門林奨のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
邦訳で読める最新のインテグラル理論。
構造と状態について,新しい理論体系が提示されている。
これまで重視されていなかったように思われる状態について,その重要性が強調され,状態ー構造という概念が提示された。これによって,目覚めの実践が発達の初段階とは別の取り組みとして位置づけられる。発達の先に目覚めがあるのではなく,目覚めはどの発達段階でもあり,ただ,発達段階(=隠れた地図)によって,限界付けられるものとなる。これまでの理論では曖昧だった部分が肉付けされ具体的なものになった印象。
プラクティカルな実践の書なので,従前の理論書とは全く異なる語り口なのも印象的。こういう文章も書けるんですね。
久しぶ -
Posted by ブクログ
700ページを超える大著。
「無境界」と「インテグラル理論」というウィルバー自身における入門書は読んだけど、本格的な著作はこれがはじめてかな?
これは、入門書というより、教科書みたいな位置付けなのかな?インテグラル理論の4象限、レベル、ラインを始め、キーワードが丁寧に説明される。
といっても、ウィルバーの議論はとても壮大かつ抽象的で、ある程度、丁寧な説明を読んでも、まだまだ腑に落ちる感じにはならないけど、これはメタ理論だからね〜。
なかに入っているものより、それをいれるフレームワークについての理論なんだよね。
それでも、ほんとにたくさんの気づきがあったし、自分のなかにあったさまざまな -
Posted by ブクログ
人間成長について書かれた本。様々な発達段階理論を統合的にまとめる試みをしており、キーガンの理論・本などと比べると理解が難しい。
一方で、インテグラル理論の考え方自体には共感する部分も多く、最近自分自身でも感じていた「分化から統合」の考えとも似たものだったので、スッと頭に入ってきた。
内面(美)を成長させるには、文化(善)や社会システム・科学(真)が連関していることを認識し、同時に発達させる必要がある。言い換えると、内面だけの発達を志してもそこには限界があるということ。
また、自分がオレンジorグリーンの段階にいるためか、「全ての発達段階に意味があり、高次の発達段階の人々も、皆最初は低次の発 -
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ネタバレ人間の発達段階全部12段階ある
第一層(隠れた地図を探求する):無色→マジェンダ→レッド→アンバー→オレンジ→グリーン→
第二層(統合的段階):テイール→ターコイズ→
第三層(超統合段階)インディゴ→ヴァイオレット→ウルトラヴァイオレット→ホワイト
その中でも3つのステージに分かれている。
本書はこの発達をしていくために、四象限で把握する必要があると述べている。I、WE、IT、IT'Sである。
四象限で発達をしていくために、悟りの道(ウェイキング・アップ)意識にそなわる多様な視点(ショーイング・アップ)→発達のさまざまなライン(多重知能を探求する)ことが大事だと言っている。
まとめで -
Posted by ブクログ
"A Theory of Everything"の新訳。
大昔に大学に入って最初に興味をもったのが人類学。そこでは「文化相対主義」というのを習った。そして、レヴィ・ストロースの構造人類学を学び、クリフォード・ギアツの解釈人類学を学んだ。人類学のなかでは、この2人のスタンスは大きく違うものとされたが、「文化は違うだけで、いいとか、わるいとかそういうものではない」という思想においては共通のものであったと思う。
わたしにとって、「文化相対主義」とは、自文化中心主義のエゴにとらわれないこと、他の文化に対して謙虚な気持ちになること、文化の違いのなかから学び続けることを意味していた -
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「ティール組織」のベースにもなった理論モデルであり、社会のあらゆる事象を理解・整理するための枠組み(またはメタ理論)である「インテグラル理論」の概要を解説した入門書。
インテグラル理論は、縦軸に「個人」と「集団」、横軸に「内面」と「外面」を配した四象限で構成されており、例えば「個人の内面」は自己の意識であるのに対し、「個人の外面」は脳科学や生物学的領域であり、「集団の内面」には文化や文明が、「集団の外面」には社会制度や環境が位置づけられる。またそれぞれの象限ごとに、発達の段階である「レベル」、並行して発達する複数の領域(「ライン」)、レベルやラインごとに生じる意識の状態(「ステート」)、さら -
Posted by ブクログ
インテグラル理論が良かったので購入。それの実践のたの本。
基本的には瞑想(マインドフルネス)をすることで、自分の発達段階を認識できるという主張。この考え方自体は、自分の経験則・感覚とも合致するものがあり良かった。
少し引っかかりまだ咀嚼できていないのが「意識構造(発達段階)」と「意識状態」というもの。後者の感覚がまだ掴みきれていない。なんとなーくわかるが、おそらく前者と同一視しているか、あるいは高次の意識状態を体感していないためか。。。
『気流のなる音』を読んでいた時に実践していた「意識の焦点を決めない」という感覚が、恐らく高次の意識状態なのではという仮説がある。今年は少しずつ瞑想・マインド