牧野成一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白い
ひとつだけ気になったのは、翻訳によって、失われるものと残るものは何か、という問いだ
私はこれは片手落ちと思う
翻訳によって、失われるものと残るものに加えて、得るものは何か、を考えたい
この本のしている考察は、まさに得るもののひとつであるし、例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」の蛙が、英訳されたときに単数形か複数形かを選ばざるを得ないことで失われる曖昧さは確かにある。
あるのだが、それは画一的な見方であり、単数を獲得してるともいえる。
翻訳は、失ったばかりでなく、何かを得ている。というか、何も失わないように翻訳するのが無理なように、何も得ないように翻訳することも不可能だろう。
そこで得てしまうものは正しいものではないのか?
意味や価値の領域で正しさというものを問うてしまっている時点で、この質問自体が失敗している
つまり翻訳は、何かを失い、何かが残り、何かが加えられる
それは正しいか正しくないかではなく、原理的にそうなるので、そのことをどう用いるか、にしか問いの意味が生まれ得ない -
Posted by ブクログ
「すべての翻訳には失われるものがあり、同時に失われずに残るものがある」ことを軸に、展開されていく。
第2章ではひらがな、カタカナ、漢字の持つウチソト、ジェンダーの含みを。
第3章では比喩表現、第4章では時制、第6章では常体と敬体について扱っている。
自分の扱っている所で特に面白かったのは、第7章の「受動文の多い日本語、能動文の多い英語」だった。
「ペアの動詞群はaku/akeru、shimaru/shime-ru、tasukaru/tasukeruのように、共通する語幹の次に来る母音が替わります。ところが、大事な例外があります。語幹が共通でないのにペアになっている『なる』と『する』のような例です。この2つの動詞はまさに『自発』対『人為』の対立です。次の節でも説明しますが、私は『思う』と『考える』という大事な動詞も自発動詞対非自発動詞のペアだと考えるべきだと思います。」
助動詞る、らる、ゆ、らゆの自発を扱いながら、最後は「出来る」を人為か自然(出で来る)かまで見ていく。
うわあ、面白い!
ちなみに、反復についての例えで、ふと疑問が。
「(桑太郎という老人が街角の占い師と話している場面)
占い師:おじいさん、いくつ?
桑太郎:七十六。
占い師:七十六、ううん。それでどういう相談事が?」
を翻訳すると、
「Fortune teller:How old are you,gran'pa?
Kuwataro:Seventy six.
Fortune teller:Seventy six.And what do you wanna talk ask me about?」
になるらしい。
「占い師が「七十六」を繰り返した理由は76歳の老人が将来を占ってもらいに来たことへの驚きを表現しています。それと同時に、76歳で本当に占い師に話したいことがあるのかという確認も表現しています。まるでカトリックの神父に懺悔をする信者のような関係が占い師と桑太郎との間にできあがっています。反復の生み出す意味合いを探るのはなかなか複雑です。」
と結ばれている。
まるで、からの部分がどちらを指すのか私には不明瞭なのだけど、これは最早、表記のあるなしの問題ではなく、ニュアンス、つまり「読み」に関わってくる部分だと思う。
対応する文法や言葉がないのではなく、当てはまる文化や社会的慣例がないのでもなく、対応させても更に「読み」の問題が待っているということか。
じゃあ英語圏の方は、このSeventy sixをどう読むのだろうかと、気になった。
夏目漱石や村上春樹といった例文も挙げながら、翻訳の難しさと魅力を挙げていく。
良い刺激を受けた一冊だった。