田上孝一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
新書という形式では本邦初の動物倫理学の入門書。これまでの人類の動物への扱いは基本的に不当であり、動物に権利を認め、動物を「生きた道具」として使わない文明とライフスタイルをこれからの人類は構築すべきだと主張。
倫理学の3つの主要学説である功利主義、義務論、徳倫理のエッセンスの解説から始まり、それぞれの立場に基づく動物倫理学の経緯や考え方を解説した上で、人類は動物とどう付き合っていくべきかの考察や人間中心主義の問い直し、環境倫理学との対比、マルクスから得られる示唆へと論が展開していくが、動物倫理学やその周辺について理解が深まり、とても勉強になった。
しかし、動物倫理学の考え方には違和感が拭えず、著者の主張に納得できたかというとそうは言えなかった。
まず、動物に人間と同様の「権利」があるとする根拠が曖昧なように感じた。「生の主体性」や苦痛を感じるなどの感情があることが根拠とされているが、やはり人間の持つ意思表明能力、世界の認識能力、言語によるコミュニケーション力など、いわゆる理性といえる能力は一般的な動物とは区別されてしかるべきではないかと思う(著者が人間に近いとして例に挙げているのは基本的に類人猿であり、百歩譲っても認められるのは類人猿の権利だけではないか)。
また、権利を持つ対象となる動物の範囲も不明確である。魚類や鳥類も生の主体たり得る可能性があるとしているが、では、昆虫やエビ・カニなどはどうなのかについては全く語られていなかった(蚊に刺されたからと言って死ぬわけでもないのに蚊を殺すことは動物倫理学ではどう評価されるのか)。また、感情を持つというならば、植物にも感情があるという研究もされているが、植物については権利を認める必要はないのだろうか(そうなれば、人類は餓死せざるを得なくなる)。
そして、肉食を倫理に反すると主張しているが、雑食動物である人間にとって動物を食べることは自然の摂理に沿ったものであり、否定されるべきものなのかという疑問がある。「工場畜産」に問題があるとしても、それはそれとして動物福祉的な考え方で対応すべきことではないか。
ほかにも、「自然の権利」を否定するところで、本来の意味での権利は法的な権利ではなく道徳的な権利である旨を主張しているが、個人的には権利というのは法的なものという説明のほうが理解しやすく、道徳的な権利というのは内容が不明確だと感じた。このように、「権利」などの動物倫理学で使用される用語が観念的で、恣意性を帯びているように思われることも、その議論にあまり説得性を感じない一因である。
以上のように、個人的には、本書の主張には疑問が多く、納得はいっていないのだが、動物と人間との関わり方に関する議論に一石を投じるという意味で、本書の意義は認めるところである。 -
Posted by ブクログ
マルクスと現代社会の結び付きについて述べた本。現代社会の諸問題をマルクス的視点から読み取るというスタンスで、マルクスの予測・理論・危惧が現代の中にどんな形で潜んでいるかが分かる。ただし、ポスト資本主義の社会がどうあるべきなのか、という部分については、経済構造の話というよりも個人個人の道徳心や感性に依存している気がした。
全体の傾向は「古典としてマルクスを読む」というスタンスではあるが、マルクスをかなり肯定的に捉えているので、私のような初心者はそのことに注意して読む必要があると感じた。また、『資本論』の解説本ではなく、あくまでマルクスの入門書であるので、『資本論』の内容に繋がる理論を知るというより、その思想の背景を知るという意義が強い。付録を含め、マルクスに興味を持ちはじめた(なおかつ、少し学者っぽい言い回しや小難しい文章に慣れてる!)人にオススメしたい。 -
Posted by ブクログ
疎外論をマルクスの思想の中核に位置づける立場から、アクチュアルな問題に対してマルクスの思想がどのような寄与をおこなうことができるのかということを解説している本です。
著者はすでに『マルクス哲学入門』(2018年、社会評論社)を刊行しており、そちらでもマルクスを「古典」として読むとともに、そのなかから現代社会の批判原理をつかみとるというスタンスに立っていましたが、本書では「ブルシット・ジョブ」やワーキング・プアといったより具体的な問題に焦点をあてて、マルクスの思想の現代的意義が論じられています。また、ソ連や中国などの「現実社会主義」がマルクスそのひとの構想した社会主義とは異なるすがたであることを指摘するとともに、アソシエーションにもとづく未来社会の構想として、マルクスの思想が解釈されています。
最後に著者は、マルクス主義と環境問題との関係についても、一章を割いて考察をおこなっています。マルクス主義はしばしば生産力至上主義とみなされていることに触れて、マルクスの議論には一定の限界があったことを認めながらも、資本の自律的な運動を止めることのできない資本主義ではなく、労働の疎外が克服された社会主義によって、環境問題の解決がなされるという見通しが提出されています。