もぐりと言われることを覚悟で告白するが、実はアーシュラ・K・ル=グィンという作家を知ったのはつい最近だ。
『ゲド戦記』はもちろんタイトルは知っていたが、ジュブナイルというイメージがあったため食指は伸びず。
今回手にとった理由は、『Dune』の解説で、12年おきに発表されるローカス紙でのオールタイム・
...続きを読むベストSFという賞で、『闇の左手』が1975年、87年、98年にそれぞれ3位、2位、3位で入賞していると知ったからだ。2012年には5位に入賞している。
ちなみにオールタイムと名がついているが、20世紀と21世紀に分かれている。
ヒューゴー賞とネビュラ賞に関してはいたるところで書かれているので割愛。
ル=グィンの”ハイニッシュ・ユニバース”と呼ばれる未来史の一作品。
そう、これは未来史なのだ。
読み始めた印象は、SFというよりファンタジーだった。
そのため、あ、これ『第5の季節』系かな…、と少し警戒した。女性にSFは書けないのかと。
しかしながら読み進めるうちに、ああ、これは壮大なSFをベースにした物語だ、と気づいた。
多くは語られないが、舞台の外にある世界の構築はソリッドなものだ。その世界の中で一つの異文化の星に焦点を当てるという意味では、『Dune』に通じるものがあるかもしれない。
重厚で、静か。
物語の重厚さの大きな要因は、その世界観の作り込み。
特に舞台となる星、ゲセンの文化のリアリティは素晴らしい。文化、気質、価値観など、時に独自の言葉を用いて表現される。それらの用語が日本語訳にならないのは、やはり適切な言葉がないからなんだろうな。
ハードSF系では人間とは異なる生命体が描かれることが多く、生物学的に違いはあるとはいえ、見た目が地球人ライクというのは、ややリアリティに欠けるという点で、SFというよりはファンタジーと言えるかもしれない。
異星というより、異国なような印象。
姿形が似ているのは作中ではもちろん理由があり、その昔高度な文明を持つハインという星の住人が人間型の生命をばらまいたから。地球もその一つ。
しかしながら、作り込まれてはいるのだけれど個人的に残念に思うのは、地球人がハイン人によるものであれば、この物語は現在の地球の進化論を否定している、という点。これはル=グィン自身の信仰故なのかもしれないが(宗教を持っているのかは不明だが)、やはりハードSF好きとしては残念に思ってしまう点だ。
ゲセンで最も大きな特徴は、ジェンダーレスという点。ゲセン人は両性具有な人種として描かれる。ジェンダーレスという点においてこの作品はフェミニズムSFに分類されるようだが、私にはそれはただ単に文化的・生物進化的に異なる世界なだけなように思える。
性の描き方が地球の人類と異なるとフェミニズムと呼ぶのは、なんとなく違和感。
たいていのSF作品の異星人は、姿形こそ異なるが性別が男女で描かれることが多い。2つの性別は無意識的に絶対的なのだ。
そこを変えてしまうのはとても実験的であるという点で、フェミニズム云々ではない面白さがあるのだと思うのだけどどうだろう。
もっと違う方向にドラスティックに変えたのがグレッグ・イーガンだけど。
ゲセン人はさらにケメルという発情期を持ち、その期間は生殖上地球で言うところの男女どちらかの役割を担うことになる。
文化・科学的にも、主人公ゲンリー・アイが暮らしていた世界に比べると発達していない描写もあるが、ケメルという発情期や、性別が変わるという特徴は、なんとなく現在の地球の動物を連想させ、より未開な印象を与える。
これは人類が偉いという私の中の無意識な偏見なのかもしれないが。
さてタイトルの『闇の左手』だが、第二の主人公エストラーベンが口ずさむトルメルの歌から取られたものだ。
光は闇の左手
暗闇は光の右手。
二つはひとつ、生と死と、
…
この歌のほか、物語の後半には陰・陽など二元論についての言及があり、ゲセン人を理解するためのキーとなる。二つの性別は無意識的に二元論的思想をしっくりくるものと考えるのかもしれない。つまりは性別を持たないゲセン人はその傾向がない/薄いということだ。
このあたりの設定はなかなか面白い。
物語はしかしながら一方で、SFというよりはヒューマンドラマのような。主題として描かれるのは、異なるバックグランドを持つエストラーベンとゲンリー・アイの種別を超えた結びつきと信頼。そのための長い旅。
ストーリーとしては派手さはなく、まるでメインストーリーから外れたスピンオフのよう。主軸の物語はきっとユニバースをまたにかける惑星単位の派手な物語に違いない。
そんな静かで言ってしまえば地味な物語がサーガを構成する一つの物語なんだなー。
そして今更だけど、やはりやはりこの手のシリーズものは他の作品を読んで世界観を知ってこそな気がする。
なので結論はちょっと保留したほうがいいのかもしれない。
ところでル=グィンの”ハイニッシュ・ユニバース”の短編を私は過去に読んでいたことが判明。
『SFマガジン700【海外篇】』の『孤独』。
今読むと確かに『闇の左手』と同じ背景だ。
まずはこの短編をもう一度読んでみよう。