「リリー」イヴは衝動的に尋ねていた。「怖いと思ったことはないんですか?」
リリーが振り返る。傘の縁から滴る雨粒が、彼女とイヴのあいだに銀色の幕を張る。
「あるわよ。誰だってそうでしょ。でも怖いと思うのは、危険が去ったあとーーー危険が迫っているときに怖いと思うのは、自分を甘やかすこと」彼女がイヴの肘
...続きを読むに手を絡ませた。
「アリス・ネットワークにようこそ」(P.117)
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第一次世界大戦の最中。ドイツ占領下のフランスで、連合軍のためにスパイ活動をする女性たちの組織、「アリス・ネットワーク」。超敏腕スパイ、コードネーム=アリス・デュボア(本名=ルイーズ・ド・ベティニ)が作り上げた組織だ。ルイーズ・ド・ベティニを筆頭に、登場人物の多くは実在の人物で、この作品は、著者の脚色はあるものの、基本的には史実に則った歴史小説である。
物語は、二つの時代と視点から描かれる。一つは、第一次世界大戦中、アリスの後輩スパイだったイヴリン・ガードナー。アリスや同僚のヴィオレットと共に、スパイ活動に心身を捧げた時代が描かれる。アリスは「リリー」という愛称で呼ばれ、数数のエピソードでその敏腕さが伝えられる。
もう一つは、第二次世界大戦終戦直後のイギリス。戦時中に失踪した従姉妹を探していた女子大生のシャーロットは、ヒントを求めて訪れたロンドンの古い住宅でイヴリンと出会う。二人の物語は時代を超えていつしか交錯し、クライマックスに向かって加速する。
歴史小説とは知らずに、完全なフィクションとして読んでしまった。あとがきを読んでアリスが実在の人物だったと知ったときの、衝撃たるや!なんだかもう、表紙を見るだけで震えが来る。アリスは一体どんな気持ちで日々を送っていたんだろう。いつも危険と隣り合わせで、生き延びるためにできることはなんでもして、常にマニュアルのない臨機応変な行動が求められて・・・いま私が最も愛している「リラックスして心置きなく眠る」から最も離れたところにある日々。誰かに心を許すことも、ネットワークのメンバーにさえ本名を明かすこともできない、たった一人で戦い続ける毎日。怖い。その孤独を想像するだけでゾッとする。
海外小説は読み慣れない。というか、今までハリー・ポッターシリーズくらいしか読んだことがない。日本純文学特有のあの、世界に一つに表現を求めてあらゆる単語や文章をこねくり回すまどろっこしさと美しさに酔いしれるスタイルとは真逆の、スピーディにどんどん進んでいくストーリー展開を楽しむことに重点を置くスタイル貫く海外小説には、あまり魅力を感じてこなかった。が、「2019年度 本の雑誌が選ぶ文庫ベストテン」第1位獲得という文言につい惹かれ、アンソニー・ホロヴィッツ「カササギ殺人事件」と一緒に読んでみようという気になった。
凄まじい読み応え!読み応えが「ある」とかじゃなくてもうこの本自体が「読み応え」そのものだと思う!(私は何を言っているんだ?)
こんなに分厚い本を読み切れる気がしなかった。でも読んでいたら、特に中盤以降、それまでのストーリーに散りばめられていたいろんなピースが徐々にハマっていって、その心地よさに踊らされているうち、あっという間に時間がすぎていった。
同じ長編小説でも、村上春樹や江國香織を読み終わったときの達成感(あるいは疲労感)とは全く違った、物語のスケールのあまりの大きさとその圧倒的な重厚感からくる達成感(あるいは疲労感)を得た。読んでよかった。これは文句なしに100%人に勧める。