蝉谷めぐ実のレビュー一覧
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ネタバレ若くして盲目になった主人だが、秀でた記憶力を活かし江戸で学問を志す。
目明き、めしい双方で、見える/見えないことでどういったことが起きたかなどの人間模様が書かれる。
目が見えないことでどのようなことを感じ取れるようになるのかの描写が全般的に好み。
目が見えていようがいまいが、人間関係に至ってはそんなに見えない(変わらん)という話で締められている。
本書で興味が出て塙保己一という人物の実績を検索してみたが、これは怪物だった。
現代ならともかく、当時だったらどうやってそこまでの地位に上り詰められたのか想像もつかない。
当時だったらたぶんめくらと呼ばれていたと思うだが、残念ながら現代基準ではNG -
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時代ミステリーの枠に収まりきらない、”極上上吉”のエンターテインメント作品だった。 芸、恋、忠義に生きる人々の「業」と「愛おしさ」が凝縮されており、読み進めるうちに浮かび上がる「人の情念」の恐ろしさにゾクリとする。人が何かを狂おしいほど求めたとき、その感情自体がもっとも恐ろしい「化け物」になる。そんな狂気が鮮烈に描かれていた。
女形として女の姿を貫く者、芸の道を極めるために周囲を犠牲にする役者たち―その凄まじい執着に、伝統芸能の凄みを見た気がする。ただ、そうした業を背負った先人たちの狂気こそが、現代まで続く文化を形作ったのかもしれない。 -
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盲の孤独いかほどか。想像を絶するほど大きな目明きとの隔たりに悩み、葛藤して生きた塙保己一の生涯の物語。埼玉県の偉人として渋沢栄一、荻野吟子と並んで、その名前と盲であること、群書類従だけは知っていた。
見えない者だけが見えているものという、一見魔法のような、救いのような言葉は逆に保己一を苦しめた。飛び抜けて学があり、愛すべき家族があり、社会的に認められた人である。だが、どこまでいっても盲である。必ずどこかで支援が必要であり、その方法や程度も難しい。それを間違えると生活に支障をきたしたり、プライドを傷つけてしまったりする。ときには見える者の企みに翻弄され、騙され、見えない者からはその能力を妬まれ -
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『作家と編集者』というタイトルから、早見和真さんの『小説王』のような熱いお仕事小説を想像していた。ところが、一話目の錦見映理子さん「邪悪な香り」でいきなり背筋がゾクゾク……。なんだか寒くなってきた。風邪か? いま季節は春なんだけどなと思いつつ。
新人作家・鷹柳をデビューさせようと奔走する熱血編集者の話かと思いきや、漂ってくるのは不穏な空気と怪しいオピウムの香り。次第に狂気の世界へ足を踏み入れていく編集者・安曇、そして作家・鷹柳の正体とは? 夢か現実か、境界線が溶けていく物語にぐいぐい引き込まれる。
作中作のタイトルに、「もしかして、そういうこと!?」と鳥肌が止まらない。こんな作家と編集者の関 -
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タイトルの手本は、仮名手本忠臣蔵から来ているらしい。なるほど前作は「化け者心中」で曽根崎心中が演じられていた。今回は忠臣蔵に加えてライバルの芝居小屋で演じられている助六廓櫻賑(くるわのはなみどき)も題材になっている。知らなくても、芝居噺に疎い藤九郎に誰かが教えてくれる場面が用意されているから大丈夫。タイトルと言えば化け物ではなく化け者になっているのは、舞台の上で化ける役者の意味もあったのだと、今更ながら気づいた次第。
前作からの興味で言えば、魚之助がどうなっているかと楽しみだったけど、立場としては元女形から変わらず。どちらかと言えば藤九郎の方が、芝居の世界を知ろうとして変わった様子。二人の気持 -
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本作は、野村胡堂文学賞、吉川英治文学新人賞を受賞している。受賞からわかるとおり、時代小説となっている。
時代は江戸で、町人文化が栄えている頃だ。主人公の志乃は下級武士の娘で、売り出し中の歌舞伎役者の喜多村燕弥の妻となる。この燕弥は女形で、平素から女装して「おんな」になりきっている。だから「おんなの女房」である。
しかも、お金をはたいてまで武家の娘を妻にしたのには訳があった。この燕弥は役者バカである。その容姿も踊りも芝居のうまさも、中の上くらいであろうか。そして、芝居の役にのめり込むというか憑依する役者である。セリフのないただ尻もちをつく役のため、通りに糸を張って通行人が転ぶのを観察す -
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おかざき真里の表紙に惹かれて購入。
相手のことも芝居のこともよく知らないまま女形の役者に嫁いだ武家の娘・志乃。
武家の娘として躾けられ育てられた志乃は親の言いつけを守り、夫に従い、夫のために行動しようとする。夫・燕弥の食事が終わるまで側で控えて一緒には食べようとしないし、夫の不可思議な行動について疑問を持っても夫にそれを聞いたりしない。志乃の夫というのは女形で家でも女の格好で過ごしており夫婦生活はもちろんない。「私はなんのためにこの家にいるのだろうか。自分の価値は一体どこにある」と志乃は不安に思う。しかし夫には聞かない。ただ黙って夫のためを思って行動し、失敗して怒られたりする。行動の部分だけ -
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アンソロジーで読んだ短編がすごく好きだった蝉谷めぐ実さん。
文庫新刊が出ていたので手に取ってみた。
歌舞伎のことは何ひとつ知らないまま、父に命じられ、「森田座」で人気急上昇中の若女形・喜多村燕弥のもとへ嫁いだ武家の娘・志乃が自身の在り方を模索する物語。
志乃が嫁いだ喜多村燕弥。
常に女子の格好で過ごし、演じる役に浸かってしまう。
女形としては素晴らしく格好いいと思うけれど、一緒に暮らすとなると、確かに大変そう。
志乃を娶った理由にも仰天。
志乃が出会う、同じ役者の女房であるお富、お才。
「夫婦の形は千種万様。手の添え方だって変わってくる。(p.260)」
というのは、もうまさにその通り。 -
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江戸弁の小気味良いスピード感ある文体と、歌舞伎の演目のテンポが絡みあい一気に読んだ。
役者の女房たちのそれぞれの矜持も面白いが、
燕弥をはさんで志乃と仁左次、2人の対比が興味深かった。
普通の夫婦ならば、志乃は妻として母としておさまればば良いところを、「おんな」である燕弥にはそぐわない。
芝居に役立つ武家の娘としてだけでなく、女形の女房として役に立ちたいと願うようになる。
仁左次は燕弥の役者としての才能を認め、伸ばし
舞台の上で最高の相性を魅せている。
二人はお互いに燕弥とのそれぞれのつながりに
嫉妬し合っている。
志乃が燕弥と仁左次の間に、絶対に自分が理解できない入り込めないものがあると