小関悠一郎のレビュー一覧
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【上杉鷹山は、まさしく「民の為にするハ公」という精神を体現しようとした、近世の「明君」と見ることができるだろう】(文中より引用)
米沢藩における財政立直しの改革を成し遂げた「明君」として、今日に至るまで人気を集める上杉鷹山。何が鷹山をして「明君」たらしめたかを明らかにしながら、近世に芽生えた政治理念をたどっていく作品です。著者は、千葉大学で教授を務める小関悠一郎。
鷹山の歩みだけではなく、米沢藩全体としてどのような改革を成し遂げたかがわかり興味深い内容でした。日本史の知られざる側面を明らかにすると同時に、現代にも通じる政治哲学を論じているようでもあり、多面的な読み方を許す一冊かと。
かな -
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9代目米沢藩主である上杉鷹山について知れる本。
120万石から30万石、15万石へと減封され廃れていた藩内を建て直したことで知られる名君であると認識していたが、それを実現するにあたり、竹俣当綱や莅戸義政と言ったら、鷹山を育てて支える臣下の存在に焦点の当たった興味深い本であった。また、鷹山が藩主を譲った後の臣下である莅戸政以らもある。
殖産興業や教育面などの施策も少しわかり、18世紀から19世紀における米沢藩、江戸の時代の様子を窺える上でも勉強になった。
いずれにしても、鷹山の、君主として藩に尽くすこと、その上で人民のために力を注ぐこと、君主は民の父母であり、民のために尽くす、その心持ちが尊敬 -
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ネタバレ出羽国米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)よりも、それを支えた3人の家臣に着目した内容である。
●竹俣当綱(たけのまた まさつな:1729-93):
鷹山が当主となる(1767年)前の1761年、会談所奉行・江戸家老に昇進。「第1の改革」=明和・安永年間(1764-81)の藩政改革を主導。積極的で大規模な殖産興業の実施
●莅戸善政(のぞき よしまさ:1735-1804)通称・九郎兵衛:
財政に明るく、竹俣当綱らと共に鷹山に抜擢され、藩政改革に活躍。鷹山の財政改革が失敗したため一時失脚して隠居。後に鷹山の要請により復帰し、寛政期の改革=「第2の改革」。を主導。鷹山の言動を描いた「名君録」とし -
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為せばなる、為さねばならぬ、何事も。
この言葉を述べた人として有名な上杉鷹山だが、具体的に彼がやった改革がなんなのかがわからず、この本を読んで勉強したいと思った。
彼の改革は前半の明和・安永改革、後半の寛政改革に分かれる。後半は隠居後に後見の立場から実施している。
様々な文献から、上杉鷹山が優れた人格者であり倹約家だったことは伺えるのだが、竹俣当綱や莅戸善政など、実際にはかなり優秀な家老や家臣に恵まれていたこともわかる。彼らは鷹山を育て、民のための政治家になるように仕向けた立役者でもある。
明治維新のキーワードとなった富国強兵だが、その前身となる考え方、「富国安民」を解いていたのが鷹山の