金子幸彦のレビュー一覧
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19世紀ロシアの思想家、アレクサンドル・ゲルツェンの回想録である。
1852年、ゲルツェン40歳のとき、亡命先のロンドンで、妻の死を機に己の来し方を振り返る。
19世紀ロシアは極めて不安定かつ複雑な状態にある。
ロマノフ王朝による圧政、
過酷な農奴制、
前世紀ピョートル大帝時代からの西欧文明への憧れと劣等感(=サンクトペテルブルク的西欧派)、
ロシアの伝統への愛着と後進性への嫌悪感(=モスクワ的スラブ主義)、
ナポレオン戦争を機に芽生えた貴族と農民の身分を超えた連帯、
変わりゆく周辺国と革命への予感。
この多層的な世紀に於いて、
その矛盾ある社会のあり様を変えたいと模索した貴族の青年たちが、所謂「ロシアインテリゲンツィア」と呼ばれる人々である。
ゲルツェンはその筆頭と言うところ。
全七巻と長い回想録ではあるが、彼の緻密な描写をもってこの19世紀ロシアを描くには、必要なボリュー厶であろう。
本書に限らずこの期間のロシア史全般について、自分の関心として二点ある。
まず一つは、
ロシアの歴史が20世紀の社会主義体制に辿り着く道筋、
そしてその体制が崩壊した今後辿る展開、
というところに注目している。
ゲルツェンは宗教(ロシア東方正教である)には比較的否定的であったが、
ロシアの農村共同体と正教の教えなどは不可分と思われるし、
個より全体を重んじる価値観は、20世紀の社会主義体制のずっと前からそこに存在したものである。
この点も含め、ロシアがはたしてヨーロッパなのかアジアなのか、と言うところも興味深い。
もう一点は、自分の写し鏡としてである。
ゲルツェンをはじめとするロシアインテリゲンツィアと呼ばれる人たちには、深く共感するところがある。
この第一巻を読んでも、幼い頃の教育方針など、思い当たるところがある。
一体何故自分のパーソナリティに19世紀ロシアとの共通点を見出すのか。
ごく個人的な興味ではあるが、読み進めることで理解したいと思う。
ロシア史は、知れば知るほど興味を刺激して愛着を感じさせる。
現代日本でこの名著を読めることは幸福であり、編集者と訳者の皆様に感謝しかない。 -
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損得や世間体や面倒くささなど、色々なことを計算しながら行動するのが、私たちには当たり前だ。
イワンや、国の人たちは、こういうことを全く考えない。それを「ばか」と表現されている。
「お妃さまも、ばかになりました。・・・国には、ばかだけが残りました。」
人が困っていたら、何も考えずに助けてあげる人たち。こつこつといくらでも働く人たち。
すごい、と思いました。こんな生き方があるなんて思ってもみなかった・・・というか、現代の日本の大人の世界に生きていたら、退化してしまう感覚。そう、退化したのは私たちのほうで、彼らの正直さと勤勉さこそが崇高だと思った。
トルストイの文学はキリスト教を根底に書かれているが、宗教観にとらわれず、普遍的でとても大切なことを教えてくれる。この本の中のどの話もすばらしかった。 -
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表題作の「イワンのばか」は子供時代に絵本で読んだきりの作品だったし、「人は何で生きるか」「人には多くの土地がいるか」の2作は、読んだ記憶こそあれどもいつ頃どんな本で読んだのかに関してはまったく覚えがなかったんだけど、子供時代に読んだ時よりも今の方が共感できるような気がしました。 少なくとも現代日本の経済社会で生き抜くためにはほとんど参考にならないお話ばかり・・・・ではあるのですけどね(苦笑)
「愛のあるところには神もいる」、「ふたりの老人」、「二人の隠者」の3作品は、「新々約聖書」かしらと感じられるぐらい「伝道書」っぽい作品でした。
個人的に気に入ったのは4つの小品で、これらの物語のほとんどは古いロシアの民話風。 さらっと読める割にはストンと心に落ちてくるものがある物語集でした。
(全文はブログにて) -
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「トルストイの民話」を読んだのは大学生のとき。
「人はなんで生きるか」は素晴らしいよと聞いて読んだけど、正直そこまでいいのかわからなかった。
なんか、説教くさい感じがしたというか、小言を言われている気分になったっていうか。。。
結局オチは神様かよ!とかいうツッコミをしてたのも覚えています。
世界的な文豪に対してエラそうな態度ですね(笑)
その「トルストイの民話」から代表作を集めたこの本を、なんでもう一度読む気になったのかはわからないのですが、なんだか読んでみたんですよ。
そしたら、やっぱり名作は名作なんだなって思いました。
自分が成長したってことかな?
生意気さが減ったかな??(笑)
昔は感じた“説教臭さ”だけど、ただの説教臭さではないなと思いました。
読むとこまで読めていなかったのだなと。
それをうまく言葉にできないのは私の未熟なところですが。
きっと、読む年齢によって読み方が変わったり、面白くなったり、一回で終わらない魅力があるのも名作たるゆえんなのでしょうね。
「本は、読まなくても本棚に置いてあるだけでいい。読めるときになったら手が伸びる。」とは私が大好きな絵本屋さんの言葉。
もう一回読んでも読み方が変わる自分になったからまた手に取る気になったのかな?なんて思います。 -
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ゲルツェンの回想録第五分冊。
前半は妻の不倫の話であり、後半は彼のヨーロッパで交流関係内の革命家の運命について。
内輪の愚痴だと読める内容も多かった。
その中でゲルツェンの真骨頂とも言える内容は、
第45章の付録として掲載された評論、「ジョン・スチュアート・ミルとその著書『自由論』」である。
「彼は「凡庸」に対して、自由を擁護しようというのである」
「イギリスにおいて、一般的で群衆的なタイプが作り出されつつあること(それはトクヴィルがフランスにおいて気づいたところである)」
「些末なことに心を奪われている人間が、何のために奮い立ち、鉄道や電信や新聞や安価な製品のある現在の生活に不満を持つにいたるのか」
「個性的な人間が登場しないのは、登場するに足るだけの十分な動機がないからである」
これは、技術革新や産業の発展を通じて、消費社会とその安定期に入った文明国が普遍的に当たる壁だろう。
「近代化への違和感」という言葉に言い換えられるこの現象は、20世紀の間中も常に繰り返されてきた。
そして21世紀に至り、その違和感がついに突破され忘れ去られたのが現在地ではないか、という気がする。
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ゲルツェンの回想録第4分冊。
ヨーロッパでの亡命生活と、各国の同志たる革命家たちとの交流を振り返る。
フランスやイタリアの出来事についてはまだ不勉強で、この本を通じてヨーロッパの19世紀が学べる。
19世紀とは、18世紀終盤のフランス革命からの展開と、20世紀の大戦やロシア革命への伏線であり、
ヨーロッパ全体として非常に動的で混乱した世紀だということが、国家・市井の両方のレベルで伝わる。
それにしても、ここにきてゲルツェンの大物感が際立つ。
ロシアの貴族文化の重層的な背景を持つ彼には、パリが「ポッと出の成金」に見えたと言うが、
ヨーロッパを股にかける人脈と交流は錚々たるもの。
自国のバクーニンやチャアダーエフにとどまらず、
パリでトクヴィルとやり合い、
ロスチャイルドの紹介でヨーロッパの金利生活者になり、
プルードンの自費出版に多額を拠出して惜しまない。
現代日本でも名が通るような歴史の有名どころが日常の景色に登場するあたり、そこら辺の貴族ではなく、桁外れた「ロシアの大貴族」なのだろう。
記述もますます高貴さが強まり、貴族的な空気に没頭できる読書体験である。
プルードンについてゲルツェンは「負うところがある」と書いているが、一方でマルクスは酷評していた。
彼の思想もいつか掘り下げてみたいと興味が湧いた。 -
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ゲルツェン回想録第3分冊。
全8部にわたる原作の第4部、全62章のうち第26〜33章にあたる。
最初の流刑から解放されモスクワに戻った後で、ペテルブルクに移ったところから。
要点は、当時の彼の周囲の友人知人、つまり所謂19世紀ロシアインテリゲンツィアと呼ばれる思想家たちが、どのような議論を重ねたかと言う点だ。
「西欧派vsスラブ派」という大まかな構図は言わずもがなだが、
西欧派の中でのさらなる個人間の解釈の違いなどが事細かく書かれている。
巻末解説のお力添えも大きく、当時の熱い議論の様子が、完全にとはとてもいかないが、それでもいくらかは捉えられたように思う。
例えばチャアダーエフとグラノーフスキーはともに「西欧主義」と呼ばれる思想であったが、
かたやチャアダーエフが西欧カトリックとの同化を主張したのに対して、
グラノーフスキーはヘーゲルからの影響が顕著で、より民族的な視点を重視する。
熱い議論を面白く読める一方で、ゲルツェンの貴族思想は読むに従って強く感じられ、自分にはその違和感が強まるという側面もある。
教養や仕事の技術・技能的側面への徹底(p140)、
身分や教養の違う結婚への批判的視点(p406 )など、
彼の頭の中はどこまでも貴族主義だ。
しかもゲルツェンの家系はロシアの貴族の中でも特に位が高い。
農民に希望を見いだしながら自身は貴族であり、農民は理想のなかのそれであって現実は見えていない、というのはロシアインテリゲンツィアに共通の特性である。
一方でゲルツェンは、トルストイのようにそのことに苦悩はしておらず、流刑や監視を受けつつもその貴族生活を息をするように謳歌している。
今後の展開でその点がどのように変化するか或いはしないのか、楽しみである。 -
Posted by ブクログ
ゲルツェン回想録の第二分冊。
この巻で彼は初めての流刑地に流され、
地方での職務を経験し、
ロマンスを経験し、
妻をモスクワから内密に連れ出して結婚し、
再び首都に帰って仲間と交流する。
徐々にゲルツェンの人柄が浮かんできて、いくつか印象的な内容がある。
まず、貴族と下僕や農奴との圧倒的な身分差をありありと。
同じ人間の中でこれほど明確に差があるというのは、なかなか現代人からは想像が難しい。
さらにゲルツェンの家柄は貴族の中でも特に高貴なので、誰よりも彼自身が、あらゆる人より上に立っていることを無意識のうちに自覚して振る舞っている。
またその身分ということに関わるが、「流刑」とは言え彼らの場合は、サラリーマンの転勤よりもずっと恵まれている。
刑罰であるはずなのに、高い役職で地方勤務ができて、立派な家でそれなりに自由のある生活が送れる。
また、これはゲルツェンの人間性に関してだが、
狡猾で欲深い官吏たちを「下品」などと酷評する割に、
自らはよそのお家の奥様といい関係になり、
さらにその病気の主人が亡くなっていよいよ責任を取らなければ、という時には、冷めてあっさりその女性を捨ててしまう。
その上で、「私の熱情は誠実なものだった」。
いやいや。
後半、首都に戻ってからの革命仲間との再会以降は非常におもしろく読んだ。
ヘーゲル解釈についての論争や、ベリンスキーの回心などは、さすが読みごたえがあった。
ゲルツェンの魅力は勿論変わらないが、
しかし、貴族という地位を大いに活用し、
はるかの高みから人々を見下ろして、
その割に自分の欲望は抑えられず、
その言い訳も雄弁で、
これで本当に革命家と言えるのか?という疑問もわかないではなかった。
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ネタバレ【Impression】
あれや、イエスマンの元にでもなってんちゃうかって話やな。
ただ上手いところで断るあたり、「馬鹿」とは何において「馬鹿」なのかを考える必要がある。
イワンが無敵状態で過ごしているから、読んでてすっきりするわ。
にしても、デブの商人のとこやったっけかで悪魔が露天で品物を干上がらせてしまう、って流れは恐ろしかった。
経済学の本にも使えそう
【Synopsis】
●3人兄弟と1人の妹がいた。長男は優秀な兵士、次男は商人として成功を収めたが、三男は馬鹿で妹は耳が聞こえず喋れもせずというどうしようもない状況だった
●そこに悪魔と3匹の小悪魔が登場。3人を仲違いさせる目的で一度送り込まれたが、イワンのせいで防がれてしまい、再度妨害に向かう
●この度もイワンが全て長男次男の行為を許してしまい、さらに勤勉に働き、小悪魔達も次々と見つかってしまった。さらにイワンは小悪魔から能力を受けとり、全て追い返す
●親玉悪魔が登場。再起を果たした長男次男を滅ぼし、イワンのもとへ向かう。しかしことごとく失敗。そこで「なぜ身体を使ってしんどい働き方をするのか。もっと頭を使え。俺が説明してやる」という
●ところが意思疎通が取れておらず、イワンは文字通り「頭を使う」仕事だと思う。悪魔が連日ぶっ通しで民衆に語りかけるが通用せず、疲れから頭を壁に打ち付けてしまった
●それを聞いたイワンは「とうとう頭を使った仕事をはじめたか」と喜び見に行くと、階段を頭から転げ落ちる悪魔を見つける。そして例の如く地面に穴が開いていることを発見、悪魔だと見破ってしまった。ここでも悪魔はイワンの馬鹿を看破することはできなかった。果たして馬鹿とは何なのか -
Posted by ブクログ
イワンのバカ!と聞くとトルストイより先に筋肉少女帯が出てきてしまう…(^^;
なんて余談はさておき、トルストイの「イワンのばか」です。
タイトルが衝撃的だけど、読み進めるとイワンは愚直で、彼なりの幸せの捉え方を持っているだけだと思った。そして、それを貫いて、幸せな国を築いた彼は幸せものだな、よい終わり方だったなと思った。
人間、頭を使うだけじゃダメなときもあるもんね。私も、お仕事の中では手を動かすことや、現地現物主義の大切さを痛感することがあるし。
ただし、何というか…ロシアなせいで、「資本主義は悪、共産主義万歳!」みたいな匂いをふんわり感じてしまうのは、私の感性の問題かしら。
筋少のイワンのバカとは何の関連性もなかった。笑