高山裕子のレビュー一覧
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「陰口を言うことより、いすを投げつける方がいつも罪が重かった」
本文中に出てくるこの文は、私も同じ思いに囚われている。おそらく今でも(お子さまですいません)。
冷静に考えてみると、確かにいすを投げつける方が、相手に取り返しのつかない大怪我をさせてしまう可能性が高いから罪が重いのだろうと、大人なら思うだろう。
ただ、こう返されると、当時の子供の私には、
「肉体の痛みと心の痛みは、肉体の痛みの方が上なの?」と反発するだろう。
「私がどういう環境で育ってきたか、あんたたち知ってるの。知りもしないくせに分かったようなこと、言ってんじゃないよ」と、今風に言うと「キレて」しまっていたのだ。
さす -
Posted by ブクログ
発達障害の疑いがある中学1年の雅也と、様々な事情を抱えて北海道の児童養護施設「北の太陽」で暮らす子どもたちとの交流を描く。
彼らが共通して読んでいる『みつばちマーヤの冒険』から大切な言葉の引用がスパイスになっている。
「普通」ってむずかしい。
「普通」になりたいよなぁ。
「普通に生きるって、世界を実感することだと思う。世界を実感すれば、きっと変われる」と雅也と海鳴の会話がやるせない。
コミュニケーションがうまく取れない雅也と家庭がない海鳴は自分たちを「普通」とは思えない。
でも「普通」ってなんだろう?
「自分の力ではどうにもならないことで悩む苦しさがわからないなら、大人失格です」
「あき -
Posted by ブクログ
ネタバレ「北の太陽」の子どもたちと過ごすひと夏の物語。
雅也は夏休みに、北海道の養蜂場で働くおじさんを訪れる。寝泊まりするのは「北の太陽」。さまざまな事情を抱えた5人の子どもたちが暮らしている施設だ。相手の気持ちを考えて話すことができず生きづらさを抱えている雅也は、同様に困難を抱えた北の太陽の子どもたちと共に過ごす中で、前を向いて歩くことができるようになっていく。
『みつばちマーヤの冒険』の印象的な言葉の数々が、ときに雅也たちの心と重なり、ときに生きていく道を照らし、物語を彩っていたところが素敵だった。
クラスの中で遠ざけられ疎外感を味わい続けていた雅也が、「自分を受け止めてくれている」と確かに