川島武宜のレビュー一覧
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例示を厚く記載してくれているので、とても読みやすい本だった。
集団の和を重視し法を曖昧にゆとりを持って解釈しようとする日本の法意識と、個人の権利を重視し法を明確・厳格に解釈しようとする欧米の法意識の差異がよく分かった。
現代法の概念は欧米で生まれたものなので、欧米の法意識の方が適切に思える一方で、曖昧さやゆとりを持つ日本の法意識から生じているメリットも間違いなくあるのではないかなと思う(自身の仮説ではあるけれど、日本の犯罪率の低さの要因の一つもここにあるのではないかなと思う)。
必要な場面(特に国際的なビジネスの場面など)では、信頼獲得などのために法意識を変えていく必要があるとは思う一方、日本 -
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日本人の法意識
これまで70刷を誇る名著。大学時代からの積読で常々読みたいと思っていたが、なかなか読む機会がなく、やっと読むことができた。
日本は開国以降、不平等条約改正のため、近代国家として当時の列強諸国に認められる必要があった。日本における法制度は、土着的なルールから端を発するものではなく、近代化の要請において、急速に取り入れられたものである。そのような歴史的は背景から、日本人を語るうえで、法制度を仔細につまびらかにする以前に、日本人がそもそも持っている法というものへの意識を考察することが、第一義ではないかという問題意識をもとに、所有権や契約などの考え方について、西洋的な法の概念と日本に -
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ネタバレ行政法の教授に勧められて読んでみた本。
我が国の制定法が想定する社会規範と日本人特有の法意識からくる社会規範のズレを深い考察をもとに端的に指摘している。
「一般の人向けに書かれているため、堅苦しすぎず読みやすい」という評価が多かったのに、読み始めはすっごい読みづらかった。途中からリズムをつかんだのかスラスラ読めるようになったから、ただ単に自分が堅苦しい本を読みなれていないだけかもしれないけれど。
法律の役割は主なものとして、トラブル時における解決の基準と、トラブルを防ぐための人々の行動規範がある。本書は後者に焦点を当て、日本人特有の法意識から必ずしもそのような機能が十分に果たしていると -
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何の疑問を持たずに空き地で遊んだことのある人。
あなたの「法意識」は典型的な日本人タイプです。
明治維新、昭和の終戦、と大きな社会変革を経験し、近代的な法体系を発達させてきた日本。法律は西洋に勝るとも劣らない立派なものになっていったが、日本人の「法意識」は前近代のまま。
「権利」概念の欠如、使用者・労働者(あるいは発注者と請負業者)の封建的関係、白黒付けることを嫌う精神性、喧嘩両成敗的思考、内容が不確定な契約書、聖徳太子以来の「和の精神」、などなど。
一応著者は、戦後20年を経て日本人の法意識が大きく変わりつつあると指摘している。本書の初版発行は1967年だから、それからさらに40年余が -
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ネタバレこれはもうめちゃくちゃ面白いので、法律好きの方や日本人論の好きな方にはぜひ読んでもらいたい一冊です。
法意識、などというととても大げさなようですが、実際に書かれているのは、もう笑っちゃうくらいの「日本人の実態」です。特に面白いのは所有権に関する話で、日本人にとって所有権なんてものはあってなきがごとし、他人のものをチョイと平気で使うことになんの咎めもない、そういう民族だということに改めて気付きます。
そしてそんな「日本人らしさ」が、実は根底では西欧近代の法感覚とは根本で相容れないものであるということを、見事に示している。そういう本です。 -
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「権利」「所有」「契約」「裁判と民事訴訟」といったキーワードについて、「各々明文化された法(及びその源流である西洋法思想)」と「日本国民の生活」のズレを説明している。
具体的には例えば第4章「契約」の内容、即ち「日本では売買契約による所有権の移転が確定的ではなく、売った様な預けた様な関係がある」の様に、
「西洋=境界線(法律上の権利義務・所有権など)が明確⇆日本=境界線が曖昧」といった切り口の議論が主な内容である。
この法意識の現れ方の一つの例として「民事訴訟では白黒を付けずに調停する」事であると書かれている。だがこの本が書かれた年(昭和40年)から40年以上経った現在でも日本企業同士の取 -
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1月?(かつて?)文系大学生が読むべき本といわれる第二弾である。
[内容]全体を通しているのは、本書冒頭に提示された筆者の問題意識―西ヨーロッパの先進資本主義国ないし近代国家の法典にならって作られた明治の近代法典の壮大な体系と、現実の国民の生活とのあいだには、大きなずれがあった。そのずれは、具体的にどのようなものであったか―というものである。その問題意識に基づき各論が展開されている。第二章では、権利にかかわる意識を扱っている。従来徳川時代以来「権利」という固有の日本語にはなかった。そして伝統的に言われていることは、日本人は「権利」の観念が欠けているということである。また、権利、権力を区別し、日 -
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日本の伝統的な法意識は、権利・義務は「あるような・ないようなもの」であり、それが明確化され、確定的なものとされることを好まない、という著者の主題を、権利・法律・契約・民事訴訟の観点から明らかにする。
著者は一流の民法学者であり、その手による本書は法社会学の名著であって、実例も交えていることもあって非常に説得力に富む。
それでも最後は、日本人もやがて権利をつよく意識して主張するようになる、対個人、対政府でも法的関係を意識するようになる、歴史の進行はその方向に進む、と予言されている。この昭和40年代初めになされた予言が当たっているかどうかがすごく気になる。
むしろ、現在は、著者のいう権 -
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第1章は言い回しが読みづらいのですが、第2章以降だんだん読みやすくなってきます。
第2章~第4章は、権利、所有権、契約について扱っています。
西洋的な権利義務関係では、権利の有無をはっきりさせて、裁判で白黒付けようとします。
この点、日本の法律は西洋に倣っているため、法文上は西洋と同じです。
しかし、前近代的な権力関係から引き継がれた法意識が、権利を内容不確定・未確定なものとして扱おうとするため、実際の運用においては法文とのズレが生じてしまう。
1967年刊行の本なので、現代よりも前近代的な法意識を前提としています。
とはいえ、何か争いがあって落とし所を探すとき、本書にいうような法意識を幾 -
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昭和の法社会学の泰斗・川島武宜の1967年の著作。岩波新書のロングセラーの一冊。
本書の問題意識は、「前近代的な法意識」の克服である。
著者は、日本人の歴史的な国民性を、聖徳太子の十七条憲法の第一条「以和為貴(=和を以って貴(とうと)しと為す)」から連綿と続くもので、「日本社会の基本原理・基本精神は、「理性から出発し、互いに独立した平等な個人」のそれではなく、「全体の中に和を以て存在し、・・・一体を保つところの大和」であり、それは「渾然たる一如一体の和」」だといい、それが「前近代的な法意識」の背景にあるという。
そして、所有権、契約、民事訴訟などの具体的な事例を引きながら、西洋諸国の法体系に倣 -
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近代法と日本人の法意識とのズレを考察した、数ある日本人論の中でも横綱級の名著。
20年前に大江健三郎のノーベル賞受賞講演「あいまいな日本の私」が話題となったが、本書においても徹頭徹尾問題とされているのはこの「あいまいさ」である。融通が効くことが美徳であり、杓子定規であることが悪徳とされる日本社会においては、決まりごとはなるべくあいまいに済ます傾向が強い。そのことは具体的には、(霞ヶ関文学に見られるように)法律の内容をあいまいにすることで恣意的な運用の余地を残したり、あるいは欧米のものと比べて極めて簡素な(あいまいな)契約書などに見出すことができる。「すなわち、契約内容の不確定性は、西洋の人に -
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「『文字の次元における法律』と『行動の次元における法律』とのずれ」(198頁)→ズバリ本書を要約する言葉の一つだと思う。
西洋から取り入れた法律と(当時の)日本人の意識とのズレについての考察が、本書で繰り広げられている。
46年前当時の考察であること(1967年に発行)を差し引いても、著者の指摘は根本的で的を射たものだと感じた。
また、訴訟社会アメリカとの対比で日本の訴訟の少なさが指摘されることが多い印象があるが、この印象に違和感を特には抱かないのは自分の中にも少なからず「和の精神」があるからでは…と思った。
以下は目に留まった記述についてのコメント・引用
30〜31頁:
「『法』 -
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日本を代表する法学者による、明治以降日本人が「法」をどのように理解し、法制度の次元でどのように行動してきたかを概説する取り組み。「近代的」法意識と「前近代的」法意識とが対置され、明治以降制度上は近代法体系が輸入されたが、しかし人々―市井の人々から法実務に携わる人々まで―の法意識は、以前前近代的であったとされる。そして最後に、戦後の法改正以降、日本人の法意識にも近代化の傾向が見られることをもって閉じられる。この著書で使われる、「近代」対「前近代」という図式そのものに対する批判的吟味はこれまでも数多くなされてきたが、様々な具体的事例が非常に明快に説明できているという点で、今日でもなお興味深い研究だ
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ネタバレ法律や訴訟は,1967年と比べれば身近になっただろうな。
同時に,法ないし権利の意識も,進んできたんだろう。
しかし,憲法についての意識は,発刊当時とそんなに変わらないのではないか。
58頁の中曽根康弘発言と同じようなことを言っている人は今でもいるよね。
時節柄,少し気に留まった。
以下メモ。
・法文の明確性と法律解釈についての意識(39頁)
裁判の予見を目的とする研究よりも、法解釈に熱中する法律学。
・落とし物が返ってくるのは、日本においても,当然ではなかった(73頁)
・トラックと過失相殺の裁判例批判(144頁)は、何か違う気がするなぁと。 -
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ネタバレ日本人の法律や権利、義務の意識について考察した古典的名著。既に40年以上前の本である。
郷原信郎『思考停止社会』でも触れられていましたが、日本人にとって法律は「伝家の宝刀」のようなものだ、という言葉がある。これは法律の非日常性と、フェティシズムの対象と化していることを物語る。
道路交通法、労働基準法が破られるのが日常茶飯事なのは今も昔も変わらず。思えば日本では法律論を持ち出すと、「杓子定規」、「融通が利かない」、「心が冷たい」、とよく言われる。
特に明治憲法下では国家権力が法の拘束の外(臣民の権利は法律の範囲内)にあったので、今から考えてみれば、法律に関する意識は欧米諸国に近づい