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筒井義郎(ツツイ ヨシロウ)
甲南大学経済学部教授。甲南大学経済学部特任教授。大阪大学大学院中退、博士(経済学)、名古屋市立大学経済学部助教授、大阪大学大学院経済学研究科教授などを経て現職。大阪大学名誉教授。行動経済学会会長、日本金融学会会長を歴任。著書に『金融市場と銀行業』(東洋経済新報社)、『金融』(東洋経済新報社)、『金融業における競争と効率性』(東洋経済新報社)、『日本の株価』(共著、東洋経済新報社)など。
行動経済学入門
by 筒井 義郎、佐々木 俊一郎、山根 承子、グレッグ・マルデワ
行動」経済学というのだから、行動を研究するのだろうと思う人が多いだろう。その通り。行動経済学は人間の行動を研究対象とする。でも、それだけではない。それだけなら、(ヒトを対象とする) 行動科学 や心理学と何も違わないことになってしまう。行動経済学では、人間の行動の特徴を明らかにし、そのような行動によってどのような経済社会ができるかを追究するのである。
それは、経済学そのものではないか、これまでの経済学(伝統的経済学)とどこが違うのか、と疑問に思うだろう。そこがポイントなのだ。これまでの経済学は、人間の行動の特徴をきちんと調べることなく、人間は合理的に行動する、というだけの仮定のもとに、理論を積み上げてきたのである。常識的に言って、それは変だと思われるだろう。しかし、経済学者は、それを変だとは考えていなかった。
そして、実際、経済学はここ数十年の間に最も発展・成功した学問分野の1つである。しかし、今や、人間は合理的だ、と仮定するだけでは不十分であるという認識が、経済学者の中でも広まってきて、行動経済学の出番となっているわけである。つまり、行動経済学とは、人間の心理や行動を観察し、その特徴を明らかにして、そのうえに、経済学を再構築する学問である。
行動経済学を切り拓くにあたって重要な貢献をしたのは、カーネマンとトヴェルスキー(Amos Tversky)という2人の心理学者である。彼らの業績は多岐にわたっているが、その中でも、人々が不確実な世界でどのように行動するかを研究し、提唱した「プロスペクト理論」が有名である。もちろん、不確実な世界での行動は、それまでの経済学でも研究されており、皆が使っている理論があるが、彼らは、その理論が成立しない例を多くあげたのである。これについては、第4章で説明する。
完全利己性 とは他人が喜ぶかどうかを全く考慮しないで、もっぱら自分の利益だけを考えることを指す。確かに利己的な人もいるけれど、社会には他人のために役立ちたいと思っている人もたくさんいる。したがって、完全利己性の仮定は現実には成立しないものである。
完全利己性は、他人の利益に無関心ということであって、利他的でないだけでなく、敵意や羨望も持たない。もう少し厳密に言うと、自分の満足は自分の利益だけによって決まり、他人が満足しているかどうかに依存しないということである。実はこれはかなり狭い利己性の定義であり、この定義で完全に利己的であっても、他人に親切にしないとは限らない。もし、他人に親切にすることによって見返りが期待できるなら、親切は結局自分の利益につながるので、完全に利己的であっても他人に親切にすることになる。これを 互酬性という。「情けは人の為ならず」ということわざは、他人に親切にすることは巡り巡って自分の利益になることを意味しており、このようなことわざがあることは、互酬性は現実社会においてよくある事態であることを示唆している。
合理性の仮定については、伝統的経済学は次のような論法でそれを擁護してきた。第1に、株式市場を例にとると、非合理的な人は投資に失敗し、損を被って、結局市場から退出せざるを得ない。したがって、株式市場には合理的な人しか残らない。株式市場から退出しても、その人が死んでしまっていなくなるわけではないが、社会全体でも合理的な人が競争に打ち勝ち、社会をリードする立場に立つ。非合理的な人は社会の敗者となり、社会で重要な役割を果たさない。したがって、合理的な人を考えれば社会の動きのほとんどは説明が可能になる。 第2に、非合理的な人がいたとしても、合理性からの乖離はいろいろな方向にランダムに起きているはずである。したがって、社会全体ではその乖離の行動は相殺しあって影響はない。
