国造制を「大化改新によって廃止された古い制度」とする従来の通説を覆し、律令国家形成期におけるその動的な変容を描き出す研究書。本書の特色は、地方豪族が中央の「国司」と結託して馬をネコババしたり、賄賂を贈ったり、武器を隠したりする生々しい不祥事記録が豊富な点にある。
国造制の成立契機が主要論点の一つ。6世紀の成立当初、国造は朝鮮半島派遣軍の軍丁確保を主目的として設置された軍事的・行政的官職であった。
評制施行後の三段階組織も重要な論点。7世紀後半の地方支配は、国造(クニ)―評造(コホリ)―五十戸造(サト)という三段階の重層的組織によって運用されていた。
国造制廃止の真実については、大化改新での即時廃止は否定。天武末年に方針が決定され、持統朝から文武朝(大宝律令)にかけての「現任者の自然死」をもって緩やかに解消された。
天智期関連では、庚午年籍について、天智9年に制定。氏姓(父系出自集団としての姓)固定の起点であり、国造の「地名+カバネ」という称号が「氏」として定着する決定的画期となった。評制の展開については、天智朝(近江令期)において、孝徳朝から始まった評制がより広範に浸透し、国造が評督(評の長官)を兼任・指導する地方支配体制が完成した。中大兄皇子(天智)は乙巳の変直後、回収された「国記」に含まれる「臣連伴造国造百八十部并公民等本記」を把握し、地方豪族の動員や評制施行に活用した。白村江の戦いに際し、国造が伝統的に保有していた徴発能力を「国造軍」の遺制として軍事指揮に利用した。
中公新書で、系譜の羅列部分は「地元の豪族がいたんだな」と流し読みしてよい。地方豪族がどのように「日本」という国家に組み込まれていったかのドラマ。天智まわり関連度は高く、天智朝において国造が「過去の遺物」ではなく、現役の強力な地方統治パートナー(または監視対象)であった実態がわかる一冊。