「デザインする」という言葉にひかれて読み始めました。
===
相手との対話は、他者としての異なる価値観を受け止めることと同時に、コミュニティとしての社会の複数性、複雑さをともに引き受けることにつながります。だからこそ、このような対話の活動によって、人は社会の中で、他者とともに生きることを学ぶのです。(pp.23-24)
===
「自分」とは、「私」の中にはじめから明確に存在するものではなく、すでに述べたように、相手とのやりとり、つまり他者とのインターアクションのプロセスの中で次第に少しずつ姿を現すものです。(p.34)
===
本当の自分とは、はじめから「私」の中にはっきり見えるかたちで存在するものではなく、自分と環境の間に浮遊するものとしていつのまにか把握されるのです。(p.34)
===
しょっぱなから上記の文章が登場し、目からうろこ。
「対話」がコミュニケーションというふわっとしたものではなく、明確に道具として扱われているのかなと思った。だからこそデザインという言葉がくるし、起点はいつでもデザインする「自分」なんじゃないかなと思った。
===
では、何のための納得と合意かというと、それは、対話のプロセスを通して、お互いが自分を肯定するためであり、生活・仕事・人生を自分で作っていくという実感を自ら持つためでもあります。このように考えると、自己と他者が協力して納得・合意するのは、参加者全員でつくっていく共同体としての社会のあり方そのものということができます。その意味で、自己と他者の納得と合意は、この社会で生きてくための基盤であるといえます。自己の外部にある権威に従属するのではなく、対話によって得られた成果をもとに、あなたと相手がともに新し社会創造をめざすしかないのです。(p.158)
===