若井克子のレビュー一覧
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仕事の関係上認知症の方やその家族と関わることがありますが、認知症本人の病気への恐怖心は計り知れない。専門家なら尚更。忘れるということが増えて、できないことが増えて。怖かっただろうなと思います。
妻の克子さんもすごい人だなと思った。介護って綺麗事じゃない。一緒に肩を並べて歩んできた旦那がアルツハイマーになって徐々にゆっくりとできることが減っていく様を間近で見て、できないことを支える。病気といっても少し前までできていたことができなくなるって介護する側も苛立ちや葛藤が毎日あったろうな。嘘だったらいいなって思っただろうな。
この本は誰かの支えになる一冊だと感じた。
晋さんの「人の脳って、本当にきれい -
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東大教授、医者、クリスチャンの世界を駆け巡っていた第一線の研究者がワルツハイマーにかかり早期退職しての闘病記。読後感は重たいものであった。自分も認知症になる可能性もある。どれだけの率で罹患するかおわからない。50代で発症し60前にリタイアせずにいられなかったばりばりのドクターが、認知症が進行して行く過程を赤裸々に夫人が書いている。本人も配偶者も家族も巻き込んで発症してから寝たきりになり亡くなるまでの16年余りの見取りまでよく世間にあらわしてくれたことに奥さんに心から感謝したい。クリスチャンだからできることかもしれない。超高齢化に突入して認知症を患う日本人はある程度の率になると思う。余命何年と
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脳外科医が若年性アルツハイマーになって、というのをどこかで見たことがあったので、読んでみた。読む前は、アルツハイマーと診断されてから講演会を行っているとこを知っていたので、奇跡的にアルツハイマーが治ったり、症状が出ない時に講演などしているのかな、と想像して、なんとなく奇跡のお話、だと思い、読み始めたのだが、そんな話ではこなかった。アルツハイマーは確実に、進行していくのだけど、その様子を、著者の奥様が、ありのままの気持ちと、穏やかな書き語りが綴られた本だった。読んでみて良かった。アルツハイマーが身近になくても、こういう思いや、出来事は色々とあるわけで、涙ながらに、とても勇気づけられた。
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老いゆけよ、我と共に! 最善は これからだ。
岩井晋先生は1947年生まれ、東大出身の脳外科医で独協医大の脳外科の教授(1996-1999)、そして東大の国際地域保健学教授(1999-2006)。2001年ころから記憶の低下などが出現しているので54歳という若さで発症した若年性アルツハイマー病。
2006年、東大教授を早期退職し沖縄に移住・療養。2010年、要支援1、2015年、要介護5と進行し、2021年1月誤嚥性肺炎で死去、73歳。
症状が出始めてからの苦悶、現実との折り合い、診断確定、早期退職。病名の公表、講演活動(失敗もあれば成功もあり)、病状の進行、そしてコロナ禍中の死まで。全 -
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元精神科医で東大教授である若井晋先生の妻・克子さんによる著書。
若年性アルツハイマーを患った晋さんがどのように病と向き合い、歩んでこられたかという半生が綴られています。
全体を通して柔らかい文章から伝わる克子さんの思いと、壮絶ながらも心温まる内容に自分の価値観を見直すきっかけにもなる本でした。
病気は代わってあげることができないし、今すぐに特効薬を生み出すこともできない。
お金だけではどうしても解決できないこともあるし、辛さをわかってもらえない・わかってあげられないもどかしさもあります。
そんな中で「自分一人が闘っているわけではない」という孤独を和らげるような優しさが、この本にはたくさん込め -
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認知症の話って悲しくなるから今まで避けてたんだけど、タイトルに惹かれて読んでみたら、とっても勉強になりました。
記憶は失っていき、出来ることも少なくなるけれど、その人らしさは失わないっていうのがすごく希望に思えました。そして著者の言葉を発しなくても例え叫んでいても、気持ちを読み取ろうとする姿勢に感動しました。なかなか出来ることじゃないと思います。そしてどんな挑戦でも支えて寄り添ってるのが本当に凄かった。
時には、挫折しそうになったという率直な気持ちも書かれているのが良かった。絶対大変なこともあるから、美談だけで終わると疑わしく思ってしまう。
あと日記帳も公開されており、認知症の人目線での -
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若年性アルツハイマーは、どれほど頭を使おうと、活動的にしていようと関係なくやってくるのだ。
65歳未満で発症するアルツハイマー型認知症を若年性アルツハイマーというらしいですが、まだ働き盛りの50代、しかも東大の教授(脳外科の医師)という脳のエキスパートが発症してしまう、その診断された後の絶望感はいかなるものでしょう。
受け入れるのに数年かかったそうだが、その葛藤を思うと胸が痛くなります。
しかし、この夫妻には大学時代からのキリスト教の信仰があり、信仰や周囲の人々との関わりとともに生きていくのです。
人が変わってしまったのではない、出来ることが出来なくなり、分かっていたことが分からなくなり、不安 -
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私の母と診断がついた年も亡くなった年も、言葉が失われていくタイプの認知症だったことも同じだったこともあり、進行の過程に伴う本人や家族のとまどいがよくわかる。字の練習をしているノートや自筆のメモも見つけた時の著者の思いに自分を重ねずにはいられない。こんなふうになっちゃってかわいそうにとか、地獄だね、という周りの言葉には理解されない無力感と憤りしか感じれないことも。脳の専門家であった人が自分は認知症を患っているかもしれないと感じ始めた頃の恐怖はいかばかりだろう。MRIの画像を何度も見ていた話が辛い。しかし、ご本人もその奥様である著者も信仰があるからか、地位や名声より人としての本質を大切にされてこら