雪洲の人生も興味深かったし、ノンフィクションとして著者の調査、記述も良かった。
まず、雪洲についていえば、名前は知っていても、初期のハリウッドでそこまで大物だったとは知らなかった。周りの登場人物が、セシル・デミル、チャップリン、ヴァレンチノと豪華絢爛で、周りの人物のサイズからして、雪洲が対等なら本当に大物だったんだと納得する。この本を読むまでのサイズ感では、映画初期にハリウッドで成功したのは、米国で東洋人の俳優が少なかったのでたまたまそう言う仕事に出ていた、ある種ニッチな存在、または、その特殊性を売っていただけと思っていたので、新鮮であった。妻の鶴子さんと言う人も、川上音二郎の姪というのは知らなかった。
雪洲は非常にスケールの大きな人物だと思うが、人間生まれながらにスケールが大きいということは無かろう。一旗挙げようと外国に渡るものは五万といるだろう。そのうち成功するものは、ほんの一握りだ。雪洲とその他の四万数千との差は何か。最初からそれほど差があったとは思えない。米国に徒手空拳で渡った後は、食い詰めもした。
しかし最終的に大成功を収め、世界中に名を知られるようになった原動力は、雪洲が常に大きなものに「賭け」続けてきたからではないかと思った。普通の人は、少しお金ができれば、ここらで良いかと思う。多少上手くいけば、次には失敗しないように守りたいと思う。雪洲の事績からは、彼が常に有り金を次の賭けに注ぎ込んでいるように見える。負ければ、一文無だ。実際負けたこともある。しかし雪洲は賭けることをやめない。そうやって積み重ねてきたものが、年を経て無名の存在と、煌びやかなスターの差になっているように思う。しかし雪洲は常に、その差を生んでいる目も眩むような高い崖の崖っぷちに立っているのだ。
著者は丹念に調べていて、完璧主義と見える。その調べた内容を、歯切れ良く書いていく。雪洲の個人的な想いや、感想、その時どういう気持ちだったかの憶測は、インタヴュー等の資料がない限り行わない。その抑制的な筆致が雪洲の姿を、ブロマイドを見るかのように浮かび上がらせている。
面白かった。