兼利琢也のレビュー一覧
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目まぐるしい生成AIの進歩により、人間の価値の在り方を問われていると感じる今、この本を読んで思ったのは、2000年という長い年月の間に進化してきたのは文明や技術、つまり人間を取り巻く環境であって、人間の「本質」そのものは実はほとんど変わっていないのではないかということだった。怒りについてのセネカの考察は時代の壁を感じさせない、今の私たちにもの心にも響き、説得力に溢れると思う。
アンガーネジメント関連の本は沢山あり、あたかも一種のスキルを身につければ怒りをコントロールできるかのような印象を持ちさえもするが、「怒り」とはもっと根源的で、人生そのものに関わるテーマであることを実感した。人間が2000 -
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俗っぽく紹介するなら「2000年以上読まれ続けるアンガーマネジメントの金字塔!」とでも言おうか。
不可避的な災厄、苦痛と向き合う「摂理について」。
賢者は不正を受けることがない、と主張する「賢者の恒心について」。
そして、怒りという情念の恐ろしさと、そこから逃れる術を説く「怒りについて」。
どれも、自らの働きかけでは御しがたいものとどう向き合うのかということに集約される。
賢者の恒心における、ある種の「上から目線」で接するという態度などは文面だけを読むと驚いてしまうが、心を平静に保ちながら徳を保つには有効な手立てだろう。
怒りという情念は破滅的なもので、そもそもそこからは逃れられるなら逃 -
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◯摂理について
・善き人たちが苦労し、汗を流し、険峻な途を登攀するのに対して、劣悪な連中が自堕落に暮らし、快楽に酔いしれているのを目にしたときは、「息子は厳格な訓練で律せられるのに対して、奴隷の身勝手は育つがままにされるものだ」と考える。
・障碍を知らぬ幸福は、どんな打撃にも耐えられない。だが、絶えず逆境と格闘した者には、受けた不正で厚い皮が育ち、いかなる悪にも屈しない。
◯賢者の恒心について
・彼が所有のうちに置いているのは唯一、徳だけであって、ここからは何一つ奪い取ることはできないからである。
・犯罪は、遂行の結果以前に、範囲が十分である限り、すでに完了しているのである。
・人から -
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ストア派の哲学者セネカの「怒り」に関する論考。
なるほど、これはいわゆるストイックというイメージにふさわしい「怒り」論だな。
ある意味、過激なまでのストイックさに恐れをなしてしまった。その分、読み物としては、思考を揺さぶる力をもっている。
この議論のある種の「過激さ」は、本物なのか、あるいはレトリックなのかというのも、ちょっと興味のあるところ。
セネカは、ローマの皇帝に近い上流社会に生きていて、最終的には肯定のネロに命令されて自死することになるわけだが、ある種の公共的な劇場空間のなかで、自己をどう演出するか、どうストア派的な言説を徹底するかというほうに向かっていたのかもしれないという感 -
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-摂理について-
世界が摂理によって導かれているのに、良き人々に数多の悪が生じるのはなぜか。
神は善き人にこそ試練を与える。まるで厳父のように。
古代哲学の運命論ゆえ、なるほどとはならないが、困難な状況を乗り越えることを称揚してくれる。
-賢者の恒心について-
ストア派の考える賢者が持ち合わせている大度について扱う。
不正とは悪をおよぼすこと、すなわち卑劣な心を呼び起こすことと定義される。賢者は徳で満たされているため、悪が入り込む隙がない。従って賢者に不正を与えることは不可能である。
賢者は徳以外に何も所有していないことを理解している。従って苛烈な目に遭わされても、運命が何かを奪うとは考え -
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ネタバレ表題の他に「摂理について」「賢者の恒心について」の二篇収録。
前1年頃~65年のローマの哲学者
まず、全文読んでの感想は「それが出来たら苦労しないな」である。
「賢者の恒心について」では「賢者に不正は届かない」と述べている。
つまり、暴力も、悪意も賢者を害しようとするもの全ては賢者の持つ何物も奪えないということ、それは例え吊し上げられ、家、肉親全てを失おうとも賢者からは何も奪ったことにはならないというのである。
なぜなら賢者は全てを自らの内に託し、自らの善きものを盤石のうちに保ち、徳に自足しているから。と述べる。
しかし、では、そんな人が存在し得るのかという問いにセネカは「おそらく、それは