岩田文昭のレビュー一覧

  • 浄土思想 釈尊から法然、現代へ

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    一般信徒には必要にして十分な内容。浄土思想の源流から解き明かすことで、思想の流れがよくわかる。宗教書は、教義に偏った「仏の言うことを信じなさい」的なものと、逆に妙に専門的で素人を寄せ付けないものが多いが、本書はそのバランスが絶妙。浄土教の解説書としては決定版の一つだと思う。
    本書の主題である物語の重要性も納得した。幅広い信者を獲得する宗教にはコアとなる抽象的な教義と、それを万人に腹落ちさせる具体的なストーリーが必要だ。

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    2026年02月06日
  • 浄土思想 釈尊から法然、現代へ

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     周囲のお薦めで読んでみたけれど、これが専門外の方が書いたのかと思うくらいまとまっていて深みのある内容だった。
     初期仏教からの流れで七高僧、そして法然上人、そのお弟子たち、そして親鸞聖人、果ては近代真宗についても触れられる壮大かつ丁寧な内容であった。
     親鸞聖人の部分については、これはいろんな見方が出るところかなと思うが、それは自分が真宗中心だからそう感じるのかなとも思う。
     物語でしか分からないわたしたちという大きなテーマがある。そうだなと感じる。ただ、物語のその向こうを感じていくことをしたいのだよ!!ということもある。物語でこれでいいではない。そういうことも思わされた。
     これが大正解!ということではないけれども、まさにきれいな概略となっているのではないだろうか。あっという間に読めた。
     一度俯瞰して浄土教を見てみるためにもお薦め。

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    2023年09月12日
  • 嘉村礒多集

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    私小説ファンにとって嘉村礒多は特別な名前である。明治30年山口県に生まれ、昭和8年36歳で短い生涯を終えた。発表された作品は少ないが、死後90年以上が経ってもこうして作品集が編まれて世に出ている。「私小説の極北」と言われ、近代日本文学史に必ず登場するのがこの作家である。

    誠実に、赤裸々に自己を描く。時に露悪的になることも厭わず、愚直なまでに内面を掘り下げることが、文学者の目指すべきところだという信念がかつて存在した。その信念は時に宗教的な高みに達する。嘉村の文学はその好個な例である。

    このたび「業苦」と「崖の下」を再読した。また、彼が師と仰ぐ安倍能成、近角常観宛の書簡を初めて読んだ。嘉村の倫理観の核には仏教的な求道精神があることがわかった。

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    2026年03月14日
  • 嘉村礒多集

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    私小説の極北、草ぶかき近代文学を分け入った先にある、苔地蔵とでも言おうか。

    無の境地に立脚していると、伊藤整が日本の私小説を指摘している通り、著者も真宗の影響を多分に受けているという。

    因果を受け入れ、道徳を斥ける。その姿勢は悪人正機を連想させるが、業苦とは、他人にとっては独りよがりの大相撲にしか見えないが、根がピュアな分読ませるものがある。


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    2025年08月07日
  • 浄土思想 釈尊から法然、現代へ

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    一般的な浄土教や浄土思想の概説書というよりは、あとがきで筆者の記述があるとおり、ポール・リクールを代表とする「物語論」に立脚して、浄土教や浄土思想の変遷をまとめている点が本書の特徴だと思う。

    ただ、概説書としての役目も果たせている内容かと思う。「物語論」や浄土思想の詳細について知識がないまま読み始めても、十分な脚注があるためストレスなく最後まで読みきることができた。

    第六章の近角常観に関する記述については、筆者が近年力を入れている研究テーマとのことだが、浄土教そのものについては、筆者の専門ではないようだ。

    本筋とはあまり関係ないメモ:

    霊的体験を主張の根幹とする姿勢ついては、個人的にあまり説得力を感じない。しかし、終章で触れられた、東日本大震災の際の宗教家たちの活動に関する記述を読んでみて、想像もできないような困難に直面したとき、霊的体験を否定するような科学的な思考傾向を浸透して、宗教が安らぎや救いを与えてくれるのかもしれないと思った。

    本書にも記載のあるとおり、宗教的な物語による救済なのか、自己治癒力による克服なのかを厳密に判断することは大変難しいが、もし自分がそのような状況に置かれたとき、自分自身の「物語」として宗教が大きな意味をなす可能性はあるかもしれない。

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    2024年11月19日
  • 浄土思想 釈尊から法然、現代へ

    匿名

    購入済み

    浄土の教え

    全く門外の私が意を決して読みました。当たり前のように接してきた浄土教をあらためて勉強させていただきました。

    #タメになる

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    2023年11月04日
  • 嘉村礒多集

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    私小説が好きなので、刺さりそうな気がしていたのだが意外にもそこまで。いやーな気持ちになり、妻や子どもを大事にしようと思える。

    随筆や手紙は全くついていけず、解説から入った方が読み甲斐はあったのかも。

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    2026年03月10日
  • 嘉村礒多集

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    自己憐憫は醜怪だがここまで突き抜けたら別な景色。つぶさに人間のこころ、その光と影を見つめ続けるのはつらい。それでも安易な叙情に流れぬ礒多の生き様には居住まいただされる。人間だ。捻くれ者だった祖父の若い頃の写真に似ているから読み始めたジャケ買いだった。今はもう完全に失われた同人を何遍も思い出した。

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    2024年08月19日
  • 嘉村礒多集

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    ネタバレ

    嘉村磯多集

    編者:岩田文昭
    発行:2024年3月15日
    岩波文庫

    嘉村磯多(1897-1933、明治30-昭和8)の短篇小説8編、随筆6編、書簡6通が、編者・岩田文昭氏により甦った。嘉村磯多の名は、岩田氏が10年前に上梓した「近代仏教と青年~近角常観とその時代」(岩波書店)で知っていたが、嘉村作品を読むのは初めて。編者の解説によると、嘉村文学は「私小説の極北」と言われているらしい。嘉村のプロフィールが書かれており、それを知った上で読むと小説もすっかり理解でき、かつとても楽しめる。

    初読というか、楽譜でいう初見では、少し読みづらいところもあるが、1.5回程度読み(1回読んで主要なところを読み返す)、解説を読み、もう一度読むと完璧。それまで見えなかった無駄がなく華麗な文体が楽しめる(無駄がない文体の割にくどく何度も繰り返し過ぎている箇所はあるが)。僕は若い頃から短編小説を読む力に欠ける。オー・ヘンリーのようなプロットのはっきりしている作品は別として、例えば村上春樹の短編などは、夢中になったところでエンディングを迎え、謎が明かされないまま終わってしまってがっくり。余韻で解釈する能力が不足する僕が、こんなに楽しめるとは驚きだった。すっかり嘉村磯多のファンに。

    全編、実に面白かった。

    短編に輪をかけて読みこなす力がないのが随筆である。しかし、本書に収録されている随筆は楽しめるものが多かった。後半の作品は機知に富んだ今風の作品に通ずるものがあった。

    短編は世に出た順に収められているが、最初の『業苦』はこんな筋書き。
    圭一郎はY県(山口県)の山村で生まれ、2歳年上の女性と自分で懇願して結婚したが、彼女が処女でないことを疑い、調べると年上の柔道仲間の彼女だった事実が判明し、幼い子を置いて若い千登世と駆け落ちをし、東京で貧しい生活をする。煎餅屋の2階に下宿し、酒の業界紙で住所書きから始めた仕事生活は厳しく、少しまともな出版社に転職したものの、千登世の裁縫仕事に支えられて明日の見えない暮らしを強いられていた。若い頃に2年間、高徳の浄土教僧侶G師の禅房に寄宿していたため、東京ではG師の所に足を運んでいた。G師からはとにかく一旦は別れるべきだと厳しい言葉を食らった。

    故郷で自ら願って2歳年上の咲子と結婚したのは、母の愛情に飢えていたからであり、処女ではないことが許せなかったのも自分であり、自分の身勝手さは分かっているものの改められない状況。そこにどうにもならないもやもやが漂う毎日。

    2作目の『崖の下』は、その1年半後の話。
    煎餅屋の内儀が隠していた事実を偶然に千登世が知ってしまう。足の指に関するものだった。知られた内儀はまともに口を聞かなくなり、悪態をつかれるなど引っ越しせざるを得なくなった。次に見つけた部屋は、崖の下にあった。崖の上にはG師のお寺があり、G師の教えを天井に見上げながら暮らす毎日となった(出来すぎた設定だが解説によると実生活でも本当にそうだったようだ)。そんな時、残して来た子供が重病になったという手紙故郷から来る。手術の結果次第では、小学校に上がるのが1年遅れとなるかもしれない。しかし、いまさらおめおめと帰れない、お金もない。悪夢にうなされる。崖が崩れて下敷きになるかのようにも連想されるような悪夢。

    このG師というのは、本書の編者が日本初の本格的研究書を上梓した「近角常観」のことである。近角常観は、浄土真宗大谷派(東本願寺)の大僧侶(大僧都)にして(東京)帝大出身の宗教哲学者。編者の岩田文昭氏は、今年3月まで大阪教育大学教授を務めた宗教哲学者であり、名古屋での浄土真宗寺院の住職。僕とは同じ中学、高校で、中学2年では同じクラスになった仲でもある。

    解説によれば、上記2編もすべて嘉村自らの生活に即して書かれている。名前は異なるが、他の状況はほぼ一致。ただし、結婚した妻が処女でないことを結婚後に知ったのではなく、結婚数日前に前夫がいたことを知ったというのが実生活での出来事らしい。他の短編もそうだが、ここまで自己の経歴と一致する私小説ってありなのか、と思うほどの「極北」ぶりである。その意味で、本書を読む場合は「解説」をしっかり読むことが欠かせない。

    その解説がまた名文である。
    嘉村が最初はキリスト教に接するも、やがて近角常観を尊崇するに至り、自己の罪悪を見つめる傾向が強くなっていったこと。そこで悪人としての自己救済を望んだものの、嫉妬心が強く、愛憎の念が人一倍という性に苦しみつつ、悪人である自己を直そうとはしなかった。ひたすら、悪人である自覚が深まっていき、そのことで自己を責める。磯多の文学はここから発する。
    こんな内容の解説が、嘉村磯多の小説をぐっと深く理解させ、作者を世に受け入れさせているのである。

    各編についてもう少し。
    3編目の『曇り日』は印象に残る作品
    駆け落ち相手の女性には強い態度ではあるが、結局は折れる。その折れ方が潔いものでは決してない。ある意味、内包した自らの小心さを露呈したものであり、かつ、最後のオチが学習院前で卒業式の日に見かけた皇族が来ている予感に心が動揺する様子というのも、印象的だった。

    7編目『途上』は、自身の中学時代の話で、少し異色だった。勉強ができて、農家出身には珍しく入学できた主人公(=嘉村自身)は、寄宿生活をするが、名士の子弟達のなかである種の要領の悪さが故、いじめの対象となり、結局は途中でやめてしまう。その要領の悪さを後の人生でも引きずっていく、そんな話だった。

    岩田文昭さん、本当にありがとうございました。

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    2024年06月18日
  • 浄土思想 釈尊から法然、現代へ

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    浄土教ないし浄土思想についての概説的入門書です。

    法蔵菩薩のエピソードや浄土三部経についての簡単な説明のあと、中国仏教における浄土思想のなかで、善導に焦点をあてて解説がなされています。つづいて、日本での浄土教の展開に移り、源信、法然、親鸞のほか、法然の弟子のひとりである證空についてある程度ページを割いて解説がなされています。

    著者は、浄土思想にかんするさまざまな物語がもつ力に注目することで、過去から現在にまでおよぶ浄土思想の意義を把握することをめざしています。そうした著者の姿勢は、浄土教の非神話化を推し進め、近代以降に哲学者たちによってその思想の意義がさまざまに論じられた親鸞をあつかうさいにも一貫しており、後世の親鸞伝からそうした方向へと考察が展開されています。

    近代以降では、みずからの宗教的体験にもとづいて浄土教への帰依を語った近角常観や、精神分析の分野で「阿闍世コンプレックス」を提唱した古澤平作、そしてマンガ『ブッダ』の作者である手塚治虫などがとりあげられています。

    浄土教についての、比較的幅広い視点に立って解説をおこなっている本といえるように思います。

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    2024年02月01日
  • 浄土思想 釈尊から法然、現代へ

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    浄土思想とは、念仏である「南無阿弥陀仏」は誰でも、いつでも唱えれる言葉で「阿弥陀仏」と一体になっている事で悟りを得て仏になれると言う、こと。現代版「歎異抄」が分かり易い。現代の宗教思想とは、多くが宗教的拠り所というよりむしろ精神的な面へとシフトしている、という。本書は素人にはかなり難しく理解し難いが、人の心・悩みがもっと現実的な心理療法等へ願いを求め始めており、更に今後生成AIでの説教など精神安定法話等にも進展するかもしれない。

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    2023年12月17日