500ページを「歩き」 、著者の歩いた風景を「読む」。この本を完読できる人は、歩くことに向いてる人かも。
歩くことについての随想であり、著者の脳内に展開された濃密な哲学ランドスケープです。約500ページの分厚いハードカバー本。広大な著者の脳内世界にある、"歩行"という大陸のマップとも言えます。"歩く"というキーワードを太い幹として据え、哲学、文学、人類学、社会学、ナチュラリズムなどあらゆる方向へ枝葉をのばす詩的な思索でできています。
「歩くこと」を主題にした本を数冊読みましたが、それぞれに共通してることは、より高みを目指す登山とはことなり、歩くことただそれだけで完結している、というメッセージです。昨今話題になっている本、『フラット登山』なんてモロにその考えを純化したものだと思います(まだ未読ですが、今後読む予定)。高みを目指さない、という点では資本主義に抵抗するような生き方やダウンシフターにも通じます。
人類史と「歩行」を絡めて書かれた箇所がありますが、「歩くこと」が効率化への反抗となり得た、産業革命以後をメインに書かれています。消費し続けなければ、勝利し続けなければならない運命を背負わされる資本主義に対する、わたしができる抵抗のひとつは、ただ歩くことかもな〜なんてぼんやり思いました。歩くことはカウンターカルチャー的な態度なんだ!と勇気づけられました。
もちろん原始の人類にもふれた箇所もあり、二足歩行を手に入れることによって、前足=腕の開放を手に入れ、それによってその後の人類は言葉に尽くせないほどの利益を得ることができた、と著者は述べます。PCやスマホをいじって今この文章を見ているあなたなら、あらためて腕・手のありがたさを深く実感できると思いますが、どうでしょうか。
宗教的観点では、巡礼という行為への著者の深い洞察を味わうことができます。他にも社会政治学を通して見ることで、デモ行進や社会活動にも触れられています。
ハイキングの起源が上流階級の庭園歩きだったという話は驚きでした。装飾的に作られた庭園は徐々に自然らしい自然に近づき、しまいには本物の自然を味わうために庭の外を歩くようになり、庶民の趣味になったと。これは勉強になりました。
歩行は「スポーツ」や「アクティビティ」とは違います。競争やスキルアップ、スポーツマンシップ的精神と無縁な、あくまで日常的なアクションでありながらも、単なる移動手段以上の趣きを含むことができます。歩くことは人生の旅路ともイメージを重ねやすいと著者も述べています。それで言うならば、みな自分の人生の巡礼者なのです。
産業化が進み、AI以上の新たなテクノロジーが開発され、さらに身体能力まで外注できるようになって、それでも新たな需要をこれでもかと作り続けるような社会になっても、歩くことは人間から無くならないで欲しいと願います。歩きたいという欲望はどんな人にも、たとえ出不精のひとでも持ち得るのではないかと私は考えます。
この本を完読できた人こそ、歩くことに向いているかもしれません。歩くことで、変わりゆく風景を読むことができる人。随想とは自分の脳内をそぞろ歩くこととも言えます。歩くことは読むこと、読むことは歩くこと。読書家はみな精神的な遊歩人で、ハイカーは肉体的な読書家なのかも。
「著者に『ポケモンGO』を語らせたら、どんな文章が生まれるかな」なんて、いらんことを考えたりしつつ読みました。時には自分の知識不足のために、文字を追うことだけに終始する難所もありましたが、なんとか約500ページのロングトレイルを終えることができ満足です。ではまた次の書物の大陸を歩きに向かいます。