「村井邦彦のLA日記」より辿り着きました。出版されていた時からチェックはしていたのですが扉を開くには至らず状態でした。ただ昨年の「1968年から半世紀」という回顧読書シリーズとシンクロする一冊となりました。政治の季節から消費の季節への転換期を先駆けたミューズ、ユーミンと戦前のナショナリズムの拠点「玄洋社」のカリスマ、頭山満を繋げるという謎の組み合わせが、まさに書名の「愛国とノーサイド」。そのジャンクションがユーミンのパートナーの松任谷正隆の松任谷家で、そこは頭山満の孫が嫁いだ家でもあったのです。と、いうことで本書は、そんな繋がり合ったのか!というファミリーヒストリー。「吾輩は猫である」の「何でも天璋院(てんしょういん)様の御祐筆(ごゆうひつ)の妹の御嫁に行った先(さ)きの御(お)っかさんの甥(おい)の娘」的な強引さもあるけど、でも政治的なハイソサエティが経済的なハイソサエティと繋がり文化的なハイソサエティを生みだしていくいく、血統は結果に先んじる、ということを描いているようにも思えました。本書にも一瞬登場するCMディレクターの杉山登志の遺書の「リッチでないのにリッチな世界などわかりません。」って本当なのかも?飯倉のキャンティはもはやそうとうメジャーな伝説化しているけど、松任谷ビルの「易俗化」もすごいクリエイティブクラスの濃厚空間だったんだ…と知りました。でも、大杉栄のパートナー、伊藤野枝に一章が割かれているようにリッチキラキラじゃないタマシイキラキラもフォーカスしています。平塚らいてう→伊藤野枝→(ここ大分ジャンプあるけど…)川添梶子→安井かずみというバトンの後継者としての松任谷由実って位置付けは、本書のように頭山満から語らないと繋がらないかも。今年の菊池寛賞受賞の年、ユーミンの持っているバトンは誰に渡されることになるのか?