このような主張に対して、行動経済学は次のように答える。第1に、株式市場の投資家には、非合理的な行動をする人がたくさんいる。そして、非合理的な人がたくさんいる市場では、非合理的行動が儲かる可能性がある。したがって、非合理的な人が市場から駆逐されるとは限らない。第2に、合理性からの乖離はランダムではなく、系統的(システマティック)である。したがって、非合理性はマクロ経済に影響する。
われわれが普段行っている経済的な決定や判断は非常に複雑である。マイホームや車など、高価な商品を購入する際、われわれは価格、品質、外観、性能など様々な要因を考慮したうえで、自分にとっての最適な商品について時間をかけて検討するだろう。しかし、低価格かつ日常的な商品に関する経済的な決定に関しても、その複雑さは本質的には変わらない。
リンダは31歳、独身で社交的かつ聡明な女性である。彼女は大学時代哲学を専攻していた。また、学生時代には差別や社会正義といった問題に深い関心を持ち、反核運動のデモにも参加していた。次の8つのリンダに関する記述のうち、最もありうるものから順にランク付けしなさい。
a.リンダは小学校の教員である。 b.リンダは書店に勤務し、ヨガを習っている。 c.リンダはフェミニズム運動に参加している。 d.リンダは精神医学の専門家である。 e.リンダは女性有権者の会員である。 f.リンダは銀行員である。 g.リンダは保険の営業員である。 h.リンダはフェミニズム運動に参加している銀行員である。
世の中には色々な人がいる。夏休みの宿題を先に片付けて遊びに行く人、後回しにしてしまう人。こつこつと貯金ができる人、ついつい使ってしまってできない人。ダイエットしようと思った時にきちんと節制して過ごして成功する人、ケーキやバイキングの誘惑に負けて失敗してしまう人。彼らはいったい、何が違っているのだろうか? 「性格でしょ」と思われたかもしれない。その通り、性格なのである。
マシュマロ・テストの参加者にはその後40年にわたって様々な追跡調査が行われており、マシュマロ・テストで待てた子供は周囲から優秀であると思われがちで、実際にSAT(アメリカの大学進学適性試験)の試験点数も高かったことや、肥満や薬物依存になりにくいことなどが明らかにされている ★ 2。
世の中は不確実性に満ちている。人々はこの不確実性にどのように対処して生きているのだろうか。本章では、この問題に対して、行動経済学ではどのように考えるかを取り上げる。リスクや不確実性に対する態度は、経済学において、時間選好と並んで、人間の行動に影響を与える重要な要素(経済学では選好と呼ぶ)である。実際、最も単純な経済学のモデルにおいては、人間の個性はこの2つの選好の違いで記述され、経済の主要な変数はこの2つに依存して決定される。
第1章で詳しく説明した通り、標準的な経済学では通常、人間は自分の利益のみを考慮して経済行動を行うと想定している。しかし、われわれは常に自分の利益だけを考えて行動しているだろうか? そうとは考えられない行動もたくさんある。経済的に困窮している人に対する募金活動やチャリティーに協力することはよくあるし、社会的に困難な状況にある人たちのために無償でボランティア活動を行う人も多い。無報酬の地域の清掃活動に参加したり、子ども達が安全に通学できるように交通安全のパトロールをしたりもする。
人間が利己的であるのか、それとも他人の利益を考慮するのかを、最も簡単に見分けられるのが、 独裁者ゲーム(dictator game)である。独裁者ゲームでは、2人1組のグループを作り、2人のうち1人は配分者、もう1人は受益者になる。まず、配分者には現金1000円が与えられる(金額はいくらでもよいのだが、この章では1000円として説明する)。配分者はこの1000円のうち、好きな額を受益者に与えることができる。受益者は配分者が決めた配分額を受け取り、ゲームは終了となる。
しかし、この解釈も問題がある。匿名性を高めて、相手と顔を合わさないようにすると、相手が喜ぶことが実感できない。本当にお金が人間に渡されるのかどうかも信じられなくなる(別室などないと疑う)人もいるだろう。もしそうだとすると、配分額はごみ箱に捨てるのと同じことになるので、そのために、配分額が小さくなったのかもしれない。このように、本当に利他性があるのかどうかを調べることは、意外と簡単でない。
お金を使って「買い物」をするという行動は、通常「楽しい」行為だと考える人が多い。自分のエネルギーや時間をかけた労働力の対価としてお金が支給され、そのお金を使って自分の好きな商品を買って楽しむ(「消費」し「効用」を得る)という過程の末に、達成感を感じるからである。
生存バイアスは統計的な現象であるが、 一般に素人個人投資家より投資専門家の方が心理バイアスにとらわれやすいことが、多くの研究で明らかにされている。まず、専門家は自信過剰であり、特に、自分の予測が間違ったことが明らかになった場合、自分のエラーを認めずに確証バイアスにとらわれる傾向がある。気象予報士も将来を予測する職業であるが、投資アナリストに比べて極めて謙虚な人達であり、間違った予報をした場合は自分の誤りを認める。それに対して、投資アナリスト達は、「予期できなかったことが起きたから」といった言い訳を作り出し責任を認めない ★ 33。
所得が多い人の方が幸福である。しかし、所得が高い階層になると、それ以上所得が増えても幸福度は高くならない。頭打ちになるわけである。図表8‐1には、世帯所得によって、幸福度がどう変化するかを示している。実線が平均値であり、点線は両方の点線の幅に95% の確率で平均値が入ることを示している(95% の信頼区間という)。世帯所得が低い時には所得が多くなるとともに幸福度が上がるが、世帯所得が1500万円ぐらいになると、それ以上の所得の増加は幸福度の増加に結び付かないことがわかる。このことは、数多くの属性をコントロールした回帰分析によっても確認される。
日本を含む多くの国の研究で、女性の方が男性より幸福であると報告されている。実際、本章の著者の研究では、11段階の幸福度で、男性の平均値は6.27、女性の平均値は6.51であった(〈より進んだ内容2〉参照)。これは生物学的に女性の方が幸福なことを示すのだろうか。脳の構造が男女でかなり違うことも報告されているので、生まれつき幸福の感じ方が違う可能性もある。それとも、何らかの社会的役割に基づくのだろうか。例えば、多くの社会では男性優位であるが、これが、男性にプレッシャーを与えることにより、幸福度が下がる可能性が指摘できよう(通常は、支配する方が、より幸福であることが多いが)。
喫煙している人は不幸である。全く吸わない人の幸福度は6.5程度だが、吸う人は6程度の幸福度しかない。
男性が不幸であるのは、世帯主として家族を養う責任を負うことによるのである。
年齢については、欧米を中心に、40歳代を底としたU字型になっているとする研究が多い。すなわち、20歳代から幸福度は下がっていくが、50歳代、60歳代と再び幸福度が上昇する。これは、仕事や子育てなどで40歳代が最も大変な時期であることを反映している自然な結果であると解釈する向きもある。日本でもU字型をしているという報告が優勢であるが、幸福度が最も低くなる底が、50歳代以降という老齢になっている傾向があるようである。
学歴が高い人の方が、幸福度が高い。高学歴は高所得につながるので、これは当然の結果かもしれないが、回帰分析で所得をコントロールして同じ所得の人を比較しても、高学歴の方が幸福である傾向が認められる。すなわち、高学歴であることは、所得の増加以外にも、様々な経路で幸福をもたらすことがわかる。
喫煙する人はしない人に比べて、断然不幸である。これは飲酒が、深酒の人を除けばほとんど幸福感を損なわないのと対照的である。喫煙によるニコチン摂取は 鬱 をもたらす傾向があり、したがって、喫煙の結果不幸になる因果関係が存在すると思われる。しかし、逆に、不幸な人が喫煙によって気を紛らわしている可能性も無視できない。
幸福感にもこのような順応が起こることが知られている。なぜ、人間は、新しい環境に順応して、元の幸福水準に戻るのだろうか。その説明は、しばしば 目標水準(aspiration level) 仮説 と呼ばれる。所得を例にとると、人々は所得が多いほど大きな幸福感を得るが、幸福感は、その人が目標としている所得水準にも依存している。目標水準に追いつけば幸福感は高まり、目標水準との差が大きければ幸福感は低い。そして、現実の所得が増加すると、しばらく後には目標所得水準も高くなり、その結果、幸福感は元の水準に戻るという仮説である。
順応仮説と相対所得仮説の両方を考慮することによって、幸福のパラドックスが説明できるのであれば、物質的に豊かになっても結局幸福にはならないのだから、物質的な豊かさを向上させることは無駄だということになる。一方、生活水準のような目に見えて明確なものは他人と比較されやすいだろうが、読書をしているなどの精神的な活動については知られにくく、それゆえ、比較されることもないだろう。したがって、精神的な活動から得られる喜びについては、比較によって消滅することは少ないだろうと考えられる。この流れに沿って、幸福の経済学の研究者の中には、精神的な豊かさを追求することこそ重要だと考える立場もある。
行動経済学が解明した事実はどのように役に立つだろうか。第1に、 弱者保護 や 消費者保護 政策に対するこれまでの経済学の考え方に影響を与える。一般社会では弱者保護が国民感情に沿う政策であり、消費者保護政策もそうしたものの1つである。例えば、購入後一定期間ならば購入契約を破棄できるクーリングオフ制度などは、消費者保護の観点から作られている。しかし経済学者は、このような弱者保護政策に冷淡であることが多かった。なぜなら、伝統的な経済学は「人間は合理的である」と考えているため、そもそも「弱者」が存在しないことになるのである。つまり市場原理が正常に働いているならば、個人はそれぞれ合理的に効用最大化を行い、それぞれ最適に振る舞っている。そこには何の問題もない。伝統的経済学の考え方に沿えば、不当な力を追放して、個人をできるだけ自由に判断する環境を整備すれば、あとは放っておけばよい。例えば企業に対しては独占的な市場支配力の排除が重要であるが、それがなされた後は、各企業が自由に行動することによって好ましい結果が得られるだろう。これに対し行動経済学は、個人はいろいろな点で非合理的であり、意志力も弱い存在であると考える。つまり消費者の非合理性に付け込んだ販売がなされれば、消費者は本当は買いたくないものを購入するという事態が発生し得るので、クーリングオフのような消費者保護が必要となる。他にも、リスクのある金融商品が銀行で販売されて一般の人に提供されるようになった時、そのリスクについて詳細に説明することが義務付けられた。また、消費者金融で深刻な多重債務問題が起きた時には金利が引き下げられ、借入額も制限された。
第3に、行動経済学は人々のくせを明らかにするものなので、それを利用すればお金儲けを始めとして色々と得をすることができる。お金儲けに関連したことは、マーケティングの分野で既に利用されている。例えばプロスペクト理論によれば、利得領域では価値関数は逓減的な形状であり、損失領域では逓増的な形状をしている(詳しくは第4章を参照)。これにより、利得は一度にまとめて受け取るより、小さく分けて何回も受け取る方が合計のうれしさは大きくなる。一方、損失は小さい損失を何度も受けるより、一度に受けた方がダメージは小さく感じる。この性質を利用すると、パック旅行や定額料金は支払いという損失がまとめて行われるので、好ましく思われることがわかる。また、微小な確率を大きく感じるという性質を利用すると、飛行機の墜落に対する保険や宝くじの販売などは、有利な商売であることがわかる。