本書は渋沢栄一の四男として生まれ、父のそばで見てきた著者の視点で
家庭の中での栄一翁の姿が別の伝記には無い新鮮で面白さがある。
気になるケ所を箇条書きにメモをする。
①明治3年、アメリカに行った伊藤博文は会計事務を調査した結果、洋式簿記(複式簿記)という、お土産を持ち帰った。
ここで、ネットで調
...続きを読むべてみると、当時の江戸から明治にかけては、『大福帳』という
得意先とのすべての売り買いを総括した帳簿が主であった。
洋式簿記は現在の簿記で記入方法は難しいが、あらゆる取引と複数の会社との
やり取りの流れを記することができる画期的な簿記だった。
②明治5年に富岡製紙場(現在世界遺産)を作った時の逸話がすごい。
工場を作った当時、地元の養蚕業者から反対に合い、なかなかうまくいかない。
特に困ったのは、工場の女工応募者が集まらない。
その理由がすごい。こんな噂話があった。
『あの工場で働くと生血を絞られて死ぬ』という噂らしい。
なんと、その噂を流した現地の人が見たのは、当時工場の技師はフランス人が多く
いた。その異人が生血を飲んでいると勘違いされたのは、葡萄酒(ワイン)だった。
その勘違いは時間が解決したがびっくりする逸話だ。
③70代に2回渡米して日米親善で活動して、沢山の地元アメリカ人の知人ができた。
そして、82歳になって、3回目の渡米を果たす。もう既に、生き甲斐になっていた。
その精神的、肉体的に強いのはいったいなんだろうと思う。
論語がその原点らしいが、もっと論語を知ってみたい。
なんと3回も渡米していたのに、英語は話せないという。
その代わり通訳を通じて、現地の人の生の声を聴けた。
④最後に色気のこと。
日記をつけていた、栄一は2号さんのことを『一友人』と書いていた。
その一友人に会うときは、お酒を飲んだ帰りに一友人に会いに行っていたらしい。