蝉谷めぐ実のレビュー一覧
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塙保己一=群書類従、は覚えていたものの、盲目だったということはすっぽり忘れてました。多分習ったときに聞いていたと思うのに。関心がなく勉強するってもったいないな、と改めて思わされました。
そんな保己一少年時代から晩年までのお話なんですが、盲目なのにこんなにすごいって話ではなく、盲目だからこその悲しみ、疑い、回りの同情、嫉妬などが描かれます。なので、読み心地はじつは良くない。私は読みながら「透明な夜の香り」の小川朔を思い出しました。あと、風で蝋燭の火が消えたときの「さてさて、目のある人は不便なものよ」は、福島智教授の「光と音のない世界で 盲ろうの東大教授・物語」のエピソードが思い出され、これは他の人をはっとさせるだけで、嫌みではないような気がしました。まあ、感じられ方は普段からの言動とリンクしちゃうと思いますが…。盲目であっても抜群の記憶力と聴覚・嗅覚を組み合わせればここまでわかるのに、裏切られたときに気付きが遅いのは気付きたくないから?とか、読み終わるととにかくモヤモヤというか、やるせなさとか、悲しみとかが積もってる本です。
普通の塙保己一の伝記が読みたいなあと思ったのですが、あまりなさそう?この人の偉業面からのスカッとした本が読みたいと思いました。
浮気とかあるのと、表現が難しい(文芸系)ので、中学校以上。基本は高校くらいから。
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【何を背負い背負わされているのか?ーー境い目にもがき苦しむ化け者たち】
ぱきり、ぽきり、がじごじ、ちゅるちゅるり
中村座で正本読みの最中、一つの頭が転がり落ちてきた。
芝居小屋に潜む「本物の鬼」を探すという怪異ミステリー。と思いきや読み進めるうちに歌舞伎という狂気の世界の人間ドラマだった。
鬼は本当にいたのか?人間の欲や業を鬼と見立てているのでは?と思いながら読み進めた。
誰も彼もが鬼に見えてくる。
芸への執念から人としての心を捨て人を貶めることも殺めることも厭わない役者たち……。
鬼と人間の境界が曖昧になっていく。
何をもって鬼とするのか?
見た目、心の在りよう?
化け物と化け者。どちらが本当の鬼だろう……。
「芸を極めたい、完璧な女形になりたい」というあまりにも純粋で、それゆえに狂ってしまった想い。
最後の鬼の言葉が切なく、「あぁだから心中なのか」とタイトルに込められた意味がストンと腑に落ちた。
そして魚之助にとってこれはかつての自分と対峙する、合わせ鏡のようでつらい鬼探しだったはずだ。だからこそ藤九郎の言葉に救われたのだと思う。
作中に差し挟まれるフォントの違う文章やオノマトペ、演目の『曽根崎心中』が絶妙な空気感を醸し出し現実と虚構が混ざり合う感覚に鳥肌が立った。正直、登場人物が多くて読みづらさもあったけど、次作で藤九郎が魚之助をどんな未来へと背負っていくのか、追いかけてみようと思う。
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プロローグ
見えるのに視えない人
見えないのに視える人
人というものは、得てしてこういうものだ
見えない人は、視ようとしているのだ
必死に必死に目以外の五感を屈指して
そうすると、目明きには見えないものが視えてくる
果たして、本当にそうなのであろうか……
本章
『見えるか保己一』★4
山本周五郎賞受賞作
直木賞候補作
時代小説は得意ではないが、山本周五郎賞を獲得したということで手にした一冊
塙保己一
江戸時代に実在した人物の物語である
保己一は、7歳のときに病気が原因で失明した
目が見えなくとも、彼は天才であり様々なものが視えていた
そして、盲の最高位と云われる検校まで上り詰めたのである
因みに検校とは、琵琶、三味線、鍼灸等で功績を立てた盲人の最高位なのだ
そして保己一は、文学の編集なので認められた人物となる
全ての盲の憧れの的であった
そんな彼の生涯を克明に克、エンタメに長けた物語に仕上げているのが本書なのだ
普段温厚な保己一がある一件で、逆ギレし
『見えるわけねーだろ!!』っと絶叫したシーンは本作のハイライトでもあり、印象に残ったセリフでもあった
流石の山本周五郎賞受賞作及び直木賞候補作である
が、この時代の言い回しや時代背景に疎いので★4の評価にした次第である
エピローグ
最近、頓に目が悪くなって困っている
元々目が良かったので、その反動で老眼が早まり、本や携帯をみるときは腕を目一杯伸ばして読んだりするのだが、翻訳本は特に字が小さいため、そろそろハズキルーペ的なものが必要になってきている
その反面、新宿鮫シリーズの改訂版などは、読みやすいよう字が大きいものに変更されており、まことに助かっているのだ
日本や日本人はそういう痒いところに手が届く文化ではないのか!?
この超高齢化社会を救うには、翻訳本に限らず大きな字で本を製作してもらいたいものである……
完
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恥ずかしながら塙保己一という人物を今まで知らなかった。
昔から、マイノリティでありながら高い地位に立ったり、学問を極めることが出来た人がいたのだなと感慨深い。
そういう人がいたからこそ、同じ盲者や障害者の立場が良くなったり、逆に悪くなったり、偏見に晒されたりする。こういう人物は必要だが、今でも続く難しい問題だと思う。たとえば発達障害者のドラマは、成功者しか描かないから普通の障害者を主人公にしろと批判が上がる。(そもそも普通の障害者とは何なのか、当たり前の暮らしを描いたりグループホームに通っている障害者の作品だって勿論ある)
偏見やレッテル貼りがこの時代から何も変わって無いのが問題なんだろう。
しかし、ヘレン・ケラーや日本初の女性医師に影響を与えているのも素晴らしいことだと感じた。
このタイトルで、あの締め方も、見事だった。 -
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目が見えない。
それはどれほどのことなのか、目が見えるからわからない。常に暗闇の中であればどうやって日常のあるものや道を覚えることができるのか不思議である。
また、本書は江戸時代。テレビやスマホ、音声案内などもなく、現在にある便利なものはなく、とても生きにくい時代と思われる。
そんな時代に学問で成り上がる保己一。
周りの協力なしに達成することができないことは間違いないが、それでもどれだけの努力があったことか。
子供の頃から人に馬鹿にされ、騙され、裏切られ、家族も信じられなくなったりと精神的にもどれだけ絶望しながら生きてきたのだろう。
保己一の所作は、本当は見えているのではないかと周りが疑うほどだが、弟子の裏切り、妻の不貞、娘婿の嘘など、やはり限界があった。最後の章では、輝ちゃんの衝撃の真実と保己一の爆発した本音が生々しい。そして保己一は子供の頃からずっと変わっていなかった。読者も「保己一は目が見えるのでは?」と少なからず疑問に思うところがあった部分が解消される瞬間だった。本音が聞けて心が震えた。
それに、最後の一文がまた格別だった。最後の一文を読んだ後に本を閉じる瞬間は、つい本が閉じる音に耳を澄ませてしまった。 -
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江戸時代の全盲の国学者・塙保己一、類稀なる記憶力で、学者として輝かしい経歴を築いていく。(オーディブル)
我が埼玉県の三大偉人の一人という認識しかなく、その生涯についてはほとんど知らなかったため、彼の生涯や思いを感じることができて、とても良かったです。
また、初読の作者でしたが、感覚的な比喩表現が多く使われ、この作品にはあえてそのような表現を多用したかのように感じました。
今回は、オーディブルで聞いたので、よりその効果があったようでした。
さらに、ミステリー的な要素も盛り込まれ、最後まで目(耳)が離せませんでした。
全盲という障害に対する当時の考え方や支援制度などについても、歴史の授業では学ぶことができない視点だったので、自分の歴史観を深めることができました。
全盲故のすれ違いに翻弄されながらも、優れた能力を生かして己の道を進んでいく保己一の生き方に、今まで偉人という認識しかなった彼が、私の中で生きた一人の人間として落とし込まれた気がしました。
自分自身と自分の生き方をしっかりと見ていきたいと思う今日この頃です。 -
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盲の孤独いかほどか。想像を絶するほど大きな目明きとの隔たりに悩み、葛藤して生きた塙保己一の生涯を綴った物語。埼玉県の偉人として渋沢栄一、荻野吟子と並んで、その名前と盲であること、群書類従だけは知っていた。
見えない者だけが見えているものという、一見魔法のような、救いのような言葉は逆に保己一を苦しめた。飛び抜けて学があり、愛すべき家族があり、社会的に認められた人である。だが、どこまでいっても盲である。必ずどこかで支援が必要であり、その方法や程度も難しい。それを間違えると生活に支障をきたしたり、プライドを傷つけてしまったりする。ときには見える者の企みに翻弄され、騙され、同じ境遇を持つ見えない者からはその能力を妬まれる。見えない故の懐疑心や無力感、そして孤独。逆に、見えないから保っていられた憧れや愛もあった。彼の認識していることと事実は違ったかもしれないが、保己一にとっては紛れもない真実であった。ラストシーンには胸を打たれた。最後保己一は気づいていたのかな。
本書の参考文献にもある「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を読んだことがある。その内容のほとんどを忘れてしまっているのだが、目の見えない人は目の見える人が思うよりも空間を把握している、という旨のことが書いてあったことはとても興味深かったと覚えている。
「できるorできない」と能力で捉えてしまうと、どうしてもできるを優、できないを劣と取ってしまいがちである。それだと、極端な考えになってしまうし、いつまで経っても本当の意味でインクルーシブな社会を作ることはできない。能力ではなく、感性や特徴として捉えることで初めて、一切の下心や憐れみ抜きで対等に関わることができるはずだ。視覚障害に関して言えば、見えない人にしか見ることのできない世界は面白いと思う。あとは、現代病であるスマホ依存症にはならないのだろうかとか。もしそうであるならスマホに対する最強の耐性を持つ数少ない貴重な意見の持ち主なのではないかとか。こういった興味や関心は、人を揶揄するようなものでは全くないし、単純な興味として共有し、議論されるべきだと思う。
これはあくまでも健常者である私個人の意見である。そんなの綺麗事だと言われればそれまでで、実際見えない人の意見はどうかわからない。ただ、同じ人間として興味があることを伝えたい。これは恋愛で人を好きになることや、共通の趣味を持った人と友人になりたいと思うことと何か違うだろうか。