存在するとは知覚されることだという主観的観念論で有名な一冊。
精神の内の観念だけが存在するものであり、精神の外にいわゆる「物質」は存在しないという極めてラディカルな主張である。
いわゆる客観が確固として実在し人間が受動的にそれを追認するという素朴実在論の構図を大転換したエポックメイキングな書物だ。ま
...続きを読むた、バークリーも科学的認識を批判しているが、科学的世界観に対する人間の存在論的優位の宣言ともいえる。「存在」とは何かと議論するときに、人間にとって意味のあるものこそが「存在」として有意味だという主張には同意できる。観念として知覚される以上、眼前の対象物も空想も同じ次元で「存在」として扱うというのは、科学的世界観を転覆し「存在」の多元性を許容する。その意味でヒューマニスティックな存在論の道を開いたと評価できる。(もっともバークリーは神を持ち出すが)。
ただし、素朴な目的論的証明により神の存在を「証明」し、その後は全世界を知覚する者としての神の存在を前提とするので、結局のところ世界はそのまま存在することになる。この点が聖職者であったバークリーの限界である。
ただ、ある精神にとって「他者の精神」は直接観察できないので、独我論こそが自然な態度になりそうだが、どうだろうか。