ローランプティマンジャンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
舞台はフランス北東部メス。
とある一家の父親の語りで進んでいく物語。
朴訥で不器用な父親の語りのせいか、小説ながら切実なノンフィクションの手記を読んでいるような感覚になる。
優しくて弟思いの長男フス(フスは愛称。本名はフレデリック)は、スポーツが好きな明るい子で、母親が病に倒れたときも、思春期の時期を犠牲にして家族をフォローし、家事を積極的にする、とてもいい子だった。
病に倒れた妻を見舞い、看取り、妻の死後どう子どもたちを食べさせていくかに必死で、家族のフォローにたち回ってきたフスに「ありがとう」の一つもいえなかったことに、父親は後悔の念を綴る。
そしてフスは高校に入ったころ、家族よりも友達とつるむようになってから、父親が支持する政党とは真逆のファシズム…極右の仲間たちとつるむようになった。
寡黙だった父親は、フスがつけているバンダナに、ケルト十字が描かれているのを見て、初めて声を荒げる。
そういった経緯を機に、父親はフスのことが許せなくなり、親子は話をしなくなっていく…
そして凄惨な事件が起こる…。フスが人を殺してしまったのだ。
読みながらどんどんつらくなっていった。
文章を読むだけでも、父親が憔悴していくところが痛々しい。
また父親と本当は仲良くいたいのだろうフスとの不器用な関係を見ていると、ますます見ていて胸が痛い。
完全な父親のみの視点から書かれているせいか、ところどころ展開が急なところがあって理解がしばし追いつかなくなることもあったが、そういった描写の仕方が生々しさに拍車をかけていた。
もっと話し合えていたら…あの時あんなことがなければ…数々の避けられていたらと思わざるをえない分岐点たち。
本書で父親が述べていたように、「すべてのひとの人生は一見、敷かれたレールの上をひたすら走っているように見えるが、実はアクシデントと偶然、そして反故にされた約束の積み重ね」なのだ。
フスとのコミュニケーションを避け続けた結果、父親視点で語られるこの物語は、どんどんフスがどういう考えになっていったのか、どんな人間になっていったのかがぼんやりとしていく。
…けれど、その分、最後の2ページは抱きしめたくなる。
フスもまた、優しすぎたのだろうか、不器用だったのだと思った。
なぜフスが極右とつるむことになったのかなど諸々は最後まではっきり分からないが、人生周りのどんな人が(自分自身でさえも)何に傾倒しどんな考えを持つに至り、どんな行動を起こすかはわからないので、そんなものだよなぁと思うところもある。
家族間でさえ、考え方が違うからこそ、距離を置きたい、置かねばならない時もある。
でも、逆に考え方が違うからこそ、時には分かりあう努力をする必要があるのだ、それにより事態が好転したり救われたりすることがあるのだと、本書を読んで思った。
本書は「夜の少年」というタイトルだが、原題は「どれほどの夜が必要か」であるらしい。
原題の由来を聞くと尚更この物語の重みが増してくる。
この物語のような出来事は、悲しいかな、少なからずよくあることだろう。
そう思うと、全ての"夜"に留まらざるをえない人たちに響く物語ではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
まるで志賀直哉の小説を読んでいるようだった。つまり父の真摯(しんし)さが、私たちの心に、まるで水面に小石が投じられたあと、同心円状に広がる波紋のように揺れを生じさせるから。親子の日常の描写は決して私たちにはありえない内容とまで言い切れない。ゆえにその日常性は私たちの心でも振幅としてとらえることが可能という意味で、波紋と表現した。
また不思議な感覚にもとらわれる。私たち読者は父でもなければフスでもない。なのに父の描写は自分のことのようであり、フスも自分のことではないかと錯覚する。まさに自分自身の投影を見い出したかのような感覚。そこに著者の作為が透けて見えれば読者はしらける。そうではなくて自然と読者に起こる感覚。だから志賀直哉だと私は例える。
一方で私は過干渉、放任、自立などは読んでいる間は一度も考えなかった。確かに父の息子に対する接し方は不器用だし言葉不足。しかしそんな登場人物の行動を評価するような読み方はこの本の読み方として相応しくないと感じた。つまりこの本には悪い人間は出てこないから。かといって善い人間とも言えない。でもそれが人間の実像ではないか。
志賀直哉の「和解」を読むといい。主人公は善良か?父が悪いのか?そんな視点を超越した地平に、文学の核心が潜んでいる。
それにしても著者があえて父の独白で最後まで(最後の2ページを除く)押し切った勇気と筆力に感心した。だって現代の作家ならば章ごとに父の視点、フスの視点、弟のジルーの視点と、映画のカット割りのように順繰りにつなぎ合わせてラストに向かって収束させていく手法が書きやすいし読者も読みやすいだろうから。でも著者は父の視点にこだわった。やはりこの本をせっかく読むのならばそこから読み解きたい。
だが一点、気にいらなかったところもあげたい。日本版のこの表紙。下半分以上が真っ黒で上半分がモノクロ写真って、ルシア・ベルリンの日本版の盗用みたい。
“Ce qu’il faut de nuit”で洋書のペーパーバックを検索すると、明らかに父と思われる大人の男性1人の写真が表紙だった。そちらのほうがこの本の内容を的確に表している。この日本版の表紙はイメージ操作にしか思えない。本の内容はすごくよかったが、日本の出版社の余計な作為のため私は減点する。 -
Posted by ブクログ
なかなか重い。
日本では政治信条で親子関係がこじれるとかあまりないことかとは思うけど、自分の子がファシズムとか曰く的な新興宗教に執心してたら、この父親と同じようにどう関わったらいいのか分からなくなるかもしれない。
じゃあ何が正解なのか。正解なんてないんだろうな。
子が大人になった時点で、それは子ども自身の問題だと割り切って考えられればいいのかな。無理だろうな。親ができるのはどこまでいっても子どもを守ることだけだろうな。
子どもが道を誤っていると感じたとき、暴行されたとき、何があっても味方だから、人を殺めることだけはやめようと言い切れるか。
ちゃんとできなくても、そこだけは子どもに言い続けられる人間でありたい。 -
Posted by ブクログ
フランス北東部の町に住む主人公は、国鉄に技術者として働いている。男の子2人の父親であるが、妻を癌で亡くした。左派の団体を支持し、息子のサッカーを見に行く平凡な日々だったが、高校生になった長男は右翼系の少年たちとつきあうようになり、家での口数も減った。兄弟の仲は良く、弟は兄を慕っている。弟は兄より勉強ができ、パリの進学校へと進む。父親と兄とのぎくしゃくした関係の続く中、兄が血まみれで帰宅する。仲間を殺してしまったのだ。
終始父親の目線で語られる。思春期を迎え、自分と違う価値観で進み始める息子。息子やその仲間の行動をSNSで追う姿が危うい。最後のページの獄中から父へ宛てた手紙で、読者は初めて息子の心中を知る。
重い話だった。一気に読ませる話なのだが、読後はしばらくモヤモヤが心に渦巻いていた。