鶴見済のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ震災直後の空気を感じさせる時評的な内容でもあったため、読書習慣を失っていた時の発売で読むのが遅くなったのはもったいなかった。お金や産業に振り回されているのは感じても抗おうなどと思いもしなかったのだが、地道な家庭菜園などもその延長であると提示されていた。だったらオレが好きな釣りはどうなのだろうか。高い釣具やルアーや車での移動は資本主義活動に組しているとしか思えない。高級魚が安く釣れたらいいな。
80年代に中学生だった自分は学校で先生に「日本は成功した社会主義だ」というような事を言われ、そうなんだ~みたいに思っていた。それがすっかり新自由主義のでせいでおかしくなったのかな。富がもっと平等に分配されたらどんな世界になるんだろう。みんな不自由しなくて済むのかな。80年代みたいになるのかな。80年代はそんなによかったのかな。
鶴見済さんの文章と考えが好きなのでもっといろいろ書いて欲しい。 -
Posted by ブクログ
オレは鶴見済(ワタルさん)が大好きで、特に『檻の中のダンス』の頃は、オレもあちこちのレイヴで踊ってたし、反原発デモでも、たぶん同じように盛り上がってた。
だから、同じ時代に同じ場所にいる人、というカンジがする。
特に『檻の中のダンス』は本の表紙もデザイン良くて、六本木の本屋でジャケ買いした。ワタルさんのサイン入りだったし。
そんな、鶴見済が、まさか、こーゆー本を書くようになるとは・・・予測できなかった。しばらく、消えてたし。おクスリのやり過ぎで体調悪いのかなあって心配してた。でも、帰ってきてくれた。
オレの、政治的ツイートのアカウントでは、フォローまでしていただいて感謝。ワタルさんから返信してもらったし、彼のツイートには注目してる。
オレはナイキが好きだから、ナイキ批判はなかなか理解できないけれど。
でも今、日本では、時計が逆向きに回り、独裁政権の時代に逆戻りして、心底ウンザリしてる。
選挙のときに、有権者が選ぶことができない、見せかけの選挙の時代に逆行して、もう絶望した。
だから、オルタナティヴ(代替案、代替手段、習慣にとらわれない、非体制の、1990年代のカウンターカルチャー、カウンターカルチャー的なもの)がものすごく欲しい。
オルタナティヴな試みは、すでに世界中で行われていて、原発反対デモのときはすげー盛り上がったし、アラブの春や、ウォール・ストリート占領みたいなことを、オレたちだって、もっとやりたいし、やるべきだ。
昔のマルクス主義や宗教的カルトの教条主義なんかじゃなくて、もっと自由に考えて自由に行動できるような、現実に政治や社会を変革できるような、自分自身も盛り上がれるような、そういうきっかけになる本だ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「グローバル経済」が金科玉条のように言われて久しいけれど、それは本当に人間を幸せにしているのでしょうか。答えははっきりしてきました。「一部の人間は確かに幸せになるが、大部分の人間は生活を破壊され、貧しくなる」のが現状です。「グローバル経済」は世界の富を均等に分ける方向には機能しないようです。逆に一部の国家、あるいは一部の人間に富が集中し、その格差は開いていく一方です。本書では現代の経済がいかに資源を浪費し、無駄なものをつくることでGDPを水増しし、発展途上国から収奪しているかを多くの事例を挙げて解説しています。自分自身、広告に携わることでその片棒を担いできたこと、あるいは消費者として多くの資源を浪費してきたことを思うと非常に心苦しく思います。私たち個人が具体的に出来ることはなんでしょうか。過剰消費を抑える、自然に触れて「循環するシステム」への理解を深める、選挙やデモで「アンチグローバリズム」を表明する…。少しずつですが、そういった事で世の中を変えていくことが出来るのではないでしょうか。福島の原発事故で私たちが学んだことは「そんなことを言ったら経済が成り立たない」というロジックは完全に間違っているということです。「経済」というものは経世済民〜民の暮らしを救うためにあるもので、その逆ではないのです。経済を守るために人間が犠牲になっている、この社会を変えることは私たちに残されたフロンティアであると信じたいと思います。
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Posted by ブクログ
『完全自◯マニュアル』も今作も、根底には「サヴァイブしよう」がある
90年代に社会現象となった『完全自殺マニュアル』を書いた著者が、紆余曲折ありつつその後も歳を重ね還暦を迎え、今作のような中高年を元気づけるための本を書いたということにまず何というか、味わいを感じます。
おのおのが自分にフィットする中高年像をみずから作っていい、「理想の上司」的、こうあるべきといった理想を追い求めなくていいというメッセージがありがたい前半。そして自分なりの死生観をある程度定めておき、老いと死に備えるメメント・モリをテーマにした後半で構成されています。
著者・鶴見済さんはわたしよりも20歳ほど先輩ですが、読んでいて感じたのは「この人とおんなじ考え方、すでにしてるなあ」という親近感でした。でも、自分と同じ考えが平易な文章で書かれているのでスルスルと読めてしまい、正直なところ読み応えがあまりないという物足りなさもありました。わかりやすい言葉でエンパワメントしようという目的からか、論理がやや短絡的だったりするところもあり、もうすこし言説に厚みをだして説得力を持たせてほしかった部分も。鶴見さんの日記かというくらいにフランクな文体と内容の密度です。
また、後半の死生観について語られた章については、わたしがまだまだ若造なのか、単に人間が未成熟なのか、鶴見さんのメッセージを寄せ集めても、自分のなかでリアルなイメージをうまく結べませんでした。理屈ではどんな生物も死ぬことは分かっていても、鶴見さんほど、死を身近にわたしは感じられません。鶴見さんとてまだ還暦で、本当に自身が死を直前に迎えたら、静かに受け入れるなんて悟ったような態度とは真逆に、うろたえ騒ぐかもと言ってはいますが。
客観視によって幻想を剥がし、自分を受け入れて生きていく。ある程度の理論武装で、老いと死に備える。もちろん死への不安は「強大」という言葉以上に強大で、理論なんかで乗り越えられるほど甘っちょろいものじゃないと恐れていますが。ただ少なくとも生と死を分けないで考えてみようかな、という考えが芽吹いたことが自分のなかの新たな実りだったといったところで、今回はよしとして本を閉じました。
もう発行から30年ほど経ちますが、鶴見さんを語る時には、今も「あの『完全自殺マニュアル』の」といった枕詞がつくわけで、出版社の公式サイトにある今作の宣伝文句にも同タイトルが出てきます。でも冒頭でも書いたように、『完全自殺マニュアル』で注目を浴びた鶴見さんが今こういった、自殺の逆のベクトルである、サヴァイブのための本をまっすぐ書くのはわたしにとっては特別な味わいがあって、だからこそこの本を手に取ったわけです。
「いざとなればこんな風に死ねる」と分かっている、それだけで気持ちのお守り代わりになるような本として『完全自殺マニュアル』を書いたと鶴見さんは言っています。自殺の一歩手前まで追い詰められた人たちをエンパワメントしようという目的があったわけですが、90年代の鬼畜系ブーム・悪趣味カルチャーと結び付いて社会現象になったことで、鶴見さんの本来の目的通りに受け取られないことの方が多かったのではないでしょうか。現に私は古本屋で「こんな本を売るな!」と本気で怒っている人を見ました。しかもそれは90年代当時ではありません、たった2年ほど前に。
社会問題になってしまったことへの贖罪のような気持ちが鶴見さんにはあるのかもと、『人間関係を半分降りる』等、ここのところの鶴見さんの著作を読んでそう思います(90年代当時に鬼畜系ブームの波に乗った、その熱狂のサーフィンを少なからず楽しんだ部分も、当時の若き鶴見さんにはあったのでは?と訝しむ気持ちも正直あります)。また、わたしにはまだリアルでなかった「死」についても、自殺というカードをお守りにしてサヴァイブするというメッセージを持っていた、そして実際に希死念慮に苦しんだ経験をもつ鶴見さんにとっては、ハッキリと自分ごととして意識していたことだったのだろうとも感じました。