蝉谷めぐ実のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「見えるか、保己一」
ある人は、親しみを込めてそう聞く。
ある人は、憐れむように。
ある人は、お前には見えないだろうと嘲るように。
目が見えないこと。
それは、何かを諦めることを意味する。
でも、盲であることを理由に
学問まで諦める必要はない。
苦しみながら、足掻きながら。
それでも学ぶことに人生を捧げた、
ある男の物語だ。
『見えるか保己一』蝉谷めぐ実
今回の直木賞候補作の一冊。
正直なところ、時代小説はそこまで得意ではないし、
全盲の天才学者・塙保己一のこともほとんど知らなかった。
それでも、どうしようもなく引き込まれるのだ。
彼の人生に。
7歳の頃に視力を失ってしまった少年。
それまでは見えていた。
母のやさしい顔も、緑豊かな草花も。
どれほどの絶望だったことだろう。
でも、保己一(辰之助)には、ある力があった。
子どもの頃から驚異的な記憶力を持ち、
耳で聞いた『太平記』をそらんじることができたのだ。
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かさり、というかすかな衣擦れの音。
押し殺したような小さな吐息。
ふわりと口から漂う食べ物の匂い。
そして、血の匂い。
保己一は目が見えない。
だからこそ、耳や嗅覚でまわりの情報を受け取る。
その保己一の世界が、
自然と文章の中に馴染んでいることに驚かされた。
見えていないのに、見えているのだ。
本書で描かれるのは、
天才や神童の物語ではない。
ただ、先生と呼ばれ、多くの弟子たちに慕われた一人の男が、
必死に足掻き、裏切られ、苦しみながら、
それでも偉業を成し遂げた魂の物語だった。
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もうね、最後の第六章が好きすぎるのよ……
私は幼なじみの輝ちゃんの気持ちが、痛いほどわかる。
繰り返し投げかけられてきた
「見えるか保己一」ではなく、
ラストのあの一行に、すべてを持っていかれた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ爽やか成長譚かと思いきや、結構いや〜な展開が多い笑
見える、見えないという命題が何度も出てくるが、最後の輝明がお決まりの「見えるか?」じゃなく「見るなよ、保己一」となるのは良い反転。
最後、保己一が輝明に対して「だから見えてねーっってんだろうが!!(意訳)」って逆ギレ笑してるのが痛快だった。みんな見たいものしか見ないし、そういう偶像を押し付けられるのは疲れちゃうよね
保己一も輝明のこと見たいように見ている、という皮肉でもあるんだよな。でもそれが何もかも上手くいかなかった輝明の救いにもなっているという。憎い相手に救われちゃう気持ちはいかに。 -
Posted by ブクログ
塙保己一=群書類従、は覚えていたものの、盲目だったということはすっぽり忘れてました。多分習ったときに聞いていたと思うのに。関心がなく勉強するってもったいないな、と改めて思わされました。
そんな保己一少年時代から晩年までのお話なんですが、盲目なのにこんなにすごいって話ではなく、盲目だからこその悲しみ、疑い、回りの同情、嫉妬などが描かれます。なので、読み心地はじつは良くない。私は読みながら「透明な夜の香り」の小川朔を思い出しました。あと、風で蝋燭の火が消えたときの「さてさて、目のある人は不便なものよ」は、福島智教授の「光と音のない世界で 盲ろうの東大教授・物語」のエピソードが思い出され、これは他の人をはっとさせるだけで、嫌みではないような気がしました。まあ、感じられ方は普段からの言動とリンクしちゃうと思いますが…。盲目であっても抜群の記憶力と聴覚・嗅覚を組み合わせればここまでわかるのに、裏切られたときに気付きが遅いのは気付きたくないから?とか、読み終わるととにかくモヤモヤというか、やるせなさとか、悲しみとかが積もってる本です。
普通の塙保己一の伝記が読みたいなあと思ったのですが、あまりなさそう?この人の偉業面からのスカッとした本が読みたいと思いました。
浮気とかあるのと、表現が難しい(文芸系)ので、中学校以上。基本は高校くらいから。
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Posted by ブクログ
【何を背負い背負わされているのか?ーー境い目にもがき苦しむ化け者たち】
ぱきり、ぽきり、がじごじ、ちゅるちゅるり
中村座で正本読みの最中、一つの頭が転がり落ちてきた。
芝居小屋に潜む「本物の鬼」を探すという怪異ミステリー。と思いきや読み進めるうちに歌舞伎という狂気の世界の人間ドラマだった。
鬼は本当にいたのか?人間の欲や業を鬼と見立てているのでは?と思いながら読み進めた。
誰も彼もが鬼に見えてくる。
芸への執念から人としての心を捨て人を貶めることも殺めることも厭わない役者たち……。
鬼と人間の境界が曖昧になっていく。
何をもって鬼とするのか?
見た目、心の在りよう?
化け物と化け者。どちらが本当の鬼だろう……。
「芸を極めたい、完璧な女形になりたい」というあまりにも純粋で、それゆえに狂ってしまった想い。
最後の鬼の言葉が切なく、「あぁだから心中なのか」とタイトルに込められた意味がストンと腑に落ちた。
そして魚之助にとってこれはかつての自分と対峙する、合わせ鏡のようでつらい鬼探しだったはずだ。だからこそ藤九郎の言葉に救われたのだと思う。
作中に差し挟まれるフォントの違う文章やオノマトペ、演目の『曽根崎心中』が絶妙な空気感を醸し出し現実と虚構が混ざり合う感覚に鳥肌が立った。正直、登場人物が多くて読みづらさもあったけど、次作で藤九郎が魚之助をどんな未来へと背負っていくのか、追いかけてみようと思う。
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Posted by ブクログ
盲の孤独いかほどか。想像を絶するほど大きな目明きとの隔たりに悩み、葛藤して生きた塙保己一の生涯を綴った物語。埼玉県の偉人として渋沢栄一、荻野吟子と並んで、その名前と盲であること、群書類従だけは知っていた。
見えない者だけが見えているものという、一見魔法のような、救いのような言葉は逆に保己一を苦しめた。飛び抜けて学があり、愛すべき家族があり、社会的に認められた人である。だが、どこまでいっても盲である。必ずどこかで支援が必要であり、その方法や程度も難しい。それを間違えると生活に支障をきたしたり、プライドを傷つけてしまったりする。ときには見える者の企みに翻弄され、騙され、同じ境遇を持つ見えない者からはその能力を妬まれる。見えない故の懐疑心や無力感、そして孤独。逆に、見えないから保っていられた憧れや愛もあった。彼の認識していることと事実は違ったかもしれないが、保己一にとっては紛れもない真実であった。ラストシーンには胸を打たれた。最後保己一は気づいていたのかな。
本書の参考文献にもある「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を読んだことがある。その内容のほとんどを忘れてしまっているのだが、目の見えない人は目の見える人が思うよりも空間を把握している、という旨のことが書いてあったことはとても興味深かったと覚えている。
「できるorできない」と能力で捉えてしまうと、どうしてもできるを優、できないを劣と取ってしまいがちである。それだと、極端な考えになってしまうし、いつまで経っても本当の意味でインクルーシブな社会を作ることはできない。能力ではなく、感性や特徴として捉えることで初めて、一切の下心や憐れみ抜きで対等に関わることができるはずだ。視覚障害に関して言えば、見えない人にしか見ることのできない世界は面白いと思う。あとは、現代病であるスマホ依存症にはならないのだろうかとか。もしそうであるならスマホに対する最強の耐性を持つ数少ない貴重な意見の持ち主なのではないかとか。こういった興味や関心は、人を揶揄するようなものでは全くないし、単純な興味として共有し、議論されるべきだと思う。
これはあくまでも健常者である私個人の意見である。そんなの綺麗事だと言われればそれまでで、実際見えない人の意見はどうかわからない。ただ、同じ人間として興味があることを伝えたい。これは恋愛で人を好きになることや、共通の趣味を持った人と友人になりたいと思うことと何か違うだろうか。