現代教育調査班のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
歴史が苦手で元々の知識がうっすい自分でも「え、これも今は違うの!?」と驚くネタが多く衝撃的でした。
仁徳天皇陵、聖徳太子、イイクニ作ろう鎌倉幕府…
これでまた歴史の苦手意識が強まりそう(´・ω・)
歴史以外も驚くことはちょこちょこあったけど、めっちゃビックリしたのは平仮名の『そ』の書き方!
以前、カタカナの『ヲ』の書き順を間違ってたことにショックを受けてたけど、『そ』は今は画数すら違うのかぁ
その昔、帯分数の読み方(「か」・「と」)の違いで親に「そんな言い方しないよーおかしいよー」とドヤドヤしてた自分を「時代とともにいろいろ変化するんだよ!」と叱ってやりたい。 -
Posted by ブクログ
「踏絵」といえば、江戸時代、キリスト教信者を見つけるために幕府が行ったもの、と思ったあなた!
古い!
は?!
どゆこと?!
踏ませる行為は「絵踏」。
踏まれるものは「踏絵」。
確かにその方が日本語として適切。
日本語は後に来る単語が名詞そのものを表し、前部分は修飾語なのだ。
例えば、バナナワニは後方にある単語がワニなので、ワニ。
ワニバナナだと、バナナと言うように。
「元寇」も漢字を頑張って覚えたものだが、意味が取りづらいと言うことで「モンゴルの襲来」へ。
ナチスの訳も「国民社会主義ドイツ労働者党」へ。(国家社会主義、じゃない!!!!)
四つの気団も揚子江気団が定義から外れ、微妙な立ち位置へ -
Posted by ブクログ
子どもと話してて鉄板ネタが通じないなと思った事が何度かあり、勉強の精度のせいだと思ってましたが、もしやと思い読んでみました。
リンカーン、ルーズベルト、マゼラン、明石原人、1192作ろう鎌倉幕府、踏絵、鎖国、冥王星、色々と変わってました。
それだけたくさんの新事実が解明されたという事。研究者の皆様のお陰ですね。特に日本史の変化が多かった。
あと、全体的に教科書が大判化、カラー化しているようです。確かに、社会とかは資料集と一体化したかのような画像の量です。重いよね、あれどうにかならないのかな?心配です。
子ども達は読むと混乱するかも?
でも親世代が子どもとの会話のネタとして読む -
Posted by ブクログ
昭和の教科書で育った者にとっては、今の教科書に書かれていることが随分と変わっていて驚くだろうという本である。
一番驚くのは、やはり歴史のことだろう。学会のその後の成果によって、教科書も書き換えられているのだ。他の教科については、へえーという程度だろう。
・鎌倉幕府の成立は、守護・地頭が設置された1185年である。
・推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の3人が中核となって当時政治が行われていて、聖徳太子の扱いは地味になっている。
・大化の改新は646年からで、645年のは乙巳の変という。
・縄文時代後期から、畑作・稲作が始まっている。
・人類の発祥は700万年前のトゥーマイ猿人。
・日本最初の貨幣は「 -
Posted by ブクログ
小・中・高校それぞれに子どもがいて今の教科書を実際に手にし、日本史に目覚めて以来、新聞等で歴史上の新発見の記事を切り抜きしている私。
日本初の貨幣は「和同開珎」ではなく「富本銭」とか
「仁徳天皇陵」が被葬者が明らかでないことから「大仙陵古墳」は存じておりました。
が、それでも「そうなん!?」と思うページが沢山!
◆645年は、大化の改新ではなく乙巳(いっし)の変。
646年に即位した孝徳天皇が改新の詔を発布した時を
大化の改新ととらえる。
◆江戸時代の士農工商の身分制度は実はなかった
◆田沼意次は積極的な経済活動を促した人
なるほど、『新事実の発見や物的証拠の出現などがあれ -
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十年近く前のこと、何かのポスターを見て「あ、安藤広重の絵だ」と言ったら、高校生だった息子が「誰それ?」と言う。「え~知らんの?有名な東海道五十三次を描いた人やんか」と思いっきり教えてやる風に答えたところ、「それは歌川広重でしょ」と言うではないか。息子がすかさず取り出したスマホであっけなく勝負はついて、「安藤広重」は「かつての間違った呼び方」だったことがわかった。盤石だったハハの知的優位が揺らいだのは、これがきっかけだったような気がする(体格的・体力的には小学生時点で完敗してた)。
以来、「え!今はそう習うの?」というモロモロを知るたびに、自分が紛れもなく「古い人」になったことを思い知らされる