NHKメルトダウン取材班のレビュー一覧
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福島第一原発事故の詳細について分かりやすく書かれていた。
厳しい状況の中で奮闘した現場の方々には頭が下がる思いだが、原発という非常に有益かつ危険な装置を扱う上での危機管理が満足であったとは言い難い。日本は資源の少ない国であるため、電力を求めるのであれば原発も致し方ないとは思うが、人間の手に余る危険な装置を使うのであれば最低でも完璧と胸を張って世界に自負出来るような対策を施した上で使用を検討すべきであると思った。
当時、テレビからの情報でしか原発の状況は把握できず、不安も大きかったため、時系列に沿った詳細な状況を知ることが出来て良かった。 -
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第9章 巨大津波への備えは本当にできなかったのか
を読んで愕然とする
津波対策が必要だという意見が社内や業界で握りつぶされてただけではないか
東電経営陣の責任は非常に重い
注水がうまくいかなかったからこそ容器内の温度が上昇しなかったとか、装置が不出来だったことが結果的に大惨事を防いだとか、判断ミスがいい方に転んだとか、偶然と奇跡の連続で首の皮一枚つながった福島原発事件
神の存在を信じてしまいそうなほどの奇跡でこの国は滅亡しなかったといえる
だからこそ今、全原発即時廃炉以外に選択肢はない
一度しか起きないからこそ奇跡。二度目の奇跡はあり得ない
神様がいたとしても二度目の慈悲は与えないだろう
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NHKメルトダウン取材班の、10年に及ぶ継続・網羅的な取材を基にした貴重写真を含む膨大な情報量‥‥圧倒的でした。これまで報道されていない事実に驚き、時系列で進む緊迫感に引き込まれ、改めて悪寒が走るような恐怖を覚えました。
事故後10年を経て単行本が刊行され、文庫化にあたり「ドキュメント編」と「検証編」に分冊して刊行。本ドキュメント編は、単行本の第1部を基に、新たに判明した事実を加筆修正したとのこと。
本書では、東電の中央制御室・免震棟・東京本店と首相官邸に対象を限定し、どう対応したかを再現しています。新事実が出てきて真相が変わるなど、正確な事故像が提示され驚きの連続でした。
東京を -
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NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』講談社文庫。
2021年に刊行された単行本『福島第一原発事故の「真実」』をドキュメント編と検証編に分冊し、加筆修正、文庫化。
ドキュメント編に次いで、検証編である。
東日本大震災による津波により全交流電源の喪失したことから福島第一原発は1号機、3号機、2号機が次々とメルトダウンを起こし、1号機、3号機、4号機が相次いで水素爆発を起こした。
この大事故により東日本一体は少なからず放射能に汚染される。冷却機能を失った原子炉の暴走を食い止めたのは皮肉にも消防車による注水の失敗や原子炉格納容器の継目からの水素の漏洩といった偶然が重な -
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NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編』講談社文庫。
2021年に刊行された単行本『福島第一原発事故の「真実」』をドキュメント編と検証編に分冊し、加筆修正、文庫化。
使用済み核燃料の廃棄問題も解決せず、安全対策も不十分なままに見切り発車で始まった原子力発電が天災と人災により、大きな危機を迎えた。
ドキュメント編と言うだけに文章と写真や図解から恐ろしいまでのリアリティが伝わり、手に汗握った。
原子力発電所の安全神話が瓦解し、日本全国に点在する原子力発電所が核兵器にしか見えなくなった大事故。東日本大震災による津波により、全交流電源を喪失した福島第一原発は1号機 -
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『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編』の内容の検証編。
当時の福一原発の吉田所長が調査委員会の聞き取りに答えた「吉田調書」からの引用が多い。
本書は13章から成るが、主要テーマは以下の5つかな。
・1号機の非常用の冷却装置(イソコン)を巡る対応
40年もの間、動作確認をしておらず、動作音や動作中の状況を知っている人がいなかった。
そのため、イソコンは動作していなかったが、動いている(はず)と判断しての対応となっていた。
・予定されたベントが遅れた理由
ベントの訓練はしていたが、電源が供給されていることが前提の操作だった。
現実は電源供給がされておらず、決死隊を組んで手 -
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NHK取材班10年間の成果。
震災当時稼働していた1Fの1〜3号機は発震直後の緊急停止は成功していたが、津波による電源喪失により冷温停止状態に持ち込めず、燃料棒が過熱、圧力容器、格納容器内の温度、圧力が限界値を超えて上昇していく。
停電の暗闇で計器も動かず、原子炉内の様子も掴めない中、状況を把握できていない官邸や本社から横槍が入る。
1号機、3号機、4号機と立て続けに水素爆発を起こし、散乱する瓦礫や線量に、死も覚悟しつつベントと注水に挑み続ける現場要員たち。
最悪の場合、原発から半径250キロ圏内の避難もあり得たということだが、現実的にはどうだったのか。
電源喪失がすべての始まりとはい -
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これは誰もが覚えておくべき惨禍の検証記録であり、たまたま最悪の事態に進展しなかっただけだったことを明らかにしている。3月11日夜福島第一原発の全電源喪失が伝えられてから、翌日12日土曜日午後3時36分に一号機が爆発するまで、掲示板上で交わされていた危機を伝えるやり取りを思い出す。その日の夜に東京に住む息子家族に今後も原子炉のメルトダウン、不測の爆発が起こりうると電話で話して、孫たちを4月新学期が始まるまで避難させた苦い思い出がよみがえる。福島第一原発事故が想定されるべき危険として共有されていなかったことがこの事故の原因であり、現在も断層直下にある敦賀原発、そして能登地震断層近くの志賀原発など日
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Posted by ブクログ
吉田所長は、津波で電源を失った時、
メルトダウンという事態を頭に描き「もうこれは駄目かな」と覚悟を決めていた。
中央制御室からの報告を受けて
「もう何も見えねー、飛行機を計器もエンジンも全部消えた状態で操縦しろと言われているようなものだ」
と思っていた。
事故当日、原子炉の格納容器内に水があり、燃料棒の上まで満たしていると水位計は示していた。
が、実際は水はなくメルトダウンが始まっていた。
事故後、水位計が正しく機能していなかったことが明らかになる。
電源喪失の恐ろしさを感じた。
電気は常にあるのが当たり前と思っているが、停電すると酷いことになる。
4月末にスペインで大規模停電があった