現代の安全保障は国家や特定の省庁、一部の専門領域だけで考えることができないことをあらためて感じさせられる。
新型コロナウィルスやロシアによるウクライナ侵攻であらためて注目されるようになった偽情報や情報戦の重要性。
日本では今まで言語的な壁にも守られていたことで、海外からの偽情報拡散の脅威にさらされていなかったこともあり、根本的な問題意識も欠如している。
しかし、ロシアによる情報戦の手法にも見て取れるように、
何も正しいように見える偽情報を拡散されることだけが脅威なのではない。
複数のチャネルに迅速に、また継続しながら、反復して情報を拡散することで、事象を分かりにくくすることだけでも、群衆心理に一定の影響を与えることができる。
日本は平時の外交上の失敗での反省からYou Tubeでの英語情報発信などを外務省が行っている動きがあり、偽情報に関する関係省庁の枠組みも作られているが、偽情報の脅威に対する包括的な対策という意味では道半ばである。
情報安全保障を確立するためには情報統制も不可欠であるが、表現の自由や民主主義との相性が悪く、国民の理解を得られる情報統制のあり方への議論が必要だ。いざというときの省庁連携もうまく機能するか分からない。
ファクトチェック機関が本書の定義では3機関しかないというのも心許ない。
また情報はインフラがなければ拡散も統制もできないが、
論理インフラは通信事業者、すなわち企業による部分がほとんどであり、物理インフラも攻撃時の復旧などは現場技術者の能力に頼らざるをえない。
ウクライナのゼレンスキー大統領が成し遂げたような、言葉と意志の示し方により、各国の協力や共感を得たという事実もある意味見習う必要がある。
ロシアの情報作戦部隊は群衆心理を研究しており、外交官、専門家以外にもジャーナリストや作家など、多様な人材で構成されているとのこと。
日本は今後包括的な情報戦に向けて、官民問わず連携し、多様な視点で情報の分析、統制を行える体制を作る必要がある。