久野愛のレビュー一覧
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「感覚」は個人の内側から自然に生まれるものだと思っていましたが、資本主義や技術、社会の変化によって、「何を心地よいと感じるか」「何を欲しいと思うか」まで形づくられてきたのだと気づかされました。
特に面白かったのは主題のガラスとセロハンの章です。ガラスによって商品を自由に「見る」ことが可能になり、ショーウィンドウが新たな欲望を生み出す。一方で透明性は、人を「見る/見られる」関係にも置く。セロハンもまた、ありのままの商品を見せるようでいて、実際には「何を見せるか」が巧妙に管理されている。その視点がとても新鮮でした。ガラスの登場にウキウキする建築家やガラスは早すぎたから失敗だと言ってる評論家など、詩的で多種多様な引用がその当時の“透明”という技術に対する衝撃を伝えてきます。この第4章だけでも読む価値ありです。
デパート、喫茶店、パック旅行、遊園地など、消費の変容を語るために扱う題材が多く、全体に長く感じましたが、単純に現代の消費社会・資本主義社会を批判しないところも印象的でした。
資本主義に感覚まで取り込まれていると知りつつ、私はやっぱりテーマパークもパック旅行も好きです。その矛盾も含めて、自分の「感じ方」がどこから来たのか考えたくなる一冊でした。 -
Posted by ブクログ
美しさや清潔さを感じる理由はなんだろう?前から疑問だったので、「なぜプラスチックを『清潔』に感じるのか」というサブタイトルに惹かれて手に取った。
感覚史という言葉自体は初耳だったが、時代によって受け取られ方が変わることにも興味があったので面白かった。
人間が何かを感じることには文脈が不可欠で、そしてその感覚は何からくるのかに関心がある人におすすめです。
「デザインをするということは、社会を見つめ、人々の生活のあり方に向き合うことでもある。そのプロセスは、私たちが新しい感覚の仕方を知ると同時に、既存の社会の見方を宙吊りにし、異なるフレームのかけ方を発見するきっかけを与えてくれるかも」
という一節からは、何かを構築する際はその根源に向き合う必要があり、その工程は違う視点を与えてくれるのだと再認識したし、
「感覚をめぐる認識がどのように制度化され、支配や差別の体系の中で再生産されてきたのかを探ることは、感覚の歴史的・社会的構築性を明らかにするだけでなく、そうした構造が今なお私たちの生の基盤をどのように規定しているかを考える手がかりとなる」ことも教えてくれた。 -
視覚化する味覚 食を彩る資本主義
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唐突に「梅津寺パーク」(p.134)。著者紹介では特に出身地に触れていないが、どうやら私と同郷(あるいは、そうは言えずとも、松山で幼少期を過ごした)らしい。で、固有名詞を出しながら、特に本論に関係があるように見えない。不思議だ。
感覚史。「感覚」×「歴史」で語りうる範疇はとても多岐に渡るものらしく、副題にあげられた「プラスチックを「清潔」」云々は、全8章中の第4章「素材が変える感覚」の内容にすぎない。
本書で目についたキーワードを拾い並べるなら、都市やデパート食堂の「モダン」感覚、感覚科学と感覚の標準化、感覚体験の商品化(冒頭の「梅津寺パーク」など遊園地の話)、VRやAIのもたらす知覚変容、感覚の政治性…。でも、これらの中にはことさら“感覚”に組み込まなくてもいいような…と思う章もあったが(「感覚体験」って「体験」でよくない?)。
第7章「ヴァーチャルな感覚と身体」は、VRやAIが言及されるけれども、むしろVR以前の「パノラマ」(明治時代に流行したアトラクション)と「VR」との間の「ヴァーチャル」の違いに重きが置かれる。かつての「パノラマ」では、各人の身体ごと一つの空間に入り込み、複数人で共有する空間だったのが、個々人ごとにヘッドセットを着用し、現実の身体を脇において感覚だけ切り離して没入体験するものになり、「ヴァーチャル」と「リアル」の関係が変わるという話。
私が本書の目次に目を通した際に第7章に期待していた内容は、ここでは採り上げられていなかった。それについてここに書いておく(あくまで、本書にない内容。今後、これの本が出たらいいなという希望のメモ)。それは、「ヴァーチャル」と「リアル」の境界。映画草創期においては列車が近づいてくる映像に驚いて観客が逃げ出したりする状態だったのが、やがてはエセ心霊写真(つまり合成写真)を一瞥して見抜くようになり、CGで人間を造形すれば「不気味の谷」が気になるようになり、最近ではAIが生成した文章にそれとなく気がつくようになる、そんな感覚の変容について。これを歴史学的に分析する本が出たら読んでみたい(新書――でなくともよいが、私の予算で買えるもの――で。〇〇大学出版会とかが出す専門書では、ちょっと手が出ない)。 -
Posted by ブクログ
感覚は自分の中の自然なものではなく、文化や社会の影響を存分に受けているという話が面白かった。そしてそれは、知らず知らずのうちに差別を生んでいるかもしれないということ。
例えば、においや言葉が自分と異なる人たちを差別する。他にも、ジェンダー差別の例では、「アナウンスやガイドの音声が女性なのはなぜか。女性が補助的な立場であることを助長しているのではないか」という話があった。これは思ってもみなかった。
「感覚に対する問いを持つことは、自分と異なる感覚をもった他者の存在を受け入れる想像力を育むことにつながる」とあったけど、本当にそうだと思った。
また、「視覚」や「触覚」として規定されているものは感じられるし理解もできるけれど、例えば第六感のようなものも、名前がついて感じ方の表現が言語化されたら、感じられるようになるのかな、と思ったり。
以下メモ
・そもそも「五感」として規定されている感覚も文化によって異なる。
例:ハウサ族は「視覚」「それ以外」の2つの感覚。
・感覚史では、身体を通じて知覚した感覚を人がどのように理解しているのか。その理解の仕方が、ある時、ある場所の社会とどのように関わっているのか。理解の意味づけをもとに社会を見る。
・感覚は主観的である一方で、時代や社会によって一定の感じ方が共有される。
・消費主義社会では、商品の差別化に感覚が使われる。
商品の標準化は感覚の標準化につながる。
大衆の感覚は鈍化し、より強い刺激を生み出す。
・ガラス、セロハン、プラスチックの発明
お店の変化:1対1の接客から、スーパー形式に
商品のパッケージとして中身が見える、嫌なにおいを防ぐことが重要。
新しい素材は近代性の象徴として認識される。
・感情商品:感情体験を生み出す明確な目的で構成され、そのために意識的に消費される財。消費者は「明確な感情」を買っている。
例)パック旅行:訪れるべきと販売されたものを、「訪れたい」と購入する。非日常でありながら安心感。
・感覚の政治性:感覚が差別や支配の手段として用いられてきた
におい:不快なにおいは野蛮、劣等の象徴
人種差別:肌の色やにおい、触覚、聴覚の感覚を通じて規定され、再生産される -
視覚化する味覚 食を彩る資本主義
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社会や技術の進展と共に変化していく、食と視覚の関係を洗い直している。
漱石や谷崎潤一郎が羊羹の色を愛でた時代から、広告や陳列の工夫が消費者の選択に大きな影響を及ぼしていく時代、そして「おいしそう」というより「面白そう」という基準でSNS上で食の外観が”消費”されていく現代まで。中でも色に焦点を当てて考察している。
個人的に面白かったのは、私も含む消費者が「自然な色」と思っている食材の色が、どう作られてきたか、というところ。何が自然か、ということに問題意識は持っているつもりだけれど、どこまで知っているかとなると心許ない。地産地消がいわれるようになって久しいが、それでも口に入るものが自分の元にやってくるまでの距離が、本来の情報探索を難しくするほど遠いのだろうと思う。 -
視覚化する味覚 食を彩る資本主義
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食品の色をめぐる人々の価値観や商売上の思惑から、「自然な色とは何か」を問いかける。
着色料についての話に多くページを割いている。安全性が怪しいまま使用され始めた合成着色料、バターとマーガリンにおける着色の方法など、政治も巻き込んだ争いの歴史がアメリカで展開された事例が紹介されている。
背景には、人々が味覚として美味しいものだけでなく、視覚からも味を想像して「美味しそうだ」を判断しているということがあり、売上を伸ばすために「どうしたら美味しそうに見えるか」が研究され続けている。果物の皮にまで着色が施されていた事例もあったのには驚いた。
技術が進み、実店舗でリアルに見るのではなくネットスーパーで画像で判断したり、インスタ映えのように元の素材をどう「盛って」表現するかに力を注ぐ時代になったが、人の手を加えて=自然そのものからは離れても人々が「美味しそうな色」を求め続けている図式は昔から変わらないようだ。 -
視覚化する味覚 食を彩る資本主義
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視覚化する味覚 食を彩る資本主義
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<目次>
第1部 近代視覚文化の誕生
第1章 感覚の帝国
第2章 色と科学とモダニティ
第3章 産業と政府が作りだす色~食品着色ビジネスの誕生
第2部 食品の色が作り出す「場」
第4章 農場の工場化
第5章 フェイク・フード
第6章 近代消費主義が彩る食卓
第7章 視覚装置としてのスーパーマーケット
第3部 視覚優位の崩壊?
第8章 大量消費社会と揺らぐ消費観
第9章 ヴァーチャルな視覚
<内容>
なかなかカテゴライズしにくい本。食品の話と視覚、なのだが、政治的な話や感覚的な話、ビジネス的な話が混ぜこぜになっている(読んでる側の話)。結局、食欲や「美味しい」という感じも、視覚に強く影響を受けているのだが、その食品の「色」は、自然のものは数少なく、着色されたものが多い。しかも古くからそれがされているので、我々はそれに気づいておらず、知らず知らずに「違うもの」を美味しく感じている、ということ。