トニモリスンのレビュー一覧
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筆者に初めて触れたのは「ホーム」を読んだ時。朝鮮戦争から戻った兄妹の無残な、救いのない話。あたかも御須メルを文でなぞるような癒しと救いの魂を感じた。
先日フォークナーを久しぶりに読み、難解で捉えようのなかった偉大なノーベル賞作家に再度くらいついてみる気になったから。
読むという行為は「単に頁を捲り、その世界に触れる」だけでは無謀で、入念な下調べとプロット研究、筆者の成育、生活歴、家柄を知って・・成って行くと私には初めての足踏みをしつつかかる。
そこに浮き上がってきた、トニ・モリスン・・フォークナーと同じ、ノーベル賞作家、しかも扱うテーマが人種差別。
何も知識がなかったら、やはり食いつき辛か -
Posted by ブクログ
トニ・モリスンは非常に読みにくい。主語と述語がかみ合っていなかったり、目的語がなかったりで意味がとれないところも少なくない。ストーリーも追いづらい。それなのに、読む者の胸に何かを残すことができる。一流の作家だと思う。読後感はジブリ映画を見た後に近いものがある。
スーラは常人の社会規範とはズレた感覚の持ち主である。友人を守るため、自分の指を切り落とすことも辞さない一方、友人の夫を寝取ることも厭わない。スーラが老いた祖母を追い出し、奔放に振舞うのを見ると、町の住人は急に自分の不道徳を顧みて良識を持つようになる。自分はスーラ的ではないと証明するように。
スーラは自分の思い通りに振舞っている -
Posted by ブクログ
ネタバレそもそも恋愛とは、異文化のすり合わせとも言える。
生まれた場所も価値観も、培ってきたものも異なる2人が出会い、それをすり合わせる。互いの文化を受け入れてより良い関係になっていくか、それとも受け入れられずに別の道を行くことになるか。それは国や肌の色が同じだろうが違っていようが、必ず起こってくる。
しかし、白人の富豪の庇護のもとソルボンヌ大を卒業してモデルをしている娘ジャディーンと、黒人だけの小さな町で育ったサンとの文化の違いは、乗り越えることが出来るのだろうか。
帯の「別世界で育った男女の、激しい恋のゆくえ」というフレーズに誘われて読むと、手痛いしっぺ返しをくらう。激しく燃える甘々の恋愛小説を -
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西加奈子がどこかで激推ししていた本作。
冒頭の「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった。」の文を読んで稲妻が走ったと話していたが本当に吸い込まれるような冒頭。
黒人の被差別、黒人間の差別については描き方や起きている現象は全く違うが映画グリーンブックと似たテーマだなと感じた。黒人だからと言って、一枚岩なわけではなくむしろ、黒人にも白人にも除け者にされる人生。原題のthe bluest eyesを「青い眼がほしい」と訳したセンスには脱帽。
個人的には色や温度の感覚を伝える描写が美しくて好きだ。
「だから、チョリーがやってきて、わたしの足をくすぐったとき、それはちょ -
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「秘密にしていたけれど、一九四一年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。あのとき、わたしたちは、マリーゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた。」
最初の章のこの冒頭からもう心を鷲づかみ。トニ・モリスンの文章は歌うような美しさがあります。
青い眼がほしいと祈る黒人の少女ピコーラ。黒い肌に青い眼、それが美しいと思ってしまうピコーラ。彼女がかわいいと思うのはシャーリー・テンプルのような少女。
たいして語り手であるクローディアは、大人たちがくれた白い肌、金髪で青い眼のベビードールをばらばらにこわす。
(黒人の女の子に金髪で青い眼の人形をあげるってよ -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者の作品はこれで2冊目。
これYAにあったけどYAは不相応。
なぜならば性的表現がきついのと
ライトに収めているけれども近親相●がでてきます。
ただし、そこまで重いわけではないです。
なぜならばあからさまに登場する人物を
批判するわけではないから。
主人公の子は黒人の子だったもの、
ピコーラのようにはなりませんでした。
それは不条理なことをする白人に怒り
マウンティングする子たちにくみしないことから
理解できることでしょう。
でも、ピコーラはこれらの人種差別の
犠牲者ともいえるのです。
肌の色が批判対象でなければ…
そしてその目すら…
考えさせられることは多いはずです。 -
Posted by ブクログ
変わった構成を持つ小説。
1941年、オハイオ。
太平洋戦争に参戦し、アメリカ社会も高揚する頃。
恵まれない家庭環境で育つピコーラが、父に犯された上、心が壊れてしまうという悲劇を描く。
黒人社会の中で、ピコーラのように、より「醜い」とされる者と、そうでない者とに分かれる。
人種への蔑視が内面化されている。
(そして、それは私たちにも身に覚えのある感覚だ。)
追い詰められていく中、「青い眼が欲しい」と願い続けるピコーラの姿は痛ましい。
最初、近所の少女、クローディアを通して、ピコーラたち、ブリードラヴ家のことが語られる。
しかし、視点はやがて母ポーリーン、父チョリーに移り、彼らがどんな関係 -
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ノンジャンルと言える長寿本の一つに珍しく手を出してみた。ノーベル賞作家トニ・モリスンのデビュー作であり、1970年に生み出されたものの、広く世界で読まれるようになったのは四半世紀という時間を要したそうである。
この作品は、あらゆる意味で人間を比べてみることの愚かさと、その中で犠牲になってゆく心の痛みへの深い理解を、地道に、日常の言葉で綴ったものである。主たる視点は少女のものだが、時に他の三人称視点を使って挿入される作中作のような物語が、かしこに散りばめられている。
世界の歪みを、多角的な視点で捉えつつ、様々な区別や差別が人間に対してなされてゆく行為や、無意識という水底に沈殿してきた最 -
Posted by ブクログ
とある事情から‘ミルクマン’と呼ばれるメイコンデッドjr。
父、母、叔母、いとこ・・・
さまざまな人間関係のもつれをたどるべく旅に出る・・・
ブラックアメリカン、北部と南部。さまざまな要素が絡み合う物語。
その中でも名前は重要な要素として触れられる。
両親から授けられた名前、白人につけられた名前、他人から呼ばれるあだ名、正式の名前ではない地名・・・
すべてに意味があり、その意味の裏にはアイデンティティやルーツにかかわる忘れてはならないものがあるということ。
600ページを越える大作ですが、ひとたびページを開けばブラックアメリカンの世界をめぐる素晴らしい読書体験が待っています。
ちなみにラ