倉沢愛子のレビュー一覧
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仕事でインドネシアに行く機会があり、2020年に購入していた書籍を思い出し、旅行バックに詰め、行きの機内で目を通した。インドネシアと言えば、オランダの植民地支配を経て、アジア・太平洋戦争中は日本に占領され、再度オランダから独立した国。独立を果たした英雄スカルノの名を冠したスカルノ・ハッタ空港がジャカルタの玄関口。
1960年代後半、インドネシアで2度のクーデターが発生。前者は九・三0事件、後者は三・一一政変と呼ばれる。この一連の事件が原因となって、独立の英雄スカルノは失脚し、反共の軍人スハルトが全権を掌握する。権力闘争の裏で、PKIなどの共産党やその関係者、労働組合の関係者など200万人とも言 -
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2021年夏、2週に渡ってNHKでインドネシアの破傷風ワクチン開発と現地ロームシャ(労務者)への人体実験や泰緬(たいめん/タイとベトナム)鉄道等への強制労働、そして戦地では帝国軍人がマラリアの特効薬キニーネを巡って、友軍衛生兵からキニーネを強奪するなどの蛮行を報道した。
放送から1年半、731部隊の研究も取り組んでいる倉沢愛子さん、松村高雄さんが共著で、本書を出版した。戦時中の日本軍占領下のインドネシアで、かなり無謀なやり方で密かに進められていた破傷風ワクチン開発の治験に際してロームシャ(現地人「労務者」)と呼ばれた多くのインドネシア労働者が、何も知らされないままその治験の対象とされ、命を -
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久しぶりに夢中で読んだインドネシアに関する中公新書の新刊です。
1965年9月30日、当時のスカルノ大統領の親衛隊が7人の陸軍将軍を殺害。彼らは革命評議会と名乗り、「国軍が大統領転覆をはかっており、それを防ぐための行動である」と声明を出しました。しかし、スハルト少将(当時)率いる国軍が革命評議会を粉砕。国軍は、この殺害をインドネシア共産党(PKI)が引き起こしたものとして、PKIに対して猛攻撃を行いました。後に九・三〇と呼ばれるこの事件をきっかけにスカルノはだんだんと権力を剥奪され、1968年の三・一一の政変でスハルトが第2代大統領に就任します。
その間、逮捕や虐殺によって、少なくとも50万 -
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1960年代に二つのクーデター、9.30事件と3.11事変が立て続けに起きた。この二つのクーデターにより、インドネシア初代大統領スカルノは失脚し、スハルトが実権を握った。本書は60年代のインドネシアの歴史に着目して、当時のインドネシアでなぜ凄惨なことが起きたのかを見ていく。スカルノは、民族主義、宗教、共産主義を束ねた「ナサコム」体制で政治を行った。しかし、共産主義を掲げたPKI(インドネシア共産党)を政治体制に取り込んだことに対して軍部は不満であった。そしてこれがその後、インドネシア内での大虐殺に繋がった。スカルノの失策が続いたことで、スカルノの権威は失墜する一方で、スハルトの影響力が次第に
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インドネシアで起きた9.30および3.11事件。
第二次世界大戦後、圧倒的なカリスマ性によってスカルノ大統領はインドネシアを立て直したがその後9.30事件によって共産主義者のものが殺害された。その後、数百万人という規模の大虐殺が行われ、3.11事件によってスハルト政権への静かな移行が行われていた。
数百万人規模の大虐殺は世界でも取り上げられておらず、その実態や9.11事件の真の理由は分からないままである。
インドネシアにおいて必要なことは教育であり、私の生きている時代でも起きている隠された歴史がまだあることを知ろうとしなければいけない。