鈴木有紀のレビュー一覧
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対話型美術鑑賞の技術を学ぼうシリーズ。実際の授業の様子を再現してくれており、現場での進め方や生徒の反応、それに対するコーディネーターの対応などがとてもよくわかる。「どこからそう思う?」「そこから(さらに)どう思う」という問い。「一つのものを見て対話する」ことで意識の共有が生まれやすいこと。「教える側・教わる側ではなく、みんなで話すこと」「一見問いのような、実は答えであることを見抜く」「すでに理解していることを承認してあげる」「察しの悪いナビゲーターになる」ことなど。ただ、事例が小学生中心なので、大学生や大人が対象となると更なる工夫が必要かもしれない。
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Posted by ブクログ
ネタバレあらすじ
作品の解説や正解を教えるのではなく、子どもたち自らが美術作品をじっくり観察し、感じたことや考えたことを言葉にして対話し合う「対話型鑑賞(VTS: Visual Thinking Strategies)」。美術館の現場で培われてきたこの教育手法を軸に、変化が激しく「正解がひとつではない」現代社会を生き抜くための思考力・観察力・対話力の育て方を解き明かした一冊。指導者が知識を一方的に授ける講義型から脱却し、学習者自身の「なぜそう思うのか」という問いを引き出すファシリテーターへ転換するための実践的なノウハウと、主体的な学びを促す場の設計論を提示する。
所感・深掘り
「教育とは、正しい答えや知識を教え込むことだ」という固定観念を根底から揺さぶり、人が自らの頭で考え、他者と共に納得解を導き出すプロセスの尊さを教えてくれる、非常に示唆に富んだ一冊だった。
特に深く腑に落ちたのは、「指導者が安易に正解を与えないことで、初めて学習者の思考が動き出す」という点だ。指導者が「これはこういう意味だ」「ここをこう直せ」と先回りして答えを提示してしまうと、学習者は自ら観察し試行錯誤することをやめ、指導者の顔色を伺って正解を探す「受け身の姿勢」に固定されてしまう。作品や状況をありのままに観察させ、「どこからそう感じたのか」「どうしてそう判断したのか」と問いを投げかけて言葉にさせる。その対話の積み重ねこそが、確かな根拠を持って自らの意見を構築する真の思考力を育てるのだと納得した。
また、他者の多様な視点に触れることの価値についての指摘も心に響いた。同じ対象を見ても、人によって注目する場所や解釈は全く異なる。「他人の見方を面白がり、自分の視野を広げる」という経験は、他者への尊重や柔軟な発想力を育む土台となる。一方的な指示命令ではなく、学習者の気づきを丁寧に引き出し、安心して発言できる土壌を整える「ファシリテーターとしての指導者像」は、教科教育にとどまらず、スポーツの現場や組織の人材育成にもそのまま通じる本質的な知恵だと感じる。
教え込むのをやめ、問いを投げかけ、信じて見守ること。
子どもや後進の主体性を引き出し、自走する自立した個を育てたいと願うすべての指導者にとって、自らの関わり方を深く見つめ直す契機をくれる確かな良書だ。 -
Posted by ブクログ
視覚的教材を用い、教師が前提となる知識などを一切教えず、子供たちにより自由なを促す授業の取り組み方についての本。
教師がその役割を担うナビゲーターが、どんな声かけをし、どんな役割をすればいいのか、どんなことに気をつければいいか、子供たちがどんなふうに変わっていったか、どんな発言をしたかなどが詳しく書かれている。
子供たちが視覚的教材の中で見つけたこと、感じたこと、疑問に思ったことを自由に発言する。その際、大切なのが、「どこからそう思ったのか」という声かけ。なぜそう思ったのか?より、どこからそう思ったのかの方が、根拠がしっかりと作品の中に見出せるということだった。
目指すのは
[不確実性の中で自ら課題を見出していける人材、未知のことにも自分の頭で考え答えていける人材]
自分の感情を言語化する人の意見を、本当の意味でよく聞く(聞きたいことだけ見たいことだけを見るのではなく)の大切さを感じられた。こういった授業をしていたら、確かに、自分の感情が何に基づいてされたのかを見つけ、もっと思ったことを言ってみよう、考えてみようという意欲が発現するだろうと思う。ただ、同時に、自分でもはっきりとわからず、口惜しいのだが、大きな落とし穴があるような気がして怖さをずっと感じながら読んでいた。
答えのある問いが、悪者のように捉えられているのを時々見かけるが、問いの種類によっては、答えがはじめからあるのではなく、そこに多くの先人たちの観察や経験や熟考の末に答えがあるのだということを、どれほど考慮してそう言っているのか、疑問に思う。発展は、先人たちが積み上げてきたものをベースに、それをさらに新たな視点や工夫を重ねて時代に合わせてなされているものだと思う。そのベースの十分の知識なくして、思ったことを感じたことを話して、一定以上の実りがあるのか疑問に思った。
昨今見聞きする発表や対話形式の発表などの中には、雄弁に語ってはいるが、内容がないものが非常に多く、発信すること自体に重きが与えられ、発信内容についての重さ濃さが薄れすぎているように感じる。
小学生低学年のうちから、この教えない授業で書かれているような、気持ちを言語化し、人に伝え、人の意見も聞くということを癖付けて、学ぶ意思を増大させて、実際に多くの学びをしていけば、内容も一定以上のレベルに達し、社会の問題を解決できるようになるのではないかとは思った。
最近、短い間だったが、授業をする経験をさせてもらった。この本を読んで思い返すと、もっとここは子供たちの感じたこと、考えたことを聞いて、膨らませて、発言をしない子からも引き出せるものがあるとよかったなと反省する点が多々出てきた。私が受け持った授業は主要教科ではなかったので、それが比較的できやすい環境にあった。しかし、これが主要教科だったとしたら、膨大なことをインプットしないといけない今の教育内容や試験内容である限り、そんな贅沢な時間が取れるのか、教員に余裕があるのか?子供達にさらなる負担をかけることになるのではないかと感じた。 -
Posted by ブクログ
MoMAのアートを通じたラーニングメソッドでもある感じ、表現し、そして学ぶ。それを日本式に置き換えて導入した愛媛県などの事例を交えて新しい授業の形を紹介する本。残念ながら、それが成功しているという事例を感じないということはあるが、、、いずれにせよ強制的に導入するのではなく、自ら生まれてくる疑問とそれをファシリテートするファンクションが必要で、自分の経験を思い起こしても、それが毎週、10年間通ったアトリエの画家の先生だったことに気が付く。何を書きたいの?どうして書きたいの?そうかそうか、書いてみよう。小さかったころ、緑の木々が好きだった。黒田清輝の絵を模写しながら緑で塗っていくと先生が、この絵の緑って、本当に緑かな?と聞いてきた。その時、衝撃が走ったのを覚えている。あ、黒い、、これは陰に入っているからだ、あれ白いところもあるぞ、、、これは光が当たっているんだと。そういう気づきをMoMaは絵と向き合う方法として提示していて、決してそれ単体が究極的に学力やアートの力を伸ばすことにはならないのだと思うが、こうした考え方をする子供と、そうでない子供とで大きな差が生まれていくのは間違いない。見る、考える、話す、聞く。このシンプルなチャートを回す。それぞれ、丁寧に、じっくり見ること、なんでそう思ったのかかんがえること、感じたことを伝えること、そしてそのフィードバック、また他の人の新しい意見に耳を傾けること。インプリが非常に難しいし、本書でも苦悩している事例を多く提示しているのが特徴だが、これって大人が学んだほうがいいような気がする。絵を見て説明がきを見る時間が、絵を見る時間より長い人がいる、これは「13歳からのアート」でも記載されていたと思うが、絵と対話するというのは感じるということなんだということに気がついた。今週はMoMAに行ってみよう。
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Posted by ブクログ
どうしてそう思う?という問いかけに対して40%は個人的な解釈が入る。どこからそう思う?の問いかけには解釈が20%しか入らず、事実ベースの発言が74%を占める。
小学生の授業が検証対象になっていたけど、大人の会議なんかでもよく起きることで、個人解釈の発言が増えると同じイメージを共有することが難しくなり、議論の停滞やアウトプットの段階で「なんか違う」が起こってしまう。学校の先生の役割がナビゲーター/ファシリテーターになっていくというイメージが具体化できる内容だった。
と、同時に自分が小学生時代に毎日授業してくれていた先生は何を教えてくれたんだろうか?その時の自分の頭の中では、クラスメートの頭の中では何が起きていたんだろうか?と悪い意味でなくノスタルジックな気分になった。5教科全部を教える小学校教諭の可能性(責任)の大きさを再認識。毎日同じ授業を受けているはずなのに、学力差や嗜好の違いが生まれるのはなぜだろう?