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一九六○年代後半、インドネシアで二度のクーデターが起こった。事件発生の日付から、前者は九・三○事件、後者は三・一一政変と呼ばれる。この一連の事件が原因となって、独立の英雄スカルノは失脚し、反共の軍人スハルトが全権を掌握する。権力闘争の裏で、二○○万人とも言われる市民が巻き添えとなり、残酷な手口で殺戮された。本書は、いまだ多くの謎が残る虐殺の真相に、長年に及ぶ現地調査と最新資料から迫る。
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Posted by ブクログ
仕事でインドネシアに行く機会があり、2020年に購入していた書籍を思い出し、旅行バックに詰め、行きの機内で目を通した。インドネシアと言えば、オランダの植民地支配を経て、アジア・太平洋戦争中は日本に占領され、再度オランダから独立した国。独立を果たした英雄スカルノの名を冠したスカルノ・ハッタ空港がジャカ...続きを読むルタの玄関口。 1960年代後半、インドネシアで2度のクーデターが発生。前者は九・三0事件、後者は三・一一政変と呼ばれる。この一連の事件が原因となって、独立の英雄スカルノは失脚し、反共の軍人スハルトが全権を掌握する。権力闘争の裏で、PKIなどの共産党やその関係者、労働組合の関係者など200万人とも言われる市民が巻き添えとなり、残酷な手口で殺された。日本の新聞も報道し、自民党の裏金問題を暴いたしんぶん赤旗も当時の現地支局から惨状を伝えた。また、日本でも有名なデビィ夫人(第3夫人)は、外交交渉に奔走するも日本に亡説もあったスカルノ元大統領は、本国で生涯を終える。1998年にスハルト政権が倒れて民主化が始まった。日本は戦後補償も含めて比較的良好な関係を築いてきたが、ASEANなどの関係もあり、欧米諸国や中ロとの関係は微妙である。いまだ多くの謎が残る虐殺の真相に、長年に及び現地調査と最新の資料で迫る。(540字) 余談 関東大震災の朝鮮人虐殺においては、女性の性器に竹槍を突き刺すなどの残虐行為が行われたとの記録が残る。本書の大虐殺においても、目玉をえぐったり、耳を切り取って勇敢さの証として持ち帰ったり、首を切断して見せしめのために人目のつくところに「展示」したり、また被害者が女性の場合は、性器を槍で突き刺すなどの性的暴力や強姦も行われたと記録されており、撲殺に加えた残虐行為が特徴と言える。性暴力で言えば、アジア・太平洋戦争でインドネシアやオランダの女性が慰安婦にさせられるなどの性被害や戦時性暴力が行われた書籍もある。ルワンダ大虐殺では、1994年の100日間に50~80万人が、中国製の鉈(なた)で惨殺された映画も作成されている。
久しぶりに夢中で読んだインドネシアに関する中公新書の新刊です。 1965年9月30日、当時のスカルノ大統領の親衛隊が7人の陸軍将軍を殺害。彼らは革命評議会と名乗り、「国軍が大統領転覆をはかっており、それを防ぐための行動である」と声明を出しました。しかし、スハルト少将(当時)率いる国軍が革命評議会を...続きを読む粉砕。国軍は、この殺害をインドネシア共産党(PKI)が引き起こしたものとして、PKIに対して猛攻撃を行いました。後に九・三〇と呼ばれるこの事件をきっかけにスカルノはだんだんと権力を剥奪され、1968年の三・一一の政変でスハルトが第2代大統領に就任します。 その間、逮捕や虐殺によって、少なくとも50万人、一説によると200万人以上のPKI関係者が命を落としたと言われています。 奇妙なのは、カンボジアで起きたポル・ポトの大虐殺に匹敵する深刻な人権問題にもかかわらず、世界は抗議の声をほとんど上げなかったことです。また、事件も風化していて、インドネシアの歴史教科書にもこの大虐殺については触れられていません。したがい、本書の出版は意義のあるものと思います。 本書がこの大虐殺について論じるのは、以下の点です。 ①なぜ、これほどの大虐殺になったのか? ②大虐殺に対して世界はどんな反応を示したのか? ③大虐殺はどのように進められたのか? ④大虐殺から逃れた元PKI党員はどのように生きてきたのか? ⑤学校教育において大虐殺はどのように教えられているのか?(この部分は半ページだけ) これらの点が、インタビュー、現地調査、膨大な資料を使い、平易な文章で論じられています。 著者の倉沢愛子さんはインドネシア社会史を専門とする研究者で、多くの被害者と同世代。「この歴史を正確に記述し、日本の若い世代に伝えたいという個人的な思い入れ」により、「この本が完成した」とあとがきで述べられています。その思い入れは本書で十分感じることができました。 私自身、インドネシアに2000年から19年いました。98年のジャカルタ暴動の話、また私自身が体験した2012年のインドネシア金属自動車労連の工場侵入を伴う大規模デモを通じて、インドネシア人の集団ヒステリーについては恐怖を覚えました。本書はこういったヒステリック状態を「アモック」(インドネシア語)と説明しています。すなわち普段おとなしい人が、何かの拍子にずっとこらえてきた怒りが制御不能になり、急にヒステリックな興奮状態になるという現象です。この現象はマレー系の人々によく見られるとのことです。大虐殺はひとつの村落で、非共産党員が隣人の共産党員を殺害するということが頻繁に起きました。こんなことが、政治イデオロギーの違いや「アモック」だけで起きるものなのでしょうか?やはり、未来のためにも、インドネシア大虐殺はもっと研究されるべきテーマと思います。 本書は、あまり知られていないインドネシア大虐殺をコンパクトにまとめた力作です。インドネシアに興味のある方、関係のある方には是非読んで頂きたいと思います。
1960年代に二つのクーデター、9.30事件と3.11事変が立て続けに起きた。この二つのクーデターにより、インドネシア初代大統領スカルノは失脚し、スハルトが実権を握った。本書は60年代のインドネシアの歴史に着目して、当時のインドネシアでなぜ凄惨なことが起きたのかを見ていく。スカルノは、民族主義、宗...続きを読む教、共産主義を束ねた「ナサコム」体制で政治を行った。しかし、共産主義を掲げたPKI(インドネシア共産党)を政治体制に取り込んだことに対して軍部は不満であった。そしてこれがその後、インドネシア内での大虐殺に繋がった。スカルノの失策が続いたことで、スカルノの権威は失墜する一方で、スハルトの影響力が次第に増した。そして、二つのクーデターのあと、スハルトは実権を握り、「アンペラ」と呼ばれるテクノクラートを中心とした内閣を組織した。それに伴い、PKIを解散させ、反共的な政策を展開した。これにより、インドネシア内の共産主義者は一婦されるようになる。この時代、インドネシアの共産主義者が理不尽に大虐殺されたが、本書によると、現代、虐殺の地に慰霊碑はなく、国内で次第に風化されているという。
これまで知らなかった事件。 残虐さと犠牲者の数に比してあまりにも知られていないという事実に戦慄する。
1965年から1996年の間にインドネシアで起こった政変 そして大虐殺がどの様なものだったかよくわかった
インドネシアで起きた9.30および3.11事件。 第二次世界大戦後、圧倒的なカリスマ性によってスカルノ大統領はインドネシアを立て直したがその後9.30事件によって共産主義者のものが殺害された。その後、数百万人という規模の大虐殺が行われ、3.11事件によってスハルト政権への静かな移行が行われていた。 ...続きを読む 数百万人規模の大虐殺は世界でも取り上げられておらず、その実態や9.11事件の真の理由は分からないままである。 インドネシアにおいて必要なことは教育であり、私の生きている時代でも起きている隠された歴史がまだあることを知ろうとしなければいけない。
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インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇
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倉沢愛子
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