"A Theory of Everything"の新訳。
大昔に大学に入って最初に興味をもったのが人類学。そこでは「文化相対主義」というのを習った。そして、レヴィ・ストロースの構造人類学を学び、クリフォード・ギアツの解釈人類学を学んだ。人類学のなかでは、この2人のスタンスは大きく違うものとされたが
...続きを読む、「文化は違うだけで、いいとか、わるいとかそういうものではない」という思想においては共通のものであったと思う。
わたしにとって、「文化相対主義」とは、自文化中心主義のエゴにとらわれないこと、他の文化に対して謙虚な気持ちになること、文化の違いのなかから学び続けることを意味していた。
ところが、いわゆる解釈学とかポスト構造主義とか、社会構成主義などに対する批判として「相対主義」という言葉が否定的に使われているのを知って驚いた。
「相対主義」は、結局のところ、すべての価値の意味をなくし、ニヒリズムに陥る。あるいは、自分の価値観、自文化に独善的にひきこもるようになり、道徳的にも、社会的にも、国際政治的にも有害である、と。。。。
これと同じような議論が、卑近なところでは、職場のダイバーシティでも起きているのかも。
「違いを力に」とか言っているのだが、結局のところわがままがはびこってしまうんじゃないかというおそれ。
多様性を尊重しようという立場は、「多様性はいやだ」という「違い」にどう対処すればいいのか?「ダイバーシティ推進はいいことである。意見の多様性もいいけど、タイバーシティ反対は許さない」ということなのか????などなど。
「インテグラル理論」は、そんなお悩みにアプローチするためのヒントを与えてくれるものかもしれない。
あと「ティール組織」を読んで、モヤモヤした人にもオススメしたい。
ウィルバーの本は難しいものが多い。これは本人が書いた入門書という位置付けだが、以前の翻訳「万物の理論」は結構難しかった記憶がある。それに対して、今回の訳は、読みやすく、なるほど「入門書」らしい。
「入門書」といっても、本質的なところがぎゅっと詰まっている感じで、とくに理論編の最初の3章くらいまでは、繰り返し読み直したい濃い内容。
「ティール組織」は面白いのだが、組織の進化段階を色で単純に仕分けするところに違和感があった。あと、いくらティールな組織が素敵でも、そこにたどり着くための道がよくわからなかった。ティール組織で実践されている取り組みをできるところからやってみましょう、というような話ではないんじゃなかろうか?という疑問。
「インテグラル理論」は、その辺のもやもやを理論的に整理してくれた。つまり進化のレベルは前のレベルを内包しているということ。
そして、すべての象限、レベル、ライン、ステート、タイプの組み合わせで物事をみて、その全てに働きかけるということ。
この本を読むと、自分自身がやっていることを含めて、身の回りに「あるある」だらけだ。
では、わたしが「インテグラル理論」に完全に納得したかというと、進化の概念のモヤモヤは微妙に残る。わたしのなかではグリーン的な価値観が根強く、横の多様性はwelcomeだが、縦の多様性は躊躇がのこるかな。
とくに進化や発達という概念が個人レベルだけでなく、組織や社会の発達度合いということになると、「文化相対主義」からスタートしているわたしはつい警戒してしまうわけだ。
方向性はなんとなくわかるのだが、なんかエッジが立つ。第1層と第2層の間の谷を前にして、ちょっと心理的な恐れもあるのかな?
ここの転換は、ウィルバーも3年間苦しんでうえで見出した答えということなので、わたしも腑に落ちるまでもう少しかかるのかもしれない。
その辺はもう少し考えてみたい。
でも、いいなと思ったのは、「さあ、みんなそろって、第2層に行きましょう!」みたいな話ではないこと。
社会の段階はたとえばグリーンでも、そこには、オレンジの人も、レッドの人もたくさんいるし、人間の個体の成長の多様なプロセスもあるので、そういう多様な人たちに応じたアプローチをしようということ。
取り組みもインテグラルなんだね。
なので、グリーンやオレンジ的な方法論、スキル、ツールも必要に応じて使えばいいということになるのかな?
ちなみに、インテグラル理論は、メタ理論なので、これを知ったからといって具体的になにかができるようになるのではない。より具体的な状況に対応するための具体的な理論なり、ツールなりを理解して使っていくことはやっぱり必要ということは、いうまでもない。