「あなたと寝たい、そして、あなたにもうひとりの女性を忘れさせたい」だった。他のことはすべて、厳密な意味において、フィクションにすぎなかった。
これが嫉妬の誕生でしょう。
精神と肉体のステータスを満たすもの、満たしているものを喪失する、奪われる危険性にたいしてだとか、自分が手にできないものに対して抱かれるのではないでしょうか。
また、それにたいして"努力をしていない"であったり、"努力の程度"が低い者ほど強く抱く傾向にあると -
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アニー・エルノー『嫉妬/事件』の次にこれを読んでみる。
ひとりの女性の幼少から大人まで。
独り言をまくしたててるような、短い分の連なり。
特に少女から大人に移行していく十代後半の脳内は、特有の悩みが充満する。比較、否定、肯定…繰り返し。
この十代の気持ちが必死に一つに、自分のアイデンティティにしようともがいている様子から引き込まれるように読んだ。自分にも覚えがあるからだろう。
結婚してからの現実。よくある不満だ。女はこうであらなければならない、男はこうあるべきだからね。
夫婦がどちらもバランスよく過ごすとしたら、話し合いしかない。
話し合いができないなら、どちらかが我慢を強いられること -
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映画「あのこと」を先に観てから原作読みました。映像が何せ衝撃だったので、小説はそれに比べると淡々と書かれていた印象。それでも、主人公の苦悩、女性だけが受ける苦痛はひしひしと伝わってきました。
人工中絶が合法化されたのは日本の方が早かったことを解説を読んで知り、とても意外でした。未だ日本では経口妊娠中絶薬が認可されていないなど、海外より遅れている印象があったからです。でも、解説によれば、日本で中絶が合法化されたのは、優生保護法により不良な子孫を残さないために中絶が必要になったとのことで!ぞっとしました。
本書により優生保護法についても考えるきっかけになりました。 -
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2023.1.14
喉の奥に胸の奥に、後味がざらりと残る。
追体験とはこのようなことを言うのか、
と考えさせられるくらい、とめどない感情の波に呑み込まれ揺さぶられてしまう。
読者の想像力や思考力を試しているかのような、畳み掛けるような筆致が続く。
これは、遠い昔の話ではないのではなかろうか。
いま我が身に起こったばかりのような迫真さ。
中絶にまつわる世界情勢が巻末で解説されている。
この本がノーベル文学賞受賞の話題と共に世界に広まることで、女性の人権と政治と宗教を見つめ直す契機とせねばならない。
だからこその受賞ではと思い巡らせる。
邦題は「事件」だが、映画版のタイトルは「あのこと」 -
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ネタバレ2022ノーベル文学賞受賞のアニーエルノーの作品。
母親の死を契機に、母の人生を咀嚼するように、振り返るために書かれたかのような本。
文を書くことで、母の人生を、母の価値観を、母の生活苦をそして母の心配を母の希望を母の喜びを追いかける。そうやって母の人生を文章で綴ることが唯一の追悼でああるかのようだ。これは場所で父親を追悼した時と同じ手法である。ただ母の場合は性についてより赤裸々に描写している。
日本では私小説という分野が盛んで、小説家の家族は結構なんでも赤裸々にバラされてあらあらということがあるが、これはネタ探しというよりもう少し内省的である。フランスの民衆も歴史に翻弄され、貧しいながらも -
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「場所」や「ある女」、「シンプルな情熱」より、前半部分は少し読みにくかった。
日本と同じく、フランスの男尊女卑が当たり前のことだったということがわかったが、アニーエルノーが、自分の両親よりも大分前に生まれている世代なのだということに驚く。今でこそ日本でも認められつつある男尊女卑だが、その世代の人が、結婚当初には既におかしいと感じていて、1981年に本にしているという現実が、日本の遅れを感じさせられた。
現代のフランスは、どうなのか?日本と同じように、性による役割分担が、未だに染み付いているのだろうか。知りたくなった。
『女の場合、やる気はどれもこれもひとりでに、必然的に失せていく。』とは、まさ -
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エルノー二冊目。母の記憶をつづった一冊。『シンプルな情熱』の時同様、淡々とした語り口が好きなので、作品も好きだった。
印象的な(視覚的に)冒頭のシーンも、母を冷静に見て、彼女が苦労したこと、階級を超えるために努力したこと、超えられなかったことも、淡々とつづられている。
フランスは(?)こんなにも階級がかっつりしているんだなあと思いつつ、このような小説は果たして今の世代に当てはまるのだろうか、将来もこういった”階級”の小説、階級を超えようとする営みはあるのだろうか、なんてふと思った。この本で描かれているような、工場勤めの労働者階級と、大学を出て知識人と、という形はもう少し違う形で、存在するのだろ