太田泰彦のレビュー一覧
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この本は、記者が、シンガポールに三年間滞在していた間に、東南アジアのプラナカンについての記録である。プラナカンの歴史、人、建築、文化、食、多岐にわたっての取材とリサーチによって、プラナカンの人々の全体像を知ることができた。マレーシアに住んできて、プラナカンの建築や服、工芸の美しさに魅了されて、この本を読んでみた。プラナカンは、マレーシアだけでなくシンガポール、インドネシア、タイのプーケットにもいるということを知って、東南アジアにはプラナカンの広いネットワークが存在していることも知った。
著者のプラナカンの人や文化に接した時の感想や印象も本文に含まれていて、臨場感がある内容だった。
メモ:
・プ -
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16世紀に中国大陸から東南アジアへ渡ってきた漢民族の人々。彼らはマレー半島、スマトラ島、ジャワ島など、マラッカ海峡の各地域に住み、地元の人々や東インド会社と協力して事業を運営したり、貿易を営むようになりました。それがプラナカンと呼ばれる人々なんですね。東南アジアの遊牧民とも呼べる存在で、地域発展の原動力になった人々だそうです。シンガポール建国の父、リークワンユー氏もプラナカンだったそうですね。
プラナカン文化は、色鮮やかなパステルカラーの陶磁器、刺繍、独特のニョニャ料理などで有名で、シンガポールでもカトン地区を中心にいろいろなところで見ることができます。きれいな色彩だなと思ってましたが、背景 -
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【流転の記録】マレーシア、インドネシア、タイ、そしてシンガポールなどで生活する独特の文化を築くプラナカンと呼ばれる民。移り住んできた華人と現地の人々との子孫として、それぞれに激動の時代を生き抜いてきた様子を収めた作品です。著者は、日本経済新聞の記者としてシンガポールに駐在もしていた太田泰彦。
映画『クレイジー・リッチ』を観賞した後に本作品を読んだのですが、土地ごとに定義の異なるプラナカンと呼ばれる人々が、その土地ごとに独自の文化を発展・展開している様に驚きを覚えました。東南アジアの懐の深さ(と同時に底知れなさ)が感じられる一冊です。
〜新しい経済の価値を創造するプラナカンの「イノベーション -
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アメリカが先端半導体の技術を中国に渡さないように締め上げつうサプライチェーンの国内化を目指し、中国は自国での先端技術開発に死力を尽くし、欧州は最先端半導体製造装置における圧倒的優位性でチョークポイントを押さえにいくなど、経済、国防の両面で戦略的重要物資となった半導体を巡る地政学的な勢力図と各勢力の戦略がよくわかった。その中で、日本はかつてのメモリ半導体王国の地位を失い、資本の論理でキオクシアの売却先が決まるなど戦略的でない動きもある一方で、IBMの最新技術を実現するためのラピダスの設置や多額の補助金を提示してのTSMC工場誘致成功などの戦略的な取組も奏功しはじめている。さらに、専門特化型のチッ
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ネタバレ【少し内容から逸れる感想】
シンガポール生活開始から1年が過ぎ、シンガポリアンの優しさに何度も救われる日々。
この本を通して、学校では学ばない歴史ー太平洋戦争で日本兵が東南アジアの人々にした残虐行為ーを知り、私がプラナカンの立場だったら日本の過ちは到底許せるものではないと感じた。シンガポリアンの多くが反日感情を露わにしないのが不思議なほど…。それは歴史にとらわれ過ぎず、感情的にならずに前を向いているからなのか。未来へ突き進む姿勢にプラナカンの強さを垣間見る。
※日本人として、太平洋戦争の過ちを「隠す」のではなく、現実を「知る」ということ、知りたくない暗い過去から目を逸らさない大切さも知った。 -
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先日、ワン・アジサの件でメンション頂いたので、彼女がプラナカンがどうかまた疑問が湧いたのだが、ウィキにはシンガポール生まれで祖父がプラナカンであると出ているな。自分の乏しい知識だとプラナカンはエスニックはマラヤ華人という認識だったのだが、この本によると、華人に限定されないし、マラヤにも限定されないらしい。プーケットの人口の7割がプラナカンというのはびっくり仰天だが、それが判明したのは2004年というのとは何とも。自分が知らんはずではあるが、別に7割がプラナカン意識を持っているということではなかろう。生前のリー・クワンユーのインタビューから始まるので、嫌な感じはしたのだが、プラナカンを俯瞰した本
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マレー語で「この地で生まれた者」を意味する「プラナカン」は、15~16世紀に中国からマレー半島にやってきた男たちと現地の女性の間に生まれた子ども達の子孫。
リー・クァンユーしかり。
父親のルーツである中華系の文化を、自分たちの住まう土地にうまく馴染ませ育んできた。
ルーツやコミュニティにより定義される彼らは、国境に縛られることなく、東南アジアを中心に、果てはオーストラリアにまで根を張り暮らしている。
ASEAN各国にいる華僑で現地に深く溶け込みつつ、それぞれの國でそのアイデンティティをたもっている。
ニョニャ料理、インテリアなどに独自文化。
「プラナカン」と言う看板を、日本人の我々が