あらすじ
嘉村礒多(1897-1933)は,山口県仁保に生れ,夭折した作家.己の業苦の生を懺悔行の如く刻み,文学に結晶させた.小説は「業苦」から「神前結婚」まで8篇,宗教への憧憬,望郷の想いを語った随想6篇,近角常観,安倍能成ら宛の書簡6通を精選.悩み苦しむ者の生きる光源となる同朋の全貌を伝える.
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私小説の極北、草ぶかき近代文学を分け入った先にある、苔地蔵とでも言おうか。
無の境地に立脚していると、伊藤整が日本の私小説を指摘している通り、著者も真宗の影響を多分に受けているという。
因果を受け入れ、道徳を斥ける。その姿勢は悪人正機を連想させるが、業苦とは、他人にとっては独りよがりの大相撲にしか見えないが、根がピュアな分読ませるものがある。
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自己憐憫は醜怪だがここまで突き抜けたら別な景色。つぶさに人間のこころ、その光と影を見つめ続けるのはつらい。それでも安易な叙情に流れぬ礒多の生き様には居住まいただされる。人間だ。捻くれ者だった祖父の若い頃の写真に似ているから読み始めたジャケ買いだった。今はもう完全に失われた同人を何遍も思い出した。
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嘉村磯多集
編者:岩田文昭
発行:2024年3月15日
岩波文庫
嘉村磯多(1897-1933、明治30-昭和8)の短篇小説8編、随筆6編、書簡6通が、編者・岩田文昭氏により甦った。嘉村磯多の名は、岩田氏が10年前に上梓した「近代仏教と青年~近角常観とその時代」(岩波書店)で知っていたが、嘉村作品を読むのは初めて。編者の解説によると、嘉村文学は「私小説の極北」と言われているらしい。嘉村のプロフィールが書かれており、それを知った上で読むと小説もすっかり理解でき、かつとても楽しめる。
初読というか、楽譜でいう初見では、少し読みづらいところもあるが、1.5回程度読み(1回読んで主要なところを読み返す)、解説を読み、もう一度読むと完璧。それまで見えなかった無駄がなく華麗な文体が楽しめる(無駄がない文体の割にくどく何度も繰り返し過ぎている箇所はあるが)。僕は若い頃から短編小説を読む力に欠ける。オー・ヘンリーのようなプロットのはっきりしている作品は別として、例えば村上春樹の短編などは、夢中になったところでエンディングを迎え、謎が明かされないまま終わってしまってがっくり。余韻で解釈する能力が不足する僕が、こんなに楽しめるとは驚きだった。すっかり嘉村磯多のファンに。
全編、実に面白かった。
短編に輪をかけて読みこなす力がないのが随筆である。しかし、本書に収録されている随筆は楽しめるものが多かった。後半の作品は機知に富んだ今風の作品に通ずるものがあった。
短編は世に出た順に収められているが、最初の『業苦』はこんな筋書き。
圭一郎はY県(山口県)の山村で生まれ、2歳年上の女性と自分で懇願して結婚したが、彼女が処女でないことを疑い、調べると年上の柔道仲間の彼女だった事実が判明し、幼い子を置いて若い千登世と駆け落ちをし、東京で貧しい生活をする。煎餅屋の2階に下宿し、酒の業界紙で住所書きから始めた仕事生活は厳しく、少しまともな出版社に転職したものの、千登世の裁縫仕事に支えられて明日の見えない暮らしを強いられていた。若い頃に2年間、高徳の浄土教僧侶G師の禅房に寄宿していたため、東京ではG師の所に足を運んでいた。G師からはとにかく一旦は別れるべきだと厳しい言葉を食らった。
故郷で自ら願って2歳年上の咲子と結婚したのは、母の愛情に飢えていたからであり、処女ではないことが許せなかったのも自分であり、自分の身勝手さは分かっているものの改められない状況。そこにどうにもならないもやもやが漂う毎日。
2作目の『崖の下』は、その1年半後の話。
煎餅屋の内儀が隠していた事実を偶然に千登世が知ってしまう。足の指に関するものだった。知られた内儀はまともに口を聞かなくなり、悪態をつかれるなど引っ越しせざるを得なくなった。次に見つけた部屋は、崖の下にあった。崖の上にはG師のお寺があり、G師の教えを天井に見上げながら暮らす毎日となった(出来すぎた設定だが解説によると実生活でも本当にそうだったようだ)。そんな時、残して来た子供が重病になったという手紙故郷から来る。手術の結果次第では、小学校に上がるのが1年遅れとなるかもしれない。しかし、いまさらおめおめと帰れない、お金もない。悪夢にうなされる。崖が崩れて下敷きになるかのようにも連想されるような悪夢。
このG師というのは、本書の編者が日本初の本格的研究書を上梓した「近角常観」のことである。近角常観は、浄土真宗大谷派(東本願寺)の大僧侶(大僧都)にして(東京)帝大出身の宗教哲学者。編者の岩田文昭氏は、今年3月まで大阪教育大学教授を務めた宗教哲学者であり、名古屋での浄土真宗寺院の住職。僕とは同じ中学、高校で、中学2年では同じクラスになった仲でもある。
解説によれば、上記2編もすべて嘉村自らの生活に即して書かれている。名前は異なるが、他の状況はほぼ一致。ただし、結婚した妻が処女でないことを結婚後に知ったのではなく、結婚数日前に前夫がいたことを知ったというのが実生活での出来事らしい。他の短編もそうだが、ここまで自己の経歴と一致する私小説ってありなのか、と思うほどの「極北」ぶりである。その意味で、本書を読む場合は「解説」をしっかり読むことが欠かせない。
その解説がまた名文である。
嘉村が最初はキリスト教に接するも、やがて近角常観を尊崇するに至り、自己の罪悪を見つめる傾向が強くなっていったこと。そこで悪人としての自己救済を望んだものの、嫉妬心が強く、愛憎の念が人一倍という性に苦しみつつ、悪人である自己を直そうとはしなかった。ひたすら、悪人である自覚が深まっていき、そのことで自己を責める。磯多の文学はここから発する。
こんな内容の解説が、嘉村磯多の小説をぐっと深く理解させ、作者を世に受け入れさせているのである。
各編についてもう少し。
3編目の『曇り日』は印象に残る作品
駆け落ち相手の女性には強い態度ではあるが、結局は折れる。その折れ方が潔いものでは決してない。ある意味、内包した自らの小心さを露呈したものであり、かつ、最後のオチが学習院前で卒業式の日に見かけた皇族が来ている予感に心が動揺する様子というのも、印象的だった。
7編目『途上』は、自身の中学時代の話で、少し異色だった。勉強ができて、農家出身には珍しく入学できた主人公(=嘉村自身)は、寄宿生活をするが、名士の子弟達のなかである種の要領の悪さが故、いじめの対象となり、結局は途中でやめてしまう。その要領の悪さを後の人生でも引きずっていく、そんな話だった。
岩田文昭さん、本当にありがとうございました。