宮沢俊義のレビュー一覧
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宮沢俊義は自他ともに認めるケルゼニストである。ケルゼンの根本規範論は、法というものは、その中身がどうあれ「法は従うべきもの」(=根本規範)という前提がなければ成り立たないという、法学の前提としての論理的仮説である。八月革命は天皇主権という根本規範を国民主権という根本規範に取り替えたわけではない。「法は従うべきもの」という前提は天皇主権でも国民主権でも変わりないからだ。こう指摘する長谷部氏は、八月革命説はケルゼンの根本規範論で説明するのは難しいと言う。まさにその通りで、宮沢が依拠したのはケルゼンの根本規範論ではなく、その論敵シュミットの憲法制定権力論であると解するのが一般的である(石川健治氏など)。
ならば宮沢はケルゼンからシュミットに鞍替えしたのかというとそうではない。宮沢は日本国憲法の成立を法学的に説明するためのテクニックとして、憲法制定権力論という論理を借用したに過ぎない。宮沢はシュミットが想定する憲法制定権者たる国民という概念もイデオロギー的仮構物だと考えていたはずだ。その意味で宮沢は根本規範の取り替えが可能であるかのような実体論的思考を残す不純な純粋法学者ケルゼンその人以上に純粋なケルゼニストである。宮沢をソフィストと呼べるとすればこの意味においてであろう。(長谷部氏は「国民代表の概念」において宮沢は国家や議会をフィクションと見做したが、国民までフィクションと見做したわけではないと考えているようでもあり、この点で評者の見方とはやや異なる。)
自ら唱えた八月革命説を字義通りには信じていなかった宮沢俊義という人はフランス的エスプリを備えた才人だか、極めてシニカルな価値相対主義者である。宮沢の孫弟子にあたる長谷部氏も価値相対主義者だが、日本国憲法が拠って立つ「多様な価値観を抱く人々が自由で公平に生活する社会の枠組の創出」という立憲主義の理念にコミットする氏は価値相対主義者としては不純である。その不純性において宮沢のシニシズムを免れている。 -
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ネタバレ八月革命説を提唱した学者として有名である。天皇機関説で有名な美濃部達吉の弟子であり、田上穣治(山内敏弘・長谷川正安の師匠)の兄弟弟子、芦部憲法で有名な芦部信喜(渋谷秀樹の師匠)・奥平康弘の師匠である。憲法学の巨匠であろう。
個人的に面白かったのは、裁判官の項目である。日本の最高裁判事は内閣の指名で決定されるが、その行政の長は議会が選ぶ。これはアメリカの制度を真似ているが、アメリカの最高裁判事も行政の長が指名する。ただ違うところは、日本の行政の長は首相で議会で選ばれるが、アメリカは民選である。つまり行政に対する民意を伝える制度が、日本にはない。アメリカは大統領制だから、行政に対する民意を伝えることができる。結果的に最高裁判事に対する任免権もある、とみなすことができる(かつアメリカは、二重の危険が存在しない。)。
それの穴埋めのために、最高裁判事の国民審査がある。しかし、いまいち機能しているとは思えないが・・・。
また統帥権の項目も、興味深く読めた。戦前の日本の軍隊の制度は、プロシア憲法を準用したものとなっている。憲法によって(尤も明治憲法には内閣の項目はないし、輔弼するとなっているが国務大臣は各々が単独で天皇に対して責任を負っていると解釈されていた。)民選の首相をはじめとする指揮権にはふくさず、もっぱら天皇に対して責任を負っていた。かつ統帥権は不可侵領域とされ、軍人勅諭で「軍人は政治に関わるな」と云われたものの、ストップゴー事件やプラーゲ旋風、ロンドン軍縮会議の反故にしたことを皮切りに、次々と統帥権が拡張されてゆく。今の憲法は軍隊に関する条項はないが、文民統制が保障されているので、戦前のような状況にはならないではあろうが・・・。
なにはともあれ、古い本ではあるが読みやすい。憲法を学ぶ上では、欠かせない本であろう。 -
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元・東京大学法学部教授(憲法学)であった宮沢俊義(1899-1976)による一般向けの日本国憲法論。
【構成】
1 表現の自由をめぐって
2 国家と宗教
3 学問の自由と大学の自治
4 法の下の平等
5 生存権
6 国民主権と天皇制
7 参政権と選挙
8 議会・政党・内閣
9 裁判の役割
10 軍の死と復活
11 憲法改正
<講演>神々の共存
本書の1~10章は著者が雑誌『世界』に連載した「憲法講話」を編集したものであり、11章の憲法改正については書き下ろし。最後の「神々の共存」は憲法記念講演会(1962年5月3日)での講演からの採録である。
著者の宮沢俊義は、東京帝国大学法学部においてかの美濃部達吉教授(本書と同名の著書を1912年に出版)の下で学び、「芦部憲法」の著者として知られる芦部信喜は宮沢の弟子にあたる。
本書は憲法をめぐる諸学説を取り扱うのではなく、著者の理想とするところの憲法解釈を滔々とそしてわかりやすく述べている。中学や高校あたりで教えられている日本国憲法は概ね本書の主張に沿って教えられていることを考えれば、通説としての宮沢説の影響力は絶大なものであろう。彼の主張は、1945年の降伏直後から学会、論壇を席巻した進歩的な「理想主義」の憲法論として歴史的な意味を持つ。その反面で、憲法学という学問が十年一日どころか六十年一日の進歩もないように思えて仕方がないのだが、これは私だけの思いこみだろうか?