木場深定のレビュー一覧

  • 善悪の彼岸

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    とにかくニーチェの女嫌いと女のこき下ろしがスゴい(笑)

    こんな本が今出版されたら、問題ありでしょう。

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    2013年08月29日
  • 善悪の彼岸

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    ニーチェさんかっこいい。キリスト教関係の著者や著作に価値のあるものなんてタダの一冊もあるわけ無いけど、ニーチェさんは別。

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    2012年09月20日
  • 善悪の彼岸

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    我が心の師たるニーチェの一冊。
    善悪の彼岸ってなに?なにが善悪の彼岸なの?
    それは

    愛によってなされること。

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    2009年10月04日
  • 善悪の彼岸

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     一言で言うと、かなり灰汁の強い本(笑)
     精神的に大らかで余裕がある人でなければ、許せない発言もあるかもしれない。でも、個人的には、非常に面白くて好み。この畳み掛けるような毒舌具合が、ある意味、著者らしくて良いのではなかろうか?
     まあ、訳者の資質もかなり加味されてあるのかもしれないが(笑)

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    2012年06月14日
  • 善悪の彼岸

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    目の前の絶望に蓋をし、まるでそれを見ないように遊戯し続ける状況は、現在でもある事。現在の悪い所は、目の前の絶望に蓋をし、更に唾を吐き捨て、踏みにじっている事だろうと思う。目の前の絶望に対して、逃げずにしっかり地に脚付けて見つめる事、こうした事が出来ないままでは、現状も、これからも変化はあり得ないし、それよりかは、悪い病気に、どんどん罹患して行くのだろう。

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    2013年04月02日
  • 善悪の彼岸

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    「利他的なことは善いことだ」的な道徳とかキリスト教は、他人の成功に対する嫉妬と、その他人が自分にその成功を分け与えてくれないということに対する不満、つまり弱者によるルサンチマンにすぎない。そのような道徳は、平等主義、民主主義、功利主義などの、人間を凡庸化し畜群化するものでしかない。人間がより高い存在へと進むためには、孤独に逃れ、己が評価者となって、利己的になることによって新たな価値を創造しましょうみたいな感じ

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    2013年03月26日
  • 善悪の彼岸

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    生きているということは実はとんでもないことだったんだと思った。と言っても罪の意識なんかはまるで感じないのだが…

    道徳には二種類あって、高貴な者の道徳と、奴隷の道徳。
    高貴な者は強く、比類なき能力があり、自ら是とするものを「よい」こととなす。彼そのものが価値の創造者である。

    奴隷は高貴な者に奉仕するために存在し、命令され、過酷で悲惨な生活を強いられる。彼らは、強いものを恐怖する。彼らにとって恐怖させるものが「悪」である。その反対である彼ら自ら弱いものが「善」となる。

    ニーチェさんの時代、種々の要因から高貴な者の道徳が廃れ、奴隷的な人間が増大したため、危機感を抱いてこの書物を書いたそうである

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    2012年11月04日
  • 善悪の彼岸

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    恥ずかしながらの初ニーチェ。善と悪というキリスト教的道徳に基づく価値基準に徹底的に反発し、民主主義的「平等」思想も「近代理念」も奴隷たることの心地よさに甘んじる畜群的な在り方だと糾弾するニーチェ、「自然」はむしろ高貴と卑俗との区別を持つものであり、まやかしの平等によってスポイルされつつあるヨーロッパ世界を“善悪の彼岸”に秩序を見出す新たな哲学によって変革していくべしと説く。牧師の息子として生まれながら信仰を捨て、ワーグナーに心酔してのち決別し、絶望と希望のはざまで既成概念と戦い続けるニーチェらしい、批判的でありながら厭世的になりきれない熱意は、その鋭さゆえに強さよりむしろ健気さを感じられる部分

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    2020年12月18日
  • 善悪の彼岸

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    灰汁が強いので方法序説よりは☆を一つ減らしました。個人的には結構好きです。
    ふんふん、え〜、そう?とか自由に思いながら読むといいかと思います。

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    2009年10月04日
  • 善悪の彼岸

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    ニーチェは語る。道徳は思考停止であり、平等は群畜化である。自己のみを畏敬し、力への意志によって進み、新しい、絶対的な価値を見出すものの到来が待たれる、と。

    そしてそれは今日到来しなかった。しなかったまま、個、主体、そういったものが解体してしまったのだ。それは、誰も、ニーチェの語る高みへと上ることができなかったからだ。
    ニーチェは、その意味では最後の希望であった。或る一人の人間が往くことのできる最も遠いところを彼は示したのだ。

    我々はこの本を読み、ニーチェの批判するところのものを知り、ニーチェの望むところを知り、そのどちらでもない地平にある我々を知らなければならない。

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    2012年03月18日