トニモリスンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
万人にはお薦めできないが、人間と人生のネガティブな側面に正面から向き合えるような、真の意味で勇敢な方々に強くお薦めしたい書籍である。
登場人物が皆、何らかの(主に人種的な意味で)シビアな闇を抱えている。その闇が詳らかに描写され、そして息つく間もなく事件が続く。
最も凄惨な目に遭う人物は、間違いなく主人公のピコーラという黒人の少女だ。本人にはほとんど落ち度はない(ように見える)のに、行く先々で様々な悲劇に見舞われる。
一見悪くないのに不遇な扱いを受ける人物は様々な作家の様々な作品で出てくるが、ピコーラはその極致と呼べそうだ。
個人的に特に共感したのは、終盤に出てくるあるエセ呪術師だ。彼の歪んだエリート意識、選民思想は僕自身のかつての歩みを追体験させられるようで、読んでいてとても痛ましいものを感じた。
差別やいじめ、虐待といったきわめて深刻なテーマを真剣に扱っているため、読むのに勇気がいると思う。だが読後はそれらに対する認識が深まっているはずである。 -
Posted by ブクログ
都甲先生が訳していたので。
ブロティーガンやブコウスキーを読んだ時からの何となくの直感だけど、アメリカ人の抱える悲しみは絶対日本人のそれに通底するところがある。
被差別階級を非人間的な存在として苦しみから逃れるとか、いやもっと言語的なレベルで…
本編もよかったけど、先生の解説だけでもかなり読む価値がある。今まで白人が差別してきた人々が自由を獲得し、境界線を侵犯してくるのではないかという不安を描く上でゴシックロマンスという形式が最適であったとか、「中立的」「科学的」言説と人種主義の強い力だとか。
ヘミングウェイと看護師もフェミニズム的に読むと面白そう。白人が白人ぽさを出すために髪を染めるとか、すごくかなしいなとも思った。 -
Posted by ブクログ
トニ・モリスンは非常に読みにくい。主語と述語がかみ合っていなかったり、目的語がなかったりで意味がとれないところも少なくない。ストーリーも追いづらい。それなのに、読む者の胸に何かを残すことができる。一流の作家だと思う。読後感はジブリ映画を見た後に近いものがある。
スーラは常人の社会規範とはズレた感覚の持ち主である。友人を守るため、自分の指を切り落とすことも辞さない一方、友人の夫を寝取ることも厭わない。スーラが老いた祖母を追い出し、奔放に振舞うのを見ると、町の住人は急に自分の不道徳を顧みて良識を持つようになる。自分はスーラ的ではないと証明するように。
スーラは自分の思い通りに振舞っているようで、そこに本人の強い意思は感じられない。町の人々から蛇蝎のように嫌われ蔑まれているが、あくまで客体なのである。スーラ本人も何を求めているのか分からない。正邪を気にも留めない彼女は人々が何かを投影する存在なのだと思う。
スーラが死ぬと、町はそわそわした怒りっぽい雰囲気に包まれる。皆が共通して怒りや侮蔑を向けられるものを失ったからだ。スーラをスーラとして受け入れてきた少女時代の唯一の友人ネルはスーラが死んでから何年も後に失ったものに気付く。
解釈の余地がかなりあり、難しい(モリスンの作の中では本書は読みやすい方らしい)が、ネルは共同体の化身で、スーラは逸脱の化身なのかなと思った。共同体は社会通念とその陰たる逸脱を内包している。陰があるから陽もあったわけだが、陰が消えたため陽もなくなってしまった。黒人社会は悪をありのままに受け入れ、穏やかに安定してしていたのにそうではなくなってきた一瞬を描いていると読めた。意味や解釈が重層的で深みのある作品だった。
読書会とかで取り上げたら面白いのではと思った。 -
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ネタバレそもそも恋愛とは、異文化のすり合わせとも言える。
生まれた場所も価値観も、培ってきたものも異なる2人が出会い、それをすり合わせる。互いの文化を受け入れてより良い関係になっていくか、それとも受け入れられずに別の道を行くことになるか。それは国や肌の色が同じだろうが違っていようが、必ず起こってくる。
しかし、白人の富豪の庇護のもとソルボンヌ大を卒業してモデルをしている娘ジャディーンと、黒人だけの小さな町で育ったサンとの文化の違いは、乗り越えることが出来るのだろうか。
帯の「別世界で育った男女の、激しい恋のゆくえ」というフレーズに誘われて読むと、手痛いしっぺ返しをくらう。激しく燃える甘々の恋愛小説をイメージしてはいけない。そんな生ぬるいものではない。2人の関係は、そして越えなければならないものは、激しく、強く、切なく、苦しい。
最悪とも言える出会いであったのに、「その男の眼の周りには大きな空間があるような気がした」のが、もしかしたら、ジャディーンのスイッチだったのかもしれない。彼の美しさに気づき、彼に惹かれていく。
しかしジャディーンはあくまで白人の庇護下にあり、白人と食事をし、白人の価値観の中で暮らしている。サンにはそれが迎合のように見えたとしても不思議はない。
互いの大事にしてきたものを認め合えるのか。違う文化に適応出来るのか。それを越える恋愛はあり得るのか。
白人夫婦のヴァレリアンとマーガレットの関係もどこか空虚で孤独であり、後で明かされてくるマーガレットの抱え込んできた秘密にも驚かされる。
ヴァレリアン、マーガレット夫妻と、使用人夫婦のシドニー、オンディーンとの関係も、思惑に齟齬があるように感じられる。信頼しあっているように見える30年にも渡る主従の関係も、強固な勘違いの上に成り立っている、ということなのか。
正直なところ、最初の100ページくらいは入りにくくて難儀した。でもいつの間にか藤本和子の訳文に導かれ、恋のゆくえと激しい人間関係との渦にぐるぐると巻き込まれてしまった。美しい表現もキラリと随所にあって、たまらなく切なくなる。
ビターで濃いこの物語を、最後まで読めてよかったなと思う。 -
Posted by ブクログ
西加奈子がどこかで激推ししていた本作。
冒頭の「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった。」の文を読んで稲妻が走ったと話していたが本当に吸い込まれるような冒頭。
黒人の被差別、黒人間の差別については描き方や起きている現象は全く違うが映画グリーンブックと似たテーマだなと感じた。黒人だからと言って、一枚岩なわけではなくむしろ、黒人にも白人にも除け者にされる人生。原題のthe bluest eyesを「青い眼がほしい」と訳したセンスには脱帽。
個人的には色や温度の感覚を伝える描写が美しくて好きだ。
「だから、チョリーがやってきて、わたしの足をくすぐったとき、それはちょうど、あのこけももと、レモネードと、コフキコガネが描いた緑色の筋が、みんないっしょに襲いかかったみたいだった。」
チョリーとポーリーンの出会いの最初期を描いたとてもとても美しい描写。後に二人の関係は罪を犯すものとそれを罰するものの関係に行き着くわけだが、歪んだ関係のそこには愛情があるときっと思う。 -
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「秘密にしていたけれど、一九四一年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。あのとき、わたしたちは、マリーゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた。」
最初の章のこの冒頭からもう心を鷲づかみ。トニ・モリスンの文章は歌うような美しさがあります。
青い眼がほしいと祈る黒人の少女ピコーラ。黒い肌に青い眼、それが美しいと思ってしまうピコーラ。彼女がかわいいと思うのはシャーリー・テンプルのような少女。
たいして語り手であるクローディアは、大人たちがくれた白い肌、金髪で青い眼のベビードールをばらばらにこわす。
(黒人の女の子に金髪で青い眼の人形をあげるってよく考えると奇妙なことなんですが、昔は日本の女の子もこういう人形に憧れたんですよね。リカちゃんはフランス人と日本人のハーフだし、ジェニーは元がバービーだし。)
「難解な作品」「よくわからなかった」という感想がいくつかあった。たしかに構成は少し複雑ですが、基本的にはピコーラを中心に、彼女の父親、母親、彼女をいじめた黒人の少年たち、白人の少女たち、それぞれの視点が交錯し、彼女を追い詰めたものを描いている。
人種差別を背景にした残酷なストーリーなんですが、読み終わって残るのはほのかな光のような美しさ。
それはトニ・モリスンがあとがきで解説しているような「正午を過ぎたばかりの午後の通りの静けさ」であり、「たんに目に見えるものではなく、人が〝美しくする〟ことのできるもの」、ピコーラにはわからなった「自分が持っている美しさ」のような気がします。
以下、引用。
尼僧たちは情欲のように静かに通りすぎ、醒めた眼をした酔っぱらいが、グリーク・ホテルのロビーでうたっている。
彼女たちの会話は、ほんの少し意地悪なダンスみたいだ。音が音に出会い、おじぎをし、シミーを踊って退場する。別の音が入ってくるが、新しい別の音に舞台の奥へと押しやられ、二つの音がおたがいのまわりをくるくる回り、やがて止まる。言葉は上へ上へと螺旋形を描いてのぼってゆくこともあれば、また、耳障りな跳躍をすることもある。そうして、すべてに──ゼリーでできた心臓の鼓動のような──温かく脈打つ笑いの句読点がつけられる。
追い出されることと、家なしにされることとは違う。追い出されたのなら、どこかほかの場所に行けばよいが、家なしにされたのだったら、行き場所はない。
ちょうど、死の概念と実際に死んでいることとは違っているように。死んでいる状態は変わらないのにたいして、家なしになる恐れは、ここに、いつでもあるからだ。
それからフリーダといっしょになって二人は、シャーリー・テンプルがどんなにかわいいか、情のこもったおしゃべりをした。わたしはシャーリーが大嫌いだったので、しきりに誉めそやす二人の仲間には入らなかった。シャーリーがかわいいから嫌いなのではなく、ボウジャングルズといっしょに踊ったから嫌いなのだ。
母はつらいとき、いやなとき、恋人が去って棄てられたときのことなどを、よく歌った。しかし、母の声はひじょうに甘く、うたっているときの眼はまるでとろけそうだったので、わたしは、そうしたつらいときに憧れ、「自分の評判なんかちいっとも気にしないで」大きくなりたいと渇望した。「わたしの男」から棄てられるすてきなときや、「わたしの男がこの町を出ていった」のがわかるから「夕日が沈むのを見るのがいや」になるときのことを、待ちこがれた。
母の声がうたう緑や青で彩られた不幸は歌の言葉からすべての悲しみを取り去ったので、わたしは、苦痛というものは耐え忍べるばかりでなく、甘美なものだと思いこんだ。
つまづいた歩道の割れ目も、たんぽぽの群れも自分のものだ。
そして、こうしたものを所有していれば、彼女は世界の一部になり、世界は彼女の一部になった。
メリディアン。この名の響きは、讃美歌の最初の四つの音符のように、部屋の窓という窓を開け放つ。
わたしたちは、柔らかな灰色をした家々が、疲れきった貴婦人のようによりかかりあっている並木道を歩いていった
どうして夢が死んでしまうのか、本当のことを知りたかったら、夢みる人の言葉をぜったいに真に受けてはいけない。
彼は、牝馬がお産をするところを一度も見たことがないのにちがいない。牡馬が苦痛を感じないなんて、いったい誰が言うのか。泣き叫ばないからだと言うのか。苦痛を言い表すことができなければ、痛みはないと考えるのか。
彼は、悪に名をつければ、たとえ悪を抹殺することはできなくても、それを無効にすることはできるだろうと思った。
彼は貪欲に本を読んだが、好みのところしか理解しなかった。つまり、他人の考えの切れ端や断片を適当に選んで理解したのだが、それは、その瞬間に自分が抱いている偏見を支持するものに限られていた。
このようにして、彼はオフェリアにたいするハムレットの毒舌を選んで暗記したが、マグダラのマリアにたいするキリストの愛は選ばなかった。
その結果、わたしたちは王者らしくなるかわりに俗物的になり、貴族的になるかわりに階級意識の強い人間になりました。わたしたちは、権威とは目下の者にたいして残酷になることで、教育とは学校に行くことだと信じていました。また、あらあらしさを情熱だと思いこみ、怠惰を安逸とまちがえ、向こう見ずを自由だと考えていました。
正午を過ぎたばかりの午後の通りの静けさ、光、告白がなされたときの雰囲気。とにかく、わたしが〝美しさ〟を知ったのは、それが最初だった。
美というものは、たんに目に見えるものではなかった。それは、人が〝美しくする〟ことのできるものだった。
『青い眼がほしい』は、それについて何かを言おうとした努力の結果だった。どうして彼女には自分が持っている美しさがわからなかったのか、あるいは、おそらくその後もけっしてわからないのか、また、どうしてそれほど根本的に自分を変えてもらいたいと祈ったのか、といったことについて何かを言おうとする試みだった。
彼女の欲求の底には、人種的な自己嫌悪がひそんでいた。そして、二十年のちになっても、わたしはまだ、どういうふうにして人はその嫌悪感を学びとるのだろう、と考えていた。誰が彼女に教えたのか。誰が、本物の自分であるより偽物であるほうがいいと彼女に感じさせたのか。誰が彼女を見て、美しさが欠けている、美の尺度の上では取るに足りない重さしかないときめたのか。この小説は、彼女を弾劾したまなざしを突いてみようとしている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者の作品はこれで2冊目。
これYAにあったけどYAは不相応。
なぜならば性的表現がきついのと
ライトに収めているけれども近親相●がでてきます。
ただし、そこまで重いわけではないです。
なぜならばあからさまに登場する人物を
批判するわけではないから。
主人公の子は黒人の子だったもの、
ピコーラのようにはなりませんでした。
それは不条理なことをする白人に怒り
マウンティングする子たちにくみしないことから
理解できることでしょう。
でも、ピコーラはこれらの人種差別の
犠牲者ともいえるのです。
肌の色が批判対象でなければ…
そしてその目すら…
考えさせられることは多いはずです。 -
Posted by ブクログ
変わった構成を持つ小説。
1941年、オハイオ。
太平洋戦争に参戦し、アメリカ社会も高揚する頃。
恵まれない家庭環境で育つピコーラが、父に犯された上、心が壊れてしまうという悲劇を描く。
黒人社会の中で、ピコーラのように、より「醜い」とされる者と、そうでない者とに分かれる。
人種への蔑視が内面化されている。
(そして、それは私たちにも身に覚えのある感覚だ。)
追い詰められていく中、「青い眼が欲しい」と願い続けるピコーラの姿は痛ましい。
最初、近所の少女、クローディアを通して、ピコーラたち、ブリードラヴ家のことが語られる。
しかし、視点はやがて母ポーリーン、父チョリーに移り、彼らがどんな関係を取り結び、そして壊してきたかも語られる。
この人たちも、困難な人生を歩んでいることがわかる。
自在な語り、生活の細部まで克明に描きながら、安易な感情移入を許さないようコントロールされた筆致に、当惑しながらも、ぐいぐいひきつけられる